時間地図の試み-3
■紙の「マルチメディア」実験
■「百科年鑑」生誕クロニクル
◉当時、平凡社は百科事典という大樹のもとで2000人余の社員の暮らしが成り立っていた。書店のほか、戸別訪問販売や全国各地のスーパーマーケットで店頭売りされていた時代である。他社の相次ぐ新百科事典企画に対抗して、平凡社も新百科事典構想を打ち立てることが迫られていた。しかし、当時の『世界大百科事典』は1955年版の百科事典に始まる項目を、数次にわたる小規模な改訂・補遺という弥縫策を繰り返してきた。執筆者の人脈構築も途切れていて、新しい研究者の開拓が緊急の課題だった。
◉そのなかで1972年、百科年鑑の創刊が発表された。このブック・デザインを杉浦康平さんにお願いすることになったのである。堅固な、しかし停滞しきっていた平凡社百科事典土壌の上に杉浦さんは舞い降りた。
杉浦さん、平凡社登場の波紋・・・
◉平凡社では傘下に東京印書館、写真印刷や地図制作を専門とする地図精版という会社があった。百科年鑑での杉浦ダイヤグラムが実現できたのは、この地図精版のスタッフの力が大きかった。作図は手によるスクライブ方式で行なわれた。何十版になるフイルムの色の版分けや、0.5ミリ線での2色、3色の掛け合わせ色指定ができたのである。
◉また、平凡社は早くから電算写植(CTS)を導入し、当時東京印書館では写植入力のハナマチック・センターが独自の書体をもっていたのだが、杉浦さんは別刷図版のタイトル、本文などの文字は平凡社書体から写研の文字に切り替えた。校正段階で文字や線の直しがあれば大変なことになる。別刷図版を担当する編集部員は項目原稿が終わる毎年1月を過ぎる頃、四谷の森山写真タイプと渋谷の杉浦事務所の間を往復する毎日だった。〆切厳守を条件に本文とは別進行で、完全版下、製版フイルムで印書館に搬入した。
◉出張校正時になると大挙で押しかけて来る年鑑編集部員、杉浦事務所のスタッフに、当初は反発していた地図精版の人たちも、杉浦デザインに次第に魅了され、数年後にはみな杉浦フアンになっていた。事実、杉浦年鑑体験によって、地図精版から何人もの優れた人材が出てきた。独立してモリシタを起こし、1979年からぴあMApを始めた森下暢雄さん、ジェイ・マップの白砂昭義さんらである。またモリシタからは木村博之さんが独立している。
◉杉浦さんによる1973~80年版までの百科年鑑を振り返ると、トータルが杉浦デザインに染め上げられたのは創刊2年後の1975年版からだと思う。その頃には、杉浦事務所から谷村彰彦さん(2002年死去)や郡幸男さんらが平凡社に常駐して、百科年鑑はさらに進化を遂げていく。本文の構造化が進んでいき、「世相」「くらし」など、本文項目を横断する囲みの特集が百科年鑑の中を“侵食”し始める。
■百科年鑑は色めきたって立ちのぼったか・・・
◉別刷図版の中から、ふたつを紹介してみよう。「ある日」(1976年版)・・・監修・執筆は社会学者の今防人さん(2013年死去)。ひとりのある一日の行動とモノの詳細な記録。今さんや編集部には、柳田国男の『明治大正史世相篇』や今和次郎の生活風俗の採集、考現学(モデルノロヂオ)などのイメージがあった。たった1年間の出来事さえもマクロな歴史文脈の中で語られ、記録されるなかで、あくまでミクロに記録する、いわば生活者の呼吸する年鑑を作ろうという試みである。
◉「原子力問題ガイドブック」(1978年版)「原子力発電と地域社会」(1979年版)-どちらも物理学者の高木仁三郎さん(2000年死去)の執筆・編集協力によるもの。高木さんが原子力資料情報室を発足させる前だった。3.11福島原発事故を体験した今、原発問題をすでにこのレベルまで追及していた、先駆的な仕事として再評価されている。
■1979年の原子力問題を考える どれだけの金が流れるか、国策と地域社会のぶつかりあい‥・
【原子力発電と地域社会】「百科年鑑1979」別冊図版(平凡社)・・・原発1基で、どれだけの金が流れるか?
◉100万kWの原子炉の建設費は2500億円。1年間に原発1基が生産する売上げ金650億円のうち、70%が建設・運転維持メーカー・商社などに流れる仕組みが明かされる。3~4%程度が国や各地方自治体に還流されるが、原発をかかえた市町村に入る金は、その30~40%にすぎないという。
◉国策と地域社会のぶつかりあいを分析する。
監修=高木仁三郎+西尾漠+中里英幸 Co=鈴木一誌+渡辺冨士雄
[原子力問題ガイドマップ]「百科年鑑1978」別冊図版(平凡社)ー原子物理学者の高木仁三郎執筆・編集。
◉ウラン鉱石採掘から核燃料、発電、放射性廃棄物の処理、さらに使用済み核燃料再処理、プルトニウムを主燃料とする高速増殖炉までの核燃料サイクルと原子力発電システムを円環図にまとめている。
◉環境汚染を避けられない原発問題を[原発建設反対運動][論争点は何か]とともに多面的に解説。
◉2014年5月現在16カ所、48基ある日本の原発は1978年2月当時、14基だった。
■監修=高木仁三郎+西尾漢+中里英章 Co=中垣信夫+渡辺冨士雄。
■杉浦年鑑デザイン論・・・
◉CGどころかパソコンいやワープロの名前さえ聞かない1970年代にあって、紙による「マルチメディア」年鑑の実験が毎年行われていたのである。まさに「編集部、スタッフともに燃えて作り続けた‘年間」だった。百科事典という固い情報の項目、百科年鑑はこれらをアップデートするだけでなく、それだけでも読み知ることのできる柔らかなジャーナルの面も併せもった。杉浦さんの作り出すダイヤグラムと地図は、柔らかな情報の時間を深化させて、固い本文項目の時間につなぐブリッジになったのである。また、百科事典、年鑑のプレインな項目の文字部分をどのように構造化させ、文字に色を付けて1年ごと知識の地層をつくるという、野心的な試みを繰り返した6年間だった。
◉いまわれわれは、この『平凡社・百科年鑑』から、70年代の情報だけなく、その時代の形や色までも知ることができるだろう。
(むらやま・つねお/元平凡社・新宿書房代表)
1小林祥一邸「死ぬまで編集者気分一 新日本文学会・平凡社・マイクロソフト」(新宿書房、2012年)
2杉浦康平「百科事典年鑑デザイン論」「月刊百科」(平凡社、1973年3月)
3杉浦康平インタビュー「アイデア」324号(誠文堂新光社、2007年9月)
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