公文書が消える国

■公文書が消える国

 昨年の臨時国会に続き、今通常国会でも「桜を見る会」問題の論戦が始まった。自衛隊の日報隠し、森友・加計問題など公文書管理の姿勢を問われてきた安倍政権。公文書が消える国の現実とは――。

①残せなくても後に証言を

小野次郎さん(元首相秘書官、元参院議員)

 官僚、首相秘書官、与野党の国会議員と、ひととおり経験した私の立場から見ると、いま起きている問題は、官僚と公文書、政治家と公文書の関係をすっかり変えてしまったと思います。

 官僚の世界では、公務員が公文書管理法に違反して公的記録を残さないのは、あってはならない行為です。私が警察官僚だった頃、情報公開法にもとづく市民からの開示請求には、「黒塗りはなるべくやめろ」と部下に指示したこともあります。情報は国民の税金で集められている以上、その情報は国民に還元するのが公務員の務め、と考えていたからです。

 ですが、政治の世界では、別の観点からこの問題を考えてみるべきだと思います。

 首相官邸にいた経験でいうと、首相秘書官が日々目にし、耳にすることは極めて多岐にわたります。事態は刻一刻と変化するうえ、機微に触れることも多いのです。そのため、政策決定の途中経過をメモや記録に残すことはほとんどありませんでした。

 たとえば小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問した際も、訪朝が決定するまで、事前の交渉については外交担当秘書官以外、私など首相側近にも伏せられていました。首相がこの件で誰と会い、何を話していたかが逐一記録されれば、たとえすぐ公表されなくても、どこかで情報が漏れ、北朝鮮との事前交渉が壊れる可能性があった。つまり、政治の世界は官僚の世界と異なり、必ずしも記録に残せないゾーンがあるのです。

 しかしその場合も、関係者が「生きた文書」となって、後から証言することが重要です。もちろん、その際には、証言にウソ偽りはないという国民の信用が担保されていなければなりません。言いかえれば、国民からの信用・信頼をいちど失った政治家は、出処進退が問われるはずです。

 

 ところが現状はどうでしょう。まず官僚は、最終的な決裁文書まで勝手に書き換え、破棄している。その背景には、政治家による官僚人事への恐怖もあるでしょう。

 さらに政治についても、政治家にとって都合の悪い公文書を隠しているのではないか、と疑われています。政権の信用はすでに失われているのに、安倍内閣は退陣するわけではありません。だから野党やメディアは、公文書による物的な証拠を問う以外ない、という事態になっている。そこまで官僚や政治が劣化してしまったのです。

 「桜を見る会」は本来、お祝い事なのですから、招待された本人は招かれたことをむしろ公にしたいはずです。誰が参加したかなんて、公開していいに決まっている。それを「公表できない」としたことで、政治への信用はいっそう崩れてしまった、と私は思います。

(聞き手・稲垣直人)

*おのじろう 1953年生まれ。警察庁、小泉首相の秘書官、衆参両院国会議員をへて、現在、公益財団法人・日本航空教育協会会長。

②「個人情報守る」は方便だ

曽我部真裕さん(京都大学教授)

 「桜を見る会」の招待者名簿を早々に廃棄した理由に「個人情報保護」を挙げた政府の説明は破綻(はたん)しています。なぜなら法律上、政府は、行政の事務を遂行する上で必要な限りで個人情報を保有することができる、とされているからです。

 「桜を見る会」の招待者名簿は、翌年に誰を招待するかを決める際に必要で、まさに「事務遂行上必要な個人情報」です。政府はこれ以外にも膨大な個人情報を保有しており、招待者名簿だけが個人情報保護を理由に「遅滞なく廃棄」されなければならない理由はありません。

 むしろ政府の個人情報保護に関する姿勢には、少なからず問題があります。

 例えば警察庁は、究極の個人情報ともいえる被疑者のDNA型について、120万件ともされる膨大な量のデータベースを保有しています。しかし、仮に何かの容疑で逮捕されてDNAを採取された人がその後、不起訴になっても、自分の情報をデータベースから削除してもらうことは必ずしもできないのです。

 DNA型記録の取り扱いに関する国家公安委員会規則によると、データベースから削除されるのは、被疑者が死亡した場合と保管する必要がなくなった場合に限られており、本人が削除を求める権利は認められていません。

 また欧州連合(EU)は、域外の国に個人情報を移転する場合は、その国の個人情報保護の制度が十分に整っていることを認める「十分性認定」の手続きを定めています。日本は、民間部門では昨年、この認定が得られましたが、行政部門はまだ得られていません。EUの目から見れば、日本の行政部門の個人情報保護はまだまだ不十分なわけです。

 そんな日本政府が「個人情報保護」を理由に招待者名簿を廃棄したといってもにわかには信じられません。むしろ、この問題は公文書管理の問題だというべきでしょう。

 今年になって菅義偉官房長官は「桜を見る会」の2013~17年度の招待者名簿の取り扱いで、公文書管理法違反があったことを認めました。保存期間などを記す行政文書の管理簿に記載していなかったこと、名簿を廃棄した日などを記す廃棄簿への記載がなかったこと、廃棄前に必要な首相の同意手続きをとっていなかったこと、の3点です。ほかにも、保存期間意図的に短くしていたのではないかといった疑問もあります。

 公文書管理法と情報公開法は車の両輪として、行政の透明性を高めるために作られた法律です。その趣旨は、国や地方の行政の現場にはそれなりに浸透しているようですが、今の政権中枢部では、公文書管理の重要性は十分に認識されていないようです。

(聞き手・山口栄二)

*そがべまさひろ 1974年生まれ。専門は憲法・情報法。放送倫理・番組向上機構放送人権委委員。著書に「反論権と表現の自由」。

③黒塗りや廃棄、国益損ねる

和田春樹さん(東京大学名誉教授)

 歴史家にとって公文書は、政治家や官僚が残す私的な日記、手紙、メモなどと並び、きわめて重要です。私の研究者人生は、日ロ両国で公文書の非公開の壁をいかに突破するかの歴史でもありました。

 私の研究分野の一つに、北方領土問題があります。1955~56年の日ソ交渉の際、ソ連側が2島返還を回答すると、日本側が4島返還を主張し始めたのです。

 しかし、外務省は長らく、この方針変化に関わる文書を非公開としてきました。公開しても黒塗りだらけで、私は情報公開法による公文書の請求はしたことはありません。私をはじめとする研究者は、米国など外国の文書を渉猟したり、退官した外務省の元高官らを訪ねたりと努力を重ねてきました。

 重光葵(まもる)外相が55年にダレス米国務長官に方針変化を説明した文書などを、ようやく外務省が公開したのは、昨年12月です。やはり黒塗りばかりで、依然として核心部分は隠していました。安倍政権が事実上の2島返還にかじを切ろうとしている現状でも、外務省はこれまで固執してきた4島返還方針に支障があると考えたのでしょう。

 私は、今までの交渉の全経過を明らかにしてこそ、国民の批判や理解を得て日ロ交渉を前に進めることができる、公開することこそ日本の国益にもかなう、と考えます。

 日清戦争、日露戦争についても、政府や海軍は「正史」を作成しましたが、その前に「秘密の下書き版」を作り、そこから都合の悪い箇所をどんどんカットして「正史」としました。たまたま発見された「下書き版」と比べると、日本に都合の悪いと思われる箇所は大幅に削除されたことがわかっています。

 「都合の悪い資料は焼く、捨てる、削除する」という日本のやり方は、海外ではあまり聞いたことがありません

 70年代後半、私はソ連に長期間滞在し、公文書を閲覧する機会がありました。この共産国家ですら、ロシアの革命家の年金受領記録に至るまで番号を振り、あらゆる文書を保存していました。これはもちろん、すべての記録は国家が管理し、その監視下におくという思想からです。

 ソ連の崩壊後、全ての公文書が公開されました。このことは、それまで決着していなかった朝鮮戦争の開戦の経緯など歴史的論争に終止符を打つほどの影響を与えました。

 以前訪れた米国の公文書館にこんな標語が掲げられています。Eternal vigilance is the price of liberty.「永遠の監視は自由を得ることの代価」という意味です。公文書の公開を求めるという権力監視を怠れば、私たち国民の自由はいずれ侵されます。公文書というと、私はいつもこの偉大な言葉を思い出します。

(聞き手・稲垣直人)

*わだはるき 1938年生まれ。専門はロシア・ソ連・現代朝鮮史。主著に「領土問題をどう解決するか」「日露戦争」など多数。