鳥獣戯画とアニメ(現代)

■鳥獣戯画がマンガを生んだのか?

松島雅人

■はじめに

 「鳥獣戯画」が取り上げられるとき、「マンガのルーツ」あるいは「マンガの元祖」「マンガの原点」「日本最古のマンガ」などと説明されることを、しばしば目にする。この特別展「鳥獣戯画京都高山寺の至宝」では、このように「鳥獣戯画」(註1)をマンガの淵源としてみることは、「鳥獣戯画」を楽しみ、より深く理解することの妨げになってしまうのではないかと考え、意図的に行なっていない。

 たしかに兎や猿が擬人化されて人間のように振る舞い、生き生きと動きまわる「鳥獣戯画」とマンガを結びつけることで、800年も前に描かれた絵と、現代社会に広く浸透している親しみ深いマンガとがつながっていると説明されれば、遠い過去に描かれた絵がとたんに身近なものとして思えるかもしれない。

 しかし、マンガという一つの表現分野に注目してしまうと、「鳥獣戯画」を堪能し、感動する目が狭まってしまうのでないかと思われるのである。現在のところ「鳥獣戯画」は、制作された時期や作者、そして何のために描かれたのか、など謎につつまれた絵巻である。いいかえれば「鳥獣戯画」を味わう見方は、さまざまな方法が許されているともいえる。ここでは「鳥獣戯画」とマンガを同時にとらえながら、共通するところや違いを探しながら、「鳥獣戯画」とは何なのか少しばかり考えてみたい。

▶︎「マンガのルーツ」のルーツ

 現代日本では、雑誌や単行本などの出版物として流通する、おびただしい数のマンガを目にすることができる。老若男女、さまざまな読者を対象とするテーマやジャンルが存在し、マンガといって一くくりにすることは容易でないメディアとなっている。日本におけるマンガについてみると、明治時代になって西洋から日本に紹介され、日本社会に広く浸透し、発展してきたメディアである。つまりマンガは、明治維新後、西洋文明が日本に流れ込み、日本の社会が価値観と江戸時代以前と様変わりした時代に、「美術」や「芸術」という価値観が導入されるのと同時に、日本の外から入ってきた平面の造形表現の一つなのである。

 したがって、端的にいえば直裁的な意味では、鎌倉時代に描かれた「鳥獣戯画」と西洋からもたらされたマンガとは時系列上、明らかに結びつかない。当然のことなのであるが、ではなぜ「鳥獣戯画」が「マンガのルーツ」といわれ、その見方が広まったのだろうか。

 「鳥獣戯画」が「マンガの元祖」とされたのは、漫画家でもあった木原青起が『日本漫画史』(雄山間、1924年)のなかで「先づ日本の漫画家の囁矢は彼の鳥羽僧正である」と主張したところから広まったといわれる。「鳥獣戯画」の作者は江戸時代頃から、平安時代後期の天台宗の高僧、羽僧正覚猷かくゆう・1053〜1140)であるといわれてきた。絵の名手といわれた覚猷の描く絵は、ユーモアと風刺精神にあふれたものとされ、「戯画」あるいは滑稽なしぐさを描いた「鳴呼絵(おこえ)」ともいわれ、「鳥獣戯画」にこそ覚猷の画風があらわれていると考えられていた。

 そして『日本漫画史』のなかで、覚猷の絵には「漫画家が第一義とする実相穿機も豊富」としている。覚猷が描く「鳥獣戯画」には、マンガの本質である「実相穿機」つまり風刺が豊かであるというのである。『日本漫画史』が出版された当時の「鳥獣戯画」に関する背景知識によって、このように「マンガのルーツ」であるという見方が生まれたのだろう。そこでは、描かれる絵の形式が問題とされていないようで、風刺性など内容面でそのつながりが強調されているようだ。また美術家と漫画家を同列視することで、マンガの芸術性の高さ、あるいは高尚な優れた文化としてマンガを語る目的があったのかもしれない。

 ここでは「鳥獣戯画」とマンガを峻別することを主眼としないが、「鳥獣戯画」にみられるいくつかの表現方法と、その内容についてマンガと比べてみたい。

▶︎「鳥獣戯画」の表現方法

 まず形式的な部分に注目して、「鳥獣戯画」とマンガを比べてみていこう。

①画面の形式

 「鳥獣戯画」は絵巻というメディアによって、絵の内容を伝えるものである。絵巻は画面が横方向に長く続いていくもので、その画面は右端から始まり、左方向に巻きとかれ広げられて物語が進行していく。まず詞書という文章により物語が語られ、その一部分の内容が絵画化される。絵巻のなかで詞書(ことばがき)と絵の部分は交互にあらわれる。一般的には絵巻は、左側に広げられていき、右側で巻き取られながらみていくものである。そこでおおむね50〜60㎝程度の幅で画面が次々とあらわれていき、物語の時間は右から左へと進行していく。

 一方でマンガは、紙面に一コマ、あるいは複数のコマ割(大きさは一定であったり、不定形であったりする)をしたうえに絵を描いて、ある一連の物語(ストーリー)が描かれるものである。コマによって場面転換や視点の変化も起こる。連続したコマでは人物などの動きが連続的に示される場合もある。複数ページにわたって物語が進行していくので、ページをめくることで場面転換も行なわれる。日本のマンガの場合、印刷物の多くは右端で綴じられ紙面は左から右へめくられる。また一紙面の中で右上のコマから左下へ物語が進行していくので、大きくいえば右から左へ物語の時間が進行していくことが、絵巻と共通しているともいえる。

②登場人物の描き方

 「鳥獣戯画は紙の上に登場する兎や猿たちが彩色されず簡略な線で描かれている。マンガが一般的に、線によって登場人物をあらわしていることと同じである。しかし線で事物(キティーフ)のかたちをあらわすことは日本、広くいえば東洋絵画の本質でもある。着色画の場合でも輪郭線で事物があらわされ、その線でくくられた内部が彩色される。線であらわされた絵がマンガであるならば、近代以前の日本の絵がすべて「マンガのルーツ」ともいえるだろう。

③登場人物の台詞

 マンガでは物語の登場人物が話す内容(台詞・せりふ)が吹き出し(多くは線でくくられた風船のような形態)のなかに文字であらわされる。絵巻のなかには、中国から天狗是害房(てんぐぜがいぼう)と比叡山の僧とが法力競べをする「是害房絵巻」(図1)のように「画中詞」といって登場人物のそばに台詞のように文字が書かれているものがある。しかし「鳥獣戯画」は一般的な絵巻にみえる詞書がない。ただし、経を読む猿の口から出る線(図2)や、相撲で兎を投げ飛ばす蛙の口から出ている線(図3)のように、台詞のようにみえる部分がある。

 これらは言葉が線であらわされているというより、日本古来の観念である「言霊」(ことだま・言葉に霊力があり、言葉を発することで、その言葉が現実化し実体化する)が絵であらわされたものだという理解のほうがよい。「鳥獣戯画」では経そのものが実体化したものとして描かれて、その実効があらわされているのだ。蛙も気合を吐いているのではなく、投げ飛ばすための何らかの呪文が実体化していることを線によってあらわしているのかもしれない。

④演出効果

 マンガにおける表現で、平行線を何本も引いてスピード感を生み出す「スピード線」のようなものが、甲巻の模本(長尾家旧蔵本、硯ホノルル美術館蔵、262ページ・参考図版1参照)でもみられる。そこにみられる走り高跳びの場面で猿の後に引かれた墨の斜線は、マンガの手法と同じである。このような線描表現は、ほかの絵巻でもみられるが、西洋起源のマンガにどう接続するか、説明する手立てはない。

⑤鳥獣戯画とアニメーショ

 「鳥獣戯画」をアニメーションと比べ、それらが親しい関係にあると主張される場合もある。マンガと同様、アニメーションという映像表現も近代に西洋から日本に導入された視覚造形の一分野である。アニメーションは映画のスクリーンに対応するサイズや、テレビ画面という規格が決まっており、画面の大きさが一定である。これは絵巻がくり広げられて眼前にあらわれる一場面の大きさが、ほぼ一定であることと共通するかもしれない。

 アニメーションは日本のテレビ放送で放映され始めたとき、マンガ作品を原作としていたアニメーションが多かったためか、「漫画映画」「テレビ漫画」註3)などと呼ばれることが多かった。紙面に描かれたマンガが動いて動画映像となったと理解されていたといってよい。

 かつてのマンガでは、紙面上で、均等の大きさにコマ割りがなされていたものが多かった。そこで登場人物の一人が一連の動作をしている描写があれぼ、それらを次々に目にとめていくと、重ねられた紙を使って作られるアニメーションの一種、パラパラマンガのように動きを感じるだろう。

 またアニメーション制作において、絵コンテというイラストによる映像の設計図ともいえるものがあり、そこには先の均等の大きさにコマ割りされたマンガ表現と同様に、同じ視点で少しずつ動作が加わって、登場人物の動きをあらわしているものがある(図4)。

 アニメーションは文字通り、登場人物が動いて物語が進行するが、「鳥獣戯画」は物理的に登場人物が動いていない。しかし、アニメーションと関連する描写として、蛙と兎の相撲(図5)の場面がよくとりあげられている。画面右には、蛙が、兎に足をかけてわざをかけるところが描かれていて、左では投げ飛ばされた兎がひっくり返っている。この場面は左右の二匹の蛙と兎がそれぞれ同一個体のものとして、一連の動作の前後をあらわしていると考えられている。絵巻には同一の場面に、同じ登場人物がたびたびあらわれる「異時同図」という描写方法があることが広く知られている。これは「鳥獣戯画」に限った表現でなく、絵巻全般にしばしばみられるものである。「異時同図」とは一画面のなかで、同じ人物の動きを目で追っていくことで、時間の経過や物語の進行を感じることのできる表現方法なのである。

 この動きを感じる体験というのは、絵巻という画面形式の作用によって、実際に視覚的な現象として生じている。つまり兎に足をかけた蛙の絵は右側にあるので、絵巻を広げつつある段階では、まだ見えていない左側の兎は、まだ投げ飛ばされていないのだ。左側の絵が出てきた瞬間に、その動きは絵巻を手にとっている人にだけ目の前にあらわれるのである。やはりこれも「鳥獣戯画」だけではなく、絵巻全般にみられる「異時同図」の表現が用いられた場面や、さらには絵巻に限った表現というわけでなく、掛け軸の形式の絵にもみることができるものなのである。

 江戸時代の絵師・狩野探幽の「波涛群燕図」(図6)では、縦長の画面にたくさんの燕が描かれている。上空から降り立つ燕が波間に浮かぶ岩に羽を休めるまでの一連の動きが、スローモーションでとらえられているようにみえる。この絵も「異時同図」の一種であるが、掛軸は上から少しずつ画面を開いていくものである。

 したがって上空にいる燕が最初に目に入り、下へ台ろしていきながら画面を広げて二一て、そl㌧女権モ 二∴…㌧こ≡仁て、宥−「仁て廷 二∴・革.(.こ(乞てので、燕の動きが実感として目に映る(注4)のである。この絵は、宋・元時代の中国絵画を探幽がみて、自らの作品に活かしたと考えられているので、このような表現方法は、日本の絵には古く知られた表現方法であったかもしれない。

⑥登場人物と背景をみている視点

 「鳥獣戯画」に描かれた人物と背景をみると、それらの事物をみる視線のあり方が特徴的である。描かれた登場人物がどのような視点からみた絵になっているかというと、水平視されているのである。つまり真横から人物をみているのである。しかし背景は俯瞰、つまり上から見下ろしたものが多い。それが絵巻の紙面上で重なっている。いいかえると、二つの視点からみた画像が一つの画面に重ねられているのである。賭弓(のりゆみ)に駆けつける兎(図7)が、一見すると山の上を飛んでいるようにみえる場面も、山のような地面は俯瞰視されて、兎は真横からみた姿が描かれていて、それらが一つの画面に重ねられている。このような表現は、日本の絵巻では通例のことといえる。一つの画面のなかに複数の視点が重ね合わされていても、日本の人びとには違和感はなかったのである。さらには複数の視点でみた絵を画面の上下に並列しているものも多い。例えば画面の上の方では下から見上げる図を配置し、中ほどでは真横からみた図を描き、下方の画面では上から見下ろした図を一枚の絵の画面上にまとめて描くこともある。例えば「古事記」の山幸彦・海幸彦神話を描いた狩野探幽の「鸕鷀草葺不合尊降誕図(うがやふきあえずのみことこうたんず)」(図8)は、画面上部に真横からみた産屋を描いている。そして、画面中ほどの波は俯瞰視して、描写されている。画面下方の波は、真横から水平視している。この縦長画面をみる人は、山幸彦の心情にも同調しながら画面上部から下へ順に、文字通り視線を動かしていくのである。

 このような視点の取り方は、マンガやアニメーションではまれであろう。アニメーションでは描写対象への視点が順を追って変化していく。例えばクレーンにより下から上に視点が移動していくようなカメラワークの変化があっても、複数の視点が合成されるような画面は原則としてしない。登場人物もその背景も、透視図法的に統一された視点から描写しなければ「不合理」であるため使われないのである。日本の絵では複数の視点でとらえた画像を一つの画面に重ねてあらわす(レイヤー、layer)ことも、あるいは視点の位置どとに画面上の描写位置を変えて一つの画面に集約することもままある。そのような表現方法によって画面にドラマの心情的変化を生み出すこともあるのである。

 このように一見、マンガと似ているように思われる表現も、マンガと異なった表現方法なのであり、それらは「鳥獣戯画」だけでなく、日本の絵画全般でみられるものであるといえよう。以上のように絵の描写方法そのものだけでは、やはり「鳥獣戯画」は「マンガのルーツ」というのは難しいだろう。

▶︎鳥獣戯画は何を描いているのか

 「鳥獣戯画」の外形的な表現方法が、必ずしもマンガと結びつけられるようなものではなかったことが理解されるだろう。しかし、先の『日本漫画史』で主張された「マンガのルーツ」という考え方は、絵の内容面にその本質があったようである。「鳥獣戯画」にマンガの本質であるとされた「実相穿機(じっそうせんき)」つまり風刺が豊富であると考えられたことがその発端であったともいえる。

 現状で「鳥獣戯画」はその主題や内容が不明瞭である。生き生きとした動物たちの振る舞いは楽しげにみえ、そこにこそ、この作品の価値があるという見方も無論できよう。それだけに終始してももちろんいい。しかし、実際に制作された時に何らかの意図や目的があったのは明白である。なぜならこの時代の最高レベルの技術をもった絵師がこの「鳥獣戯画」を手がけているからだ(註5)。絵仏師あるいは、宮廷絵所の絵師という高い階層に属したものが、高い地位にある人物の注文を受けて「鳥獣戯画」を描いたのであって、絵師のただの筆遊びではなく、何らかの目的をもって制作されたと考えられるからである。

 さらに「鳥獣戯画」に風刺を見出すのもやはり困難ではないか。なぜなら「鳥獣戯画」の注文主ともいわれる後白河法皇など、「鳥獣戯画」を作らせる立場の者は、当時の最も高い階層に属する人である。その人物が「風刺」をする対象はいない。風刺は端的にいえば、低い立場の側から高い立場の者へ対する表現であるからだ。皮肉揶揄(やゆ・からかうこと)といった感情も、最高位にいる人物がもつ感情とは思われない。自身より低い身分である対象・・・当時の僧侶や武士を風刺する意味はまったくない。いうまでもなく、これは現代人の平等意識が潜在する考え方といえるだろう。

 「鳥獣戯画」がいったい何を描いているのかという問題については、近年、ますます研究が盛んである。結論的な回答は未だ見出されていないが、描かれた動物たちは神と交流するものとされ、神聖視されたものであったという解釈から、神を慰撫 (いぶ・なだめておだやかにすること)し、鎮魂する意図を見出す意見がある(註6)。絵巻を通して主人公的な登場人物が見出せないこの「鳥獣戯画」に対して、総体で何らかの主題があると考えるのは自然であろう。それでは慰撫される神とは何であろうか。「鳥獣戯画」に描かれる主要な動物たちは聖性を帯びて、月に関連するものという指摘がある(註7)。背景に秋草が描かれていることからも、季節は秋なのであろう。鎮魂という見方からすれば、月に象徴される黄泉の世界が描かれているとみることができょう。そこでは動物たちが、咲き誇る枯れない秋草を背景にして楽しげに遊んでいる。いったい誰が慰撫され、鎮められているというのだろうか。

 「鳥獣戯画」が描かれた当時は、戦乱によって非業の死を遂げた高貴を人物が多々いたであろう。絵巻を制作させた高貴な人物が、その怨霊化(おんりょうか・恨みをいだいて人にたたりを及ぼす生者および死者の霊)を鎮めるために呪術的な目的で制作したとも想像できるかもしれない。例えば安徳天皇はその候補にならないだろうか。幼くして死んだ天皇を慰撫する絵巻としてみれば、描かれた光景は水の下の都でくり広げられる華やかな祭礼であろうか。

■おわりに

 空想はひとまずおいておこう。ここでみたようにマンガとの画面形式の比較にょって「鳥獣戯画」だけでなく、日本の絵の特質が浮き彫りにされたのではないだろうか。「鳥獣戯画」にみられる表現の特質は、日本の絵そのものに見出せるものであり、「鳥獣戯画」が「マンガのルーツ」といえるのであれば、「日本絵画がマンガのルーツ」というべきなのである。

 「鳥獣戯画」は伝来の過程で「戯画」や「シャレ絵」とも呼ばれ、鳥羽僧正が描いたという伝承によって、「放尿合戦」や「陽物くらべ」など批判精神という風刺を伴った「鳴呼絵」の系譜に、戯画的な表現と結びつけられていく。そこでは「ばかげたおどけた絵」としての見方も潜在化していったことで、畢竟、江戸時代の葛飾北斎や歌川国芳が描いた「戯画」とも関連づけていくことができたのであろう。そして表面的に滑稽な描写としてみえ、笑いを誘う画面を見出されていったのだろう。そして、明治以降、マンガと親しい関係が見出されたともいえる。

ミーム(meme)とは、文化を形成するDNAのような情報である。人類の文化が形成されるプロセスを説明するための概念であり、例えば習慣や技能、物語といった文化的な情報である。文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。

 時代を超えるムーミ(meme)という人の心から心へ伝達する情報として、「笑い」や「遊び」が「鳥獣戯画」にあらわされたとみる向きもあろう。しかし、「鳥獣戯画」は内容が判然としないのである。そのような状況で、表面的な描写の滑稽さを笑うことは、時代を遠く隔てた異世界の事物を笑うことにはかならない。それは自身の理解に及ばないものを笑うことと同じであり、異なる地域の風習、価値観を笑う行為と同じである。それは現代において最も避けなければならない行為である。

 ここでは「鳥獣戯画」がマンガと違うものと、ことさら強調することが目的なのではない。また絵巻とマンガの優劣を比べるような陳腐な問題でもない。数百年も前に描かれた絵は、描かれた当時の社会と現代に、あまりにも価値観の違いがあるため、ある意味、異世界のものである。それを「マンガのルーツ」とすることで制作当初の世界観や価値観への見方が狭められてしまうことを恐れるのである。

(まつしままさと/東京国立博物館学芸研究部列品管理課平常展調整室長)