・・・,6月。シャンゼリゼ劇場の上にあったギャルリー・モンテーニュで「サロン・タダ」が開催される。これに参加するよう招待されたマルセル・デュシャンは.ジャン・クロッテイに電報で「Pode Bal(俗語Peau de Balle 何もなし,の語呂合わせ)」と答える。このサロンのダダ・オペラの夕べでは,トリスタン・ツァラの「ガスで動く心臓が.ソニヤ・ドローネーの衣裳で上演される。ギャルリー・モンテーニュの経営者は,気分をそこねて.18日に予定されていたダダのマチネーを待たずに,何の予告もなく,サロン・ダダを閉めてしまう。18日には,ジャン・コクトーの「エッフェル塔の花むこ,花嫁」の総稽古のあとで「シェ・フランシス」で夜会が開かれた。パンセール,ディアギレフ,カゼッラ(「コメディア」紙社長),ダダイストたち全員がこれに出席した(1921年7月の「391」に掲載されたピエール・ド・マソの「深夜切符」を見よ)。