カメラの歴史(カメラのれきし)は、アラブの科学者イブン・アル=ハイサムの『光学の書』(1021年)にピンホールまたはレンズでイメージスクリーンの上へ外の風景を投影する装置カメラ・オブスクラの記述まで遥かにさかのぼることができる。
カメラ・オブスクラ
最初の撮影
最初の固定された写真は、パリでチャールズおよびヴィンセント・シュバリエによって製作されたスライドする木箱型カメラを使ったジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによって、1826年か1827年に撮られた。ニエプスは、銀とチョークの混合物に光を当てると黒くなるというドイツの解剖学者ヨハン・ハインリッヒ・シュルツによる1724年の発見を基にして、ピューター(鉛とすずの合金)板をアスファルトピッチで被覆し、プレートを光にさらすことによって最初の写真を撮った。ピッチは光が当たったところが硬化し、硬化されていない部分は後から溶解された。これが写真撮影の端緒である。
ダゲレオタイプとカロタイプ
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールとジョゼフ・ニセフォール・ニエプス(ダゲールのパートナーであったが、彼らの発明が完成する前に死去)は、1836年に最初の実用的な写真技術ダゲレオタイプを発明した。ダゲールは銅板を銀で被覆し、そして感度を上げるためにヨウ素蒸気に晒した。画像は水銀蒸気によって現像して、塩の溶液で定着された。
ウィリアム・フォックス・タルボットは、1840年に別のプロセスカロタイプを完成した。両者ともツァーンのモデルとほとんど変わらないカメラを使い、イメージを記録するためにイメージスクリーンの前に感光板または感光紙を置いた。焦点調節は通常スライドする箱で行なった。
写真乾板
1871年にリチャード・リーチ・マドックスが写真乾板を発明し、カメラマンは既製品を使うことができるようになった。また、初めてカメラは手持ちに充分なほど、または隠すことさえできるほど小さくなった。携帯カメラからフィールドカメラまで、いろいろなデザインが激増した。
また感度の向上により、露出時間が短縮されたことにより、シャッターが必要になった。最初のシャッターはカメラから独立したアクセサリーであったが、1900年頃までにカメラに内蔵することが一般的になった。
コダックとフィルムの起源
写真フィルムの使用はジョージ・イーストマンによって始められた。彼は1885年に紙フィルムを製造し始め、1889年にセルロイドに変えた。彼の最初のカメラNo.1コダックは1888年に発売された。それは固定焦点レンズと一つのシャッター速度による非常に単純な箱型カメラだった。そしてその比較的安い価格が平均的な消費者にアピールした。コダックは100枚の露出のためのフィルムを予め装填してあり、ロールが終わった時に処理と再装填のために工場に送り返される必要があった。1900年頃までには、イーストマンは彼のラインアップをボックスカメラと折りたたみカメラを含む数モデルに拡大した。
1900年に、イーストマンはスナップショットの概念を提供した単純で非常に安価な箱型カメラブローニーで大人気を得て、さらに一歩大衆市場に踏み出し、様々なモデルが1960年代まで発売された。
イーストマンによって可能にされる低コスト写真撮影の進展にも関わらず、乾板カメラはまだより高品質のプリントを提供して人気があった。ロールフィルムカメラは装填ごとにより多くの撮影を可能にしたが、それと争うために、この時代からの多くの安価な乾板カメラは数枚の乾板を入れるために、マガジンを備えていた。乾板カメラのためのフィルムパックまたはロールフィルムを使うことができる特別なバックもあり、ロールフィルムカメラが乾板を使うのを可能にしたバックもあった。