鏡餅

■ふくぶくしく鏡餅

 本格的な鏡餅の飾りつけをご紹介。江戸時代より武家の作法を指南してきた小笠原家の小笠原清忠さん。腰が曲がるまで長生きの願いを込めて築地から取り寄せた伊勢エビ。代々受け継がれるようにと、橙(だいだい)。昆布は「よろ こぶ」、豊作を願って「ほだわら」という名がついた海藻など縁起をかついでいます。壱のツボ 神様の数だけ お鏡さん

■京都の風習

12月になると鏡餅作りが始まり。こだわりは、輝きを放つ美しい艶(つや)です。表面の粉が吹き飛んだ下からまさに鏡のような肌が現れました。京都では「お鏡さん」と呼ばれ、その飾り方も独特です。昆布、橙(だいだい)に加え真ん中に干し柿が添えられています。代々伝わる鏡餅を飾る山口俊弘さん。「柿は喜ぶに来ると書いて嘉来。全部で10個あるんですけども中の6個と端の2個が別れてます。これはいつもニコニコ、仲むつまじくの意味。」1つ目のツボは、「神様の数だけ お鏡さん」おくどさんにしつらえた鏡餅です。三段もありました。

▼かまどの神様はふたり

 奥津姫神(おくつひめかみ)と奥津彦神(おくつひこかみ)。そして火の神様の迦具土神(かぐつちのかみ)。「三宝さん」と呼んで、お祭りするのです。さらに山口さんが手にしている小さな「お鏡さん」。10センチにもみたない高さで星が付いてるようだから「ほしつきさん」。家のあちこちにお供えします。

▼井戸の神様

 囲炉裏(いろり)の神様に京都には神さんの数だけ美しさがありました。弐のツボ 加賀百万石の天晴(あっぱれ)!加賀百万石の城下町、金沢には珍しい鏡餅が普及しています。金沢では紅白が一般的。その起源は明らかではありませんが、一説には江戸時代の加賀藩の意向だと言われています。北陸大学教授 小林忠雄さん。

 小林「徳川幕府になってから白。江戸中全部白ですから。
加賀だけがなぜか赤い紅白のお餅を使ったということで、それが継承されてきた。外様大名というのは、どこかね、江戸に対抗している。
徳川家に対抗する・・・」

▼加賀藩主、前田家の思いが込められた鏡餅。

 宮司 田邊良和さん。田邊「江戸時代に前田家に奉納されたと言われる鏡餅でございます。」大きな筒状で紅白14段重。みずからの権勢を示そうと作られたかのようです。この藩主献上(はんしゅけんじょう)の様式が城下町の餅に影響したと言われています。色だけでなく、そして上下の大きさも。直径をわずかに変え、厚さを違えてどっしりとした感じを醸します。歴史が育んだ個性の鏡餅です。

■岩手県一関市。餅をたくさん消費。

 3つ目のツボは、「鏡餅でもてなしてお迎えする」120年続く米農家です。お正月の準備にお邪魔させていただきました。鏡餅づくりは玄関の土間で行います。自分の田で収穫したばかりの新米を使います。臼や杵(きね)ももちろん自家用です。この地に嫁ぐ時にまず覚えるのが鏡餅作りだと言います。この地方のお供えのしかたにはある工夫があります。なんと、しめ縄をかけたら立派な飾り棚に

 米農家の小山邦彦さん。

 小山「お米をつくにしても何にしても、臼と杵にお世話になる話ですんで、臼を休ませるって形ですね。」臼と杵にも感謝をして、一番につきあがった分を神様に差し上げます。餅だけでごちそうだから、何も飾らないのが一関流です。

 玄関の土間で神様とお正月の客 鏡餅は玄関で訪れる者みなを迎える。形はさまざまなれど、心はふくぶくしく。新しい年を喜ぶ鏡餅です。