現代芸術論-2

■現代芸術論-2課題「芸術の大衆化について」

田中利重 2002.10執筆

 現代芸術の大衆化について、60年代以降のポップアートから現在までどのように変化してきたのか。近代美術の歴史には、文化的エリートの主導のもと実現してきた。美術は時代に先駆けて常に未来を予見するという神話が生まれてきた。

 しかし、70年以降サブカルチャーは裾野の文化であり、権力に対抗する反エリート的な感情が生まれ、ダダの精神も同じ立場で周囲の環境と結びついた固有の志向性を有してくる。さらに消費社会の到来はそのような事態とマッチし、突如浮上したポップアートが生まれ、マス文化的な状況と重なり合う。特に、ポッロックのアクションペインティングは、ストレートに理解できる美術であったからこそ、益々大衆にとけ込んだと言える。

 従来の美術の枠の中で蓄積された高度な技術を無視し、単純な方法で表現できるものこそ大衆化したのだろう。他にアッサンブラージュジャンクアートは、消費文化の中から生まれたクルトシュビッタースの手法を継承した表現であり、ダダという価値転換の方法が編み出したポピュラー版ともとれる。表現の方法は、伝統的な美術の上に、自分の個性と能力を強く打ち出すコンセプトを持たざるを得ない時代になった。マスメディアと工場製品が豊富に提供するイメージを積極的に取り上げ主張する時代に入ったのでである。

 特に、クリストの梱包によるアースワークセザールのコンプレッション、アンディウォーホールの写真の複製と反復による個性の記号化、イブ・クラインのボディペインティング、ジャン・ティングリーの動く彫刻など表現の変化が見て取れよう。これは、マス文化が、提供するイメージを主題とすることで、消費社会の現実を表す新しい種類のレアリスムであろう。

 作品には、見かけのポップさと裏腹にマスメディアとそれによって操作される新たな社会を冷ややかに見る眼や批判的コメントが織り込まれている。70年代モダニズムは、急激に衰徴していったが、80年代入り、現代美術がこれほど繁栄したことがないかった。

美術は公共性を帯び美術館繁栄が証明している。科学と技術が向上し、印刷や電子メディア、美術家の登場が多くなり、TV、ニュース、広告まで登場する。エドワード・ルーシー・スミスは、アメリカの美術の状況分析の中で、美術の多元的な流れと過去と現代の間の世代の共存が見られてきたことだと述べている。

 現代美術がニューヨークという中心から、地方に分散する脱中心的傾向を帯び、地方の独自性が生まれ、反ヒェラルキー的要素が表現される。また、権威として芸術は消え、ストリートアートなど世紀末スタイルが折衷され、新しい時代が準備されようとしている。

 しかも、大衆の中にアートが入り込み民主的な社会形成と共に美術も同じ状況下にあると言えよう。80年代後半、東西冷戦構造の崩壊は、大量消費と資本主義社会の繁栄により、ポスト工業化の促進とイディオロギーの対立軸を失いこのことがアートに大きな影響を与えてきたことは否めない事実である。

 特に、表現の多極化が進み表現にも欧米中心主義からアジアなど経済繁栄と重なり、アジア美術の見直しと、美術館制度のあり方は、表現の多極化を促進したという長所が見られる。

 しかし反面、大衆に迎合し大衆の趣味の共有化が表現内容の貧困化に繋がったことが指摘できよう。90年代以降に入ると、日常の環境を決定的に変化させるテクノロジーの飛躍的な進歩が起きたが、個人と社会、個人と情報との関係が把握しにくく身体のイメージは断片化され、人工的な無感覚な状況を作り上げている。

 その一例として、エイズやジェンダー(フェニミズム、ゲイ)、バイオテクノロジーへの関心、戦争、飢餓などの問題は、身体の表現と関係している。70年代のボディアートに比べ、身体は情報に変換し感情や欲望を擬態という形で抽象的作品に取り入れられる。ここには、情報の網の分泌物のようなものと篠田達美はは言っている。

最後に、美術が大衆化にどのように関わってきたか表現と社会との視点からみて、一つにパブリックアートあげると、制作者は常に社会制度や経済資金の問題がついてまわる。作品の公共性を目指し、一般市民が望むアートは、地域コミュニティから要請から形成されてきた経緯がある。例えば、カルダーが都市開発と共に最初に野外設置を可能にした作家でもある。しかし、リチャード・セラは、設置される条件制約が浮上し、都市社会が抱える問題と美術のあり方が議論された。

 このことが市民アートへの道を開く転機になった。また、ジェニー・ホルツァーも電光掲示板へのメッセージをデザイン広告にもとられる表現を政治的問題の発信する媒体手段に生かした。また、クリストも自己責任のもとアース・アートという表現で、土地、国家制度、地域住民の合意形成を含めた芸術表現の中に取り込み、脱美術館、反都会的な視野で芸術のあり方を大衆に投げかけてきた。

 さらに、ジェームス・タレルは、地球的規模、宇宙の神秘さえ芸術表現に取り込むことで環境と芸術との融合を図った。今日美術は、芸術の権威を超え市民の意識改革と社会制度問題、政治的問題にまで表現が関わってくるグローバルな課題を含んでいる。益々、現代美術は、表現の自由と生きる権利を取り戻す・・・手段になろうとしているのではないだろうか。

参考文献

  • 月刊アトリエ1991 「アメリカの存在証明」
  • 伊藤順二 パルコ出版現在美術1985.7.21
  • 美術手帳19851月号現代美術の問題点
  • アースワークの地平ジョン・バズレ 三谷徹訳 鹿島出版
  •  アメリカの現代美術 変貌する最前線 西武美術館1988.9.2-9.19渋谷シードホール
  • 美術館革命 伊藤俊治 美術館メディア研究会
  • 現代美術 アールヌーボーからポストモダンまで海野弘小倉正史2001.1.25新曜社
  •  美術手帳1995.1 p-239 世紀末の視点
  • 村田真DNP連載記事より「美術館を出てパブリックアートについて」