だがこのことは,アジア大陸の東のはずれの島国である日本にとって,むしろ当然のことである。日本の文化とは,アジア文化の吹き溜りともいえよう。にもかかわらず現代の日本人は,そうしたアジアとの歴史的な連帯性よりも,もっとヨーロッパやアメリカとの今日的な連帯性の方が強いと,幻覚しているのである。わたしはこの幻覚のうえにたって,純粋な日本を主張し,純粋に日本的なかたちを探す姿には疑問をもつものである。こうした戦後の日本文化論は,共産圏と非共産圏という,それぞれの政治的な連帯性を,文化の連帯性と混同する危険を蔵している。そして戦前の多くの日本文化論はまた,先にあげた時間の座標系を,いわば国粋的に,日本に限って設定したところで行なわれていると思う。わたしたちはこの座標系を,アジアとの連帯性をも意識したという意味で,こころもちゆるく選んだのである.それはこの本の題名「日本のかたち」が,Formso of Japan と解されるよりは,Forms in Japanである方がふさわしいという,わたしたちの気持ちになってあらわれている。