荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年(昭和15年)5月25日 – )は、日本の写真家であり、現代美術家である。「アラーキー」の愛称で知られ、丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。
概要
父・長太郎は下駄職人だったが、近所でも有名なアマチュアカメラマンとして活躍し、荒木がカメラマンになるきっかけを与えた。また生家の近所には「投げ込み寺」として有名な浄閑寺(吉原参照)があり、その存在が彼の死生観を決定付けたと語っている。
写真集の発行点数がきわめて多い写真家であり、私家版を含め、400冊以上の写真集を発表している。ヌード写真や近年では少女をも含めた人物写真を得意とするが、花などの静物写真、東京を対象とした都市写真の作品も多い。人情味溢れるスナップ写真でも有名である。
尊敬する人物は岡本太郎。好きで好きで堪らなかったが遂には太郎にレンズを向ける機会に恵まれなかった。2006年、岡本太郎の正体をつかむ為彼の作品達をカメラに収めることを決意した。
1990年に亡くなった妻、陽子を撮影したことで世間に衝撃を与えた。この写真を発表した写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』をめぐって、意見が対立した篠山紀信としばらくのあいだ絶縁状態が続いた(→「センチメンタルな旅・冬の旅」論争)。2006年9月には、ベルギー・シャルロワの写真美術館にて個展を開催中に、美術館外壁に貼られていた女性の写真に火炎瓶を投げつけられる事件が起きた。
弟子に写真家野村佐紀子がいる。ダンサーのKaoRiとは2002年ごろから共同作業をおこない、生涯のモデルとして長期の撮影を続けている。写真の他、アラキネマと題したビデオをQuest社から発売している(アラキネマとはスライドを2台使い、交互に上映することを荒木流に言ったもの。AaT RooMの田宮史郎と安斎信彦の二人の操作と、安田芙充央のピアノによって構成される)。1981年には日活ロマンポルノ「女高生偽日記」を監督し、自身も出演。また荒木と妻の共著を原作とした映画「東京日和」(監督・主演竹中直人)では、本人も駅員の役で出演した。
主な写真展
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「わが愛・陽子」1976年、銀座ニコンサロン
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「センチメンタルな写真、人生」1999年、東京都現代美術館
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「森山・新宿・荒木」2005年、東京オペラシティーアートギャラリー
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「私・生・死(Self・Life・Death)」2005年、バービカン・アート・ギャラリー(ロンドン)
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「東京人生」2006年、江戸東京博物館
経歴
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1940年(昭和15年) – 東京市下谷区(現東京都台東区)三ノ輪生まれ。
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1959年(昭和34年) – 東京都立上野高等学校卒業。
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1963年(昭和38年) – 千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通に宣伝用カメラマンとして就職。
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1964年(昭和39年) – 写真集「さっちん」にて、第1回太陽賞受賞。荒木の名を世に知らしめるきっかけとなった。
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1971年(昭和46年) – 同じく電通に勤務していた青木陽子と結婚。
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1972年(昭和47年) – 電通を退社。フリーになる。
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1974年(昭和49年) – 東松照明、細江英公、森山大道、横須賀功光、深瀬昌久らと「WORKSHOP写真学校」の設立に参加。
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1988年(昭和63年) – 安斎信彦、田宮史郎と事務所「AaT ROOM」設立(三人の頭文字から命名)
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1999年(平成11年) – 織部賞を受賞。
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2008年(平成20年) – オーストリアより科学芸術勲章を受賞。
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2011年(平成23年) – 安吾賞を受賞。
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2013年(平成25年) – 毎日芸術賞特別賞を受賞。