坂 茂
『世界が注目!紙の建築、災害住宅…“役に立つ建築”に挑む男』
(2013年6月13日放送 22:00 – 22:54 テレビ東京「カンブリア宮殿」)
2011年2月、ニュージーランドを襲ったM6.3のニュージーランド地震。あれから2年後、街は廃墟と化しておりシンボルだったクライストチャーチ大聖堂も無残な姿となっている。この大聖堂の代わりとなる建物の建設がスタートしており、現場には日本人・坂茂さんの姿があった。坂茂さんは設計を携わっており、再びシンボルを建てたいとしている。坂茂さんは建築家で代表作はフランスにある「ポンピドゥー・センター・メス」、総工費60億円がかかっている。坂さんはこの建物でフランス芸術文化勲章を受賞した。他にもドイツの「ハノーバ国際博覧会日本館」を設計、この建物ではベルリン芸術賞と世界建築賞を受賞している。クライストチャーチ大聖堂に代わる建物は世界的にも珍しい建築物で屋根には紙の筒が使用されている。坂さんは紙管を使う理由として値段も安く手に入りやすいとしている。更に、彼は超一流でありながら被災地を支援する建築家として知られており、今回の設計もボランティアだという。
坂さんが被災地を支援する建築家となった経緯を紹介。1994年にルワンダ大虐殺が発生、この時にアポ無しで国連機関に乗り込み紙管を使ったテントの建築を提案、この行動により多くの人がテントを手に入れた。その後、スマトラ沖地震、四川大地震、ハイチ大地震など様々な被災地に向かい紙管での建築を行なった。村上龍は坂茂さんについて、ボランタリーの嫌らしさが全く無く自分のために行なっている。なので清々しい気分になり、このような人に国民栄誉賞を授与したほうが良いと話した。坂茂さんは”人の役に立つ建築家でありたい”との信念があり、このきっかけとなったのが阪神・淡路大震災。公園で野宿をしていた人らのために紙管での仮設住宅を作り、更に紙製の教会「ペーパードームたかとり」を作りあげた。そして2011年の東日本大震災では紙管で間仕切りを作り50以上の避難所で使われた。スタジオで坂茂さんが紙管で作った間仕切りを紹介。紙管どうしをくっつける際はガムテープを使っているため、簡単に解体できてリサイクルにも使えるという。
これまでの坂茂さんの主な被災地支援の実績を紹介。1994年のルワンダ大虐殺を初めに、トルコ北西部地震、ハイチ地震など海外だけでも10箇所となっている。坂茂さんが被災地支援で設計料を貰わない理由について、自分の生涯の社会的な役割として行なっているもので、設計料を貰うと手続きを行なう時間が必要となる。緊急時はすぐに行動を起こさなければいけないため、設計料をもらっていないという。被災地支援をする世界的建築家の坂茂の坂茂建築設計は東京・世田谷にある。この他にもパリとニューヨークに事務所があり、東京だけでも20件以上の仕事を同時進行で進めている。東京・銀座の一等地にはスウォッチグループジャパンの本社ビルを設計した。坂茂は、幼少期に建築に興味を覚えて建築の名門であるクーパー・ユニオン大学を卒業した。紙の建築家と呼ばれるようになった発端は、展覧会の会場設計で紙管を使ったことから始まった。しかし、建築基準法では構造材は鉄や木材などに限定されていた。紙管を使うために強度実験や紙の家を作って、紙管の強さを証明して、紙管は建築資材として認められることになった。
埼玉・上尾市ので紙管を専門に作る三協紙業を訪れた。太さや長さは自由に調節が出来て、再生紙から作られると製造過程を説明した。紙管は本当に強いのか、強度実験を行った。大人3人が乗っても重傷1.6トンの車が乗っても変形もしなかった。坂茂は紙管を様々なものに使ってきた。坂茂は紙のドームや三宅一生の紙のギャラリーなど、常識にとらわれない発想で建築の可能性を広げてみせた。坂茂は実際に紙管を持ってきて、どこででも手に入ると説明した。村上龍は、紙管は合理的だったから使っているのかと質問をした。坂茂は、環境問題のブームで使い始めたわけでははなく、たまたま捨てられなかった紙管を使って強度が良いことがわかったと話した。また、坂茂は世界中で仕事をすると格好いいだけではなく論理的に説明できる必要があると話した。世界中で被災地支援を続ける坂茂は、宮城・女川町に向かっていた。坂茂は、基礎の杭ごと流された建物に驚いたと話した。坂茂の設計した仮説住宅は3階建てで9棟に189世帯が入居している。3階建の仮説住宅は初めてのことで、コンテナを使用して造っていた。使用感を聞くと、ずっと住んでも良いくらいだとの答えが返ってきた。中をみると開放感があり、収納棚も多かった。
坂茂は女川町役場に町全体の復興プロジェクトも任された。全体の完成までは8年がかりとなる。須田善明女川町長との話し合いでは、更地の場所に女川駅と駅前商店街の設計などについて話した。また、安倍総理も視察に来ており、坂茂が説明を行った。さらに教授を務めている京都造形芸術大学の教え子を復興プロジェクトに参加させるという。復興の被災地支援と町を作ることは大分違うのではないかという質問に、坂茂は復興に携わりたいとはもともとは思っていなかったが、女川町では町長を含めて町全体と仲良くなったことがきっかけで始めたと話した。また、教え子を復興プロジェクトに参加させることは、自分たちがどういう社会的役割を持っているのか学生時代から知ってほしいと説明した。坂茂の原動力はヒューマニズムだけではなく職業意識であると話題になった。
5月、内閣府の古屋防災担当大臣は南海トラフ巨大地震の被害予測を発表した。建物被害は238万棟、最大950万人の避難者が出ると予測された。そんななか、坂茂は大和リースの森田俊作社長らとタッグを組み、災害に備えた新しい住宅システムの発表をした。坂茂の考えた住宅システムは海外に大量発注して、普段は低価格住宅として販売し、災害が起これば仮説住宅として供給するというものだった。大和ハウスグループが大震災で供給した仮説住宅は1万戸余りで、いざというときには足りなくなる。坂茂は大和リースとタッグを組んだ仮説住宅について、次に地震が起こると供給できないため今から考える必要があると説明した。
こうした現状について、専門の業者だからこそ分かることもあると話題になった。残るものには興味があるが、人に愛されるものと一番必要なものを作りたいと話した。何が仮説で何が半永久的なものかは、その建築が愛されるかどうかで変わると説明した。村上龍は建築という表現のカテゴリーが嫌いで、東京都庁は都民に奉仕する公僕が働く場所として豪壮な淡麗な建築物が必要なのか疑問に感じている。しかし、坂茂さんの建築は建築家としての知識・技術・経験を人々のために使っており、建築は真に民主的なものへと姿を変えたとしている。
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