㈲東北古典彫刻修復研究所としての仕事でしたが、吉備文化財修復所も協力し完成したお像の御開帳です。所員みんなでお祝いに駆けつけました。
御開帳前日の法要 美しい普門坊御住職のご挨拶です
御開帳当日 境内はあふれんばかりの人の列となりました。 幸せを運ぶ 白馬に乗った はなひめちゃんは 普門坊の公認キャラクターです。平成26年4月9日 新年度になり、通勤にすれ違う学生さん達の姿も変わりました。 春を感じます。 年度末に仏さま方を送り出し、工房は少し寂しくなりました。平成26年2月20日 今年に入ってから1月は山形県や静岡県毎週出張でした。 例年に比べ来客も多く 2月からは新しいスタッフも迎えることになり賑やかになりました。
研究者の来訪 完了した仕事の報告打合せ
平成25年12月23日 11月は10月に続き、美術館内での 1泊2日の出張作業でした。 ラジオの取材を受け2時間ほど しゃべったものが15分ほどに 編集され放送されました。
11月20・21日現地(平成25年10月26日)4年間かけて行った仕事の追加作業です。 一部は現場でやることになり 1泊2日の出張でした。 今回は美術館内での作業なので 現地での出張仕事は、管理者や観覧者との交流の場でもあり 修復に対する希望や反響を生で聞ける 貴重な場ともなりました。 美術館内での作業場設営。 明るく広さもあり、とても仕事のしやすい環境でした。 館の関係者や、町長さんもわざわざお見えになり、 取材もあり、山形の普門坊(馬頭観音像所蔵)関係者も偶然来館し この像達を守り続けていた保存会の方々とも 久しぶりにお会いすることが出来ました。
これが美術館内から見た昔の薬師堂です。 寺院の機能が消滅してから、周辺の方々が 保存会を作り中の仏像群を守っておりました。 町の美術館に仏像群を移管してから、 保存会は解散したそうですが 周囲の方々との繋がりがとぎれることなく 続いて欲しいものです。 それこそが、文化財保存の真の目的であり意味なのですから。平成25年7月26日今年度予定の仕事がすべて出そろいました。 ちょうどタイミング良く 日本美術史の重鎮、水野敬三郎氏が来訪されました。 いつお会いしてもお元気で 仏像に対する研究心は衰えが見られません。 今回も多くのことを学ばせて頂きました。
(平成25年7月25日工房にて)
平成25年4月20日
普通よりもピンク色の濃い藤棚 新年度の仕事が出そろって来ました。 今年度は比較的小さいものが多いようです。 先日は静岡の海の近くの寺院にお像を引き取りに行きました。 珍しいピンク色の藤が見事な花で、ネコと一緒に我々を迎えてくれました。 —
本体も傷みはひどかったのですが、台座も半分解体状態で 降ろすのに手間取りました。 (平成25年4月16日現地で)
平成25年3月31日
慌ただしい、年度末が終わりました。 10日間で4件の搬入作業をこなす結果となりましたが どうにか、無事に終わりました。 下はその最後の仕事の搬入場面です。この日も好天に恵まれました。
地区管理のこのお堂からは お像の搬出時にバラバラの台座部材と光背が発見されました。 光背はほぼ全て残っており 台座は各段が、わずかづつでも残っていたおかげで みごとな九重の蓮華座が復元出来ました。 20人以上の方々のにぎやかな出迎えを受け 140年ぶりに自分の台座と光背を備えることが出来た 阿弥陀さまは 自分を守ってきてくれた地区の人々に囲まれて 大変嬉しそうに見えました。平成25年2月19日
年に一度、筑波大学での講義を今年も行いました。 「世界遺産論」という、一日だけの大学院授業科目です。 留学生も多く、質問も活発で楽しい授業を構築出来ました。 若い人達から元気をもらい、怒濤の年度末を乗り切らねばなりません。
平成25年1月30日
1月もはや終わろうとしています。 年明けから山形長井に2度、会津地方に1度出張し 現地での作業や調査をしてきました。 喜多方のお寺では、雪の中、震災で傷んだ本堂の工事中でしたが 「会津でも地震の被害があったんですか?」 と観光客に尋ねられることに、御住職はおかんむりでした。
平成24年12月30日
12月は9月に引続き愛知芸大で集中講義をやりました ほとんどマンツーマンの贅沢な授業でしたが 仏像修理や保存、技法の話だけではつまらないので 木彫で仏像の指を1本だけ彫ってもらい、金箔貼り体験も加えました。 下塗の色で箔の雰囲気が変わることも理解出来たようで ちょっと面白い資料を持って帰ってもらいました
忙しさにかまけ、少し書き込みが遅くなりました
12月24日夜、岡山市の金山寺が火災になり、重要文化財の伽藍が焼失しました 県指定文化材の阿弥陀如来像も失われたとのこと 大変悲しいことです –
本堂火災現場と消失したと見られる像 (写真は山陽新聞ウェブニュースより)肉厚の薄い平安後期の像ですと、あれだけの火災になると残りようが無いようです 残念です山形の大学在職中に、熊本県阿蘇にあるお寺の本堂清掃と仏像整理確認に 仕事場スタッフ、学生10名程でお手伝いに出掛けたことがありました 数十年来のゴミや埃を片付け、その中から仏像の断片や部材を探し出し 庫裡に運んで整理をしたのです 20体以上の仏像部材は、分別していつの日か修理出来るよう 庫裡で保管することにしました それから2ヶ月も経たぬうち、現地から本堂が全焼したという連絡が入りました 写真を見ると、今回の金山寺同様に炭化した黒い柱が 立ち木のように立っているだけとなっていました 不審火だということでした その時は、本堂ともども中にあった県指定文化財仏像数体が焼失しました 我々が移動した仏像断片だけは 離れた庫裡で無事だったということですが 自分達が関わっただけに、大きなショックを受けました 岡山出身の人間として、なにかできることがないものかと思っています 平成24年11月10日 四年がかりの仕事を映像記録している監督が来訪され 撮影して頂きました 監督は80才というご高齢にも関わらず バイタリティあふれ 仕事場を撮影所に一変させました
平成24年10月12日
古い知り合いがイギリスからやって来て 講義をされました 額縁(フレーム)の修復家ジョック・ホプソン氏です このところ吉備文化財修復所でも、仏像だけではなく 年に一度大きな額縁の修理を依頼されることが続いています 日本では、絵画の額縁は意外と市民権を得ておらず、添え物扱いで 壊れたら歴史のあるものも直すよりは廃棄され 新しいものに買い替えられることも少なくないようです このことには、心ある修復家は問題視しているようで 材料や形状の変遷を細かく概説してくれた今回の講演は 大変タイムリーな企画であったと言えるでしょう
中央の白髪で白いシャツの方がホプソン氏です 彼は日本古武道合計20段の日本通で 日本語で講義して下さいました 平成24年9月10日暑い日が続いておりましたが、さすがに朝夕は涼しくなって来ました。 節電の夏を無事に乗り越えられ、ほっとしている方々も多いことでしょう。 予定外の遠方からの依頼もあり、秋の訪れとともに、いよいよ仕事も忙しくなって来ます。平成24年8月10日二度あることは三度あるといいますが 本当でした。 本堂の耐震工事にともない、内部の仏像を移動して欲しい とのご希望を受け、作業をして来ました。 このお寺でも、棚の下や本堂のそこここから 仏像の部材や、使われていない仏像の台座が出るわ、出るわ。 今回は、前の二例と異なり、行き場の分からないものが多く とりあえず、お像の仮安置場所に整理して来ましたが 本堂完成後には、多少なりともなんとかしたいものです。
仏像の移動作業
— 仏像部材等の整理、使われていない台座や、壊れた光背 小さな四天王像まで 様々でした。平成24年7月10日 3年継続の最終年度の仕事を引取に行きました。 同じようなことが続くものですね。 ここでも、いままで見過ごされていた箱が、突然現れ 仏像の部材が出てくるわ、出てくるわ。 今回、立ち会ってくれた方々のおじいさん達の世代が、保管していたものです。 昭和11年の新聞に包まれたこれらは、75年もの間 日の目を見ることなく、以前のお堂の片隅に仕舞われていたそうです。 搬出の前に、急遽200点ばかりの部材確認をすることになりました。
– 出て来た部材の数々/右は二組の腕
ふたつの腕はぴったりとこの像に合いました。部材の行き先が、全て分かったわけではありませんが、 それでも、今まで直したお像のうちで無かった腕や手先も見つかりました。 折角、保存してきたお像をひとつでも多く、完全に近い姿に戻せるとしたら 今まで苦労して来た地区の人々も こんなに嬉しいことはないのではないでしょうか。直している我々としては ちょっと、後出しジャンケンにあったような気もしますが なんとか全ての部材を、元のお像に戻せるように前向きに考えて欲しいものです。平成24年6月31日
暑さとともに仕事が回り始め、 6月は学会発表もあり 工房で雑誌の取材も受けております。
— (取材風景 6月15日工房にて) 7月14日 学研より発売される『CARTA 第4号』に 工房作業風景が取り上げられる予定です。 ぜひご覧下さい。平成24年5月31日
忙しかった3月の反動で、4月は少しのんびりさせてもらいました。 そろそろ新しい年度の仕事が動き始めます。 今週初めには、搬出に行きました 地区管理なので、地元の方々への修理についての説明会を開きました。 14〜5人の方が集まり、この地域の関心の高さを あらためて感じました。10年以上のお付き合いのお堂です。 いろいろの懸案をかかえながら、やっとこの日を迎えました。 — – のどかな搬出と思っていましたが、安置されていた棚の下から 保管されていた仏像や台座・光背の部材が 大量にでてきたため、大幅に作業延長をして 全ての棚下を確認しました。 そのかいあって、関連した台座部材を相当量発見しました。 帰りは爆弾低気圧の風神雷神に見送られ、珍しく土砂降りの工房ご来臨となりました (平成24年5月28日現地にて)平成24年3月29日
年度末なので搬入や搬出が立て続けとなりました。 継続している十二神将像の2期目の修理を終え4体の搬入をしました。 明治の神仏分離以降、山里のお堂で地区の人々に管理されていたほとけ達も 時代の流れの中で、近くの小学校跡地にできた新たな保存の場に移動することになりました。 仏像が単に文化財とのみとらえ、信仰空間や周囲の人々から切離され 単なる展示物になるのであれば、 活きた文化財の剥製化であり 文化財保護の本来の趣旨から外れるものであり、賛成はできません。
しかし 多くの寺院が明治5年、学校令が公布される中で小学校と神社に地を譲ったことを思えば、 おそらくこの地も、明治初年まで寺域であったと考えられる敷地です。 もし彼等が元の自分達のいた地に戻れたのであれば 喜ばしいことですし、 ほとけ達の身になって考え、長い歴史の中での、彼等の過酷な過去を振り返れば 少し安心できる場で、しばらくゆっくりしてもらうのも良いのかな と思います。 また再び皆の心からの祈りを受け活躍できる日まで。
— — (平成24年3月23日現地にて)27日には、磐田市の見付に仏像を引き取りに行き 上のことと少し関連したものを見る機会がありました。
(平成24年3月27日現地にて) これがその寺院のすぐ側にある、現存する日本最古の学校校舎です。 明治8年に完成し、現在旧見付学校として国の史跡になっています。 隣に鳥居があり、神社があるのが分かると思います。 23日に搬入した小学校跡地の施設の隣にも、神社があったことと符合し 興味深いですね。 見付学校は記録では宣光寺、省光寺を仮校舎として始まった、 とありますが 敷地としてもそれらの寺の土地を上地(じょうち:国家による没収、返納) して用いたのでしょう平成24年3月13日
年度末はいつも仕事が重なり、めまぐるしい日々が続きます。 今年は通常の作業の他に、震災関連で引受けた仕事や 現地での応急修理もあり、気を抜けない毎日です。 今月初めは、久しぶりに風邪を引いて寝込みましたが 幸いにも休日だったため、仕事に穴を空けずにすみました。 「はじかみのおてら」気仙沼地福寺の仏像6体も 無事に納めることができました。
(平成24年3月8日現地)
平成24年2月29日
平成24年1月26日
昨日は久しぶりで大学の講義をしてきました。 筑波大学世界文化遺産学は大学院だけの学科ですが その修士1年生の必須授業「世界遺産論Ⅲ」です。 この学年は20名弱全員が女性で、文化財科学、自然遺産、建築、観光など 文化財、歴史遺産に関わるさまざまなアプローチが 可能な仕組みとなっているそうです。 中国からの留学生もおりました。
今回、行ったのは 「古典彫刻の修復—-地方の文化財保存—-仏像の継承と意味」という題で 「文化財の継承」を考えることをテーマとしたものでした。 仏像修復の話がきっかけになり 修復に興味をもってくれる学生さんが 出てくれると、私としては嬉しいのですが。
授業風景(春日プラザ内講義室) 同行した工房のスタッフと、実験室を見学させて頂きました。 さまざま高額な分析機器が並んでいました。 中でもこのデジタル顕微鏡がもっとも身近で 役に立ちそうなものでした。 蒔絵の金粉を拡大して見ましたが、積層写真を3D化できるので 砂粒ほどの金粉が、岩石を横から見ているような処理ができ その画像に圧倒されました。 日々、科学機器が性能向上、小型化していることを あらためて実感しました。 (写真は平成24年1月25日 筑波大学にて)平成23年12月30日
しばらく書き込みが出来ませんでしたが やっと、年内の予定が終わりました。 急な話でしたが、25日に気仙沼に行きました。 (気仙沼報告3をご覧下さい)
27日には2年がかりで修理をしていた 平安時代中期の仏像群4体を、搬入して来ました。 車で往復11時間という、めったに行くことが出来ないような土地ですが 当日は天気も良く、山里のお堂の風景と、待ちわびていた方々との 囲炉裏を囲んでの食事は、日本昔ばなしに出て来そうな風情でした。
(平成23年12月27日現地)平成23年11月30日
10年以上にわたり、毎年継続していた仕事がとうとう終わりました。 山の上に運び上げ、安置するという年中行事もこれでおしまいです。
終了後、地元の方々が修理の報告会を設定して下さり、 スライドを使いながら40人ほど集まった人達に 修理報告を行いました。
(平成23年11月8日 現地と会場の自治会館)平成23年10月31日あっという間に ひと月終わり、いよいよ今年も終盤です平成23年9月29日現在、修復中の仏像を 所有・管理をしている方々が、見学に来ました。 長年、維持管理にご苦労されていたこともあり 皆さん修理の工程説明を、大変興味を持って聞いて下さいました。資料を使っての、技法説明には 質問も沢山投げかけられ、大学で行う講義とは異なる、 熱心な会話のやり取りは、気持の良いもので、あっという間に 1時間半が過ぎてしまいました。 「面白かった」「充実していた」「来て良かった」と喜んで帰って頂け 準備を手伝ってくれた所員一同にとっても、実りある一日でした。 — (平成23年9月28日) *なお、この見学会のことが東京新聞(静岡版)9月30日に紹介されています。平成23年9月18日なんとか、節電の夏を乗り切ったものの いつまでも暑い日が続いております。数年前から、四国高知で作っている 世界一薄い和紙(典具帖紙:「ひだか和紙」製)を 仏像修理に応用しています。 平成19年、浅草寺仁王像の表面彩色修理にも用いましたが その後、そのことが大きな話題になっており、繰返し新聞・テレビ等で 取り上げられて来ました。
(平成19年 現地作業状況) これに関して、先日またテレビ取材の撮影が入りました。
(平成23年8月24日)平成23年8月10日
台座の改修作業です。 儀式のために少し高さを上げる必要があり、台座の不足部分を補い 新たに安置台を作製致しました。 限られた予算の中で、周囲と調和させ 品よくまとめられたのではないかと思います。
現地 観音講堂内
今回制作した安置台と改修した台座平成23年8月5日一年がかりでやっていた、個人蔵の小さな千手観音像とお厨子の修理が終わりました。 江戸時代の前期に作られた、像高30㎝にも満たないこの像は ある意味、仏像制作史上、最高の技術が用いられて作られたものかも知れません。失われていた脇手38本と持物の全て、蓮弁の大半、光背の一部、 全て亡くなっていた厨子の金具 これらを新しく補うのは、楽しい仕事でした。 現状維持ばかりが強調される指定文化財の修理ってなんなんだ? と、あらためて問いかけたくなる仕事でした。 詳しくは作業内容をご覧下さい。
–掛け金具と蝶番–平成23年7月31日
堂内荘厳のため、新しく作った雲中供養仏6体を 取付けに行って来ました。 小さな像ですが、ただの板張りだった壁面が 違った空間になりました。
–1号像–
4号像–取付け状況–平成23年6月31日
継続修理している仏像の搬出に行きました。 いつも記録のための撮影が入り賑やかです。
梱包(現地撮影平成23年6月29日)平成23年5月31日
珍しくいつもと違う仕事を頼まれました。 洋画の額縁の修理です。 1ヶ月程お預りしての短期間の作業でしたが 普段使えない技術を駆使し、楽しくやらせて頂きました。 知り合いの洋画修復家何人かから聞きましたが、 額縁というのは、日本ではいまだ充分な市民権を得ていないらしく 数量の単位も「枚」「面」「個」「点」と 工房や人によってまちまちでした。
—欠損部の補い–
修理前–
–修理後–平成23年4月27日余震の影響もあり、落ち着かない日々です。
昨日は、十年近く継続している仏像群の、搬入と搬出に行って来ました。 いよいよ今年度が最後になります。 車の上がれない、新緑に囲まれた、山の上での作業は清々しく 久しぶりに心が解放された、ひと時でした。
現地
搬出- (平成23年4月26日)
平成23年3月26日
気仙沼の知り合いの寺院が被災されたので3月23日 現地に支援物資を運んできました。 神戸の震災とは全く異なった、津波の被害でした。 言葉もありません。 報告の詳細は気仙沼報告をご覧下さい。
下は3年前現地