民芸論
■民芸論「地域民芸の調査報告」2003
田中利重
昭和40年代に民芸ブームが起こり、三春張り子がもてはやされた。故柳宗悦は、日本民芸館所蔵の三春人形について「日本の人形として最も有名な、最も美しいと思われる」とし、「かうようものを見ると、日本の感覚も随分繊細な点まで進んだものである。元禄から享保あたりに進んだ文化の波が、かういう地方にもしみこんだものである。」と述べている。
さて、三春の張子の里、高柴でこ屋敷は、東北本線郡山駅下車か磐越東線三春駅下車にて車で10分ほどのところに位置する。
現在5件の部落で制作されている。明治以後三春駒のほか紙張り子を多数生産している。人形の別名は、木偶(でく)と言われ後になまってデコと呼ばれる。 人形の題材は、上方や江戸に唐人姿・歌舞伎などがあり、優れた郷土玩具として三百年あまりの伝統を受け継ぐ。また、三春駒は、坂上田村麻呂の伝説に由来し馬産地とも関わりがある。
まず、三春張子人形の木型群について述べると、明治・大正・昭和の永い凋落の中くらい失われた。その中で、獅子面は、当時訪れたバーナード・リーチの目にとまり、世界の博物館に出しても恥ずかしくないものと激賞している。
木型は木目も柔らかく彫り易い山柳の木を使い、紙を張るためアクセントの強い彫りで彫刻品としても立派なものが多い。
次に、和紙材料については、筋紙といって楮(コウゾ)を原料にした和紙の残り物で、この紙を薄い糊で4~8枚重ね貼り合わせ日蔭干しにして乾燥させる。近年になって福島県二本松市の上川崎和紙も後継者不足や生産者も少なくなり、他県から仕入れている。
木型から乾燥後和紙を取りはずすための工夫もなされている。和紙が外しやすいよう事前に菜種油を木型に擦り込み取り外す部分の彫刻のにも工夫がされている。
木型から外す場合、小刀で和紙を取り外せるよう切れ目にも木型の形を崩さないきめ細かい作業を要する。取り外した張子を接合させる膠は、下塗りに使用する胡紛(ごふん)とともに混ぜ合わせ、下塗りの材料とする。特に胡紛塗りは、紙の凸凹を十分考慮し、気泡のでることのないよう細かい注意を払い仕上げていく。三春張子復元に努力した故小沢小太郎は、胡紛塗りの難しさを述べている。
この単純な仕事のマスターには、十年以上の修練が必要だと焼物の土練りと同様、人間の手練というものの不思議さと尊さを後継者たちに戒めの言葉として伝えられている。 張子製作工程を簡単に記すと次の通りである。
1.木型作りについて
(1) 鉋による木型彫り
(2)木型削り
(3)仕上げ (*画像リンク参照)
(1) 木型に菜種油のついた布で拭く
(2)7枚ほど重ねた和紙を指で張る。特に境目がでないこと。
(3)表面に濃めの糊を内部にしみ込むようすり込む。
(4)天日か火で乾燥する。
(5)紙張子の芯になる部分を小刀で切れ目を入れる。
(6)木型を抜き取る
(7)切れ目を膠で接着
(8)胡紛塗り
(9)彩色(カシュー塗料・染料など)
(10)台の取り付ける。(檜の柾目の薄目板)
彩色技術には経験と色彩感覚に優れることが必要で、過去の優れた古人形研究を職人たちの自ら学び先達の素晴らしい美意識を身につける他はない。
日本人の本性美を失いつつある昨今、最近の観光ブームの警鐘として退屈現代人の気晴らしの対象になってはならない。
次に、三春駒について述べる。
駒の高さは、一寸五分~二寸~一尺まで10種類ある。三春駒伝説により僧延鎮が刻んで坂上田村麻呂に贈った鞍馬の原型が始まりとされる。図案は、挑戦より来日した曲場団の警備にあたり、馬具を提供した腹掛の黄色に黒の模様としている。これは、虎の皮で朝鮮虎の模様化したのものと伝えられる。
牡丹に唐獅子で殿様であった三春藩秋田氏以前の家紋と同一とされる。次に制作工程を記す。(制作工程*)
(1)朴(ほう)の木を帯鋸にて原型を切り出す。
(2)鑿を(のみ)使って形を整える。
(3)黒色の下塗
(4)模様描きの順となる。最近は、黒色に対比する白駒も制作販売している。
次に現地の作業場(販売を兼ねる)の住所を記す。調査対象は、主に2件とした。
故広吉に残される木型が残される木型が一番大い。民芸品を建設し、彫りの優れた木型保存をし、一般にも公開されている。特に広吉の母キクエの話では、永年の仕事のため右親指の第一関節が90度曲がっても無心になって生地張りを続けたことが今でも世間の噂に残るほど仕事に熱心な方であったと聞く。
人形部落で一番手広く商をしている。工人を依頼し製作量が多い。三春駒の凋落の時代相当苦労し、母イノは販売に悲痛の思い出があったという。高柴唯一の三春駒製作をする。 生地の仕入れと木工工作機械を導入し近代的方法で作業をしている。
他に橋本文雄(分家恵比寿屋)橋本正衛(本家恵比寿屋)橋本芳信(大黒屋)などがあり、ここでは紙面の都合で略する。
特に芳信と広吉は、共に三春張子復活に努力し、故小沢小太郎は、広吉と大阪まで本出家を訪ねたという。小沢小太郎は、古三春張子再現に全身全霊で取り組み、三春文化財の特集を発行するまでに至った。
年々三春張子の製作の難しさや絵付けの表現力が問われる中、後継者の問題もある。
伝統技術の維持と三春人形の素晴らしさを再度振り返り、人形を通して知らず知らず忘れ失ってきた大切なもの・・・心のふるさとに繋がる人間性について見直したい。また、現在の工人諸氏の優れた人形再現に一層の努力を払われることを切に切望するものである。
- 指導教官:尾久彰三(日本民藝館学芸顧問)
- 参考資料:三春駒とデコ屋敷 川又恒一著 ふくしま文庫S49.7.10
- みちのく古人形三春人形とその周辺S59.3.31 俵有作著 三春町民俗資料館
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