二川幸夫

■二川幸夫

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 「日本の民家」から始まった私の仕事も,早いもので,もう,7,8年にもなろうとしています.自分の仕事の殆どを,単行本でいく方針をたてた私は,いくつかの企画を併行させて進めていく方法を取ってきました。

 「日本の民家」で日本中を歩き まわっていた頃,ふと,日本のかたちをまとめてみようと思いつき,仕事の合間に,撮り続けて,かなりの量になったとき、これらの写真をどのようにまとめ上げれば,日本のかたちの論理的証明が,無理のない形でできるか,写真をかかえて途方に暮れていました。丁度その頃,神代氏に会って,いろいろ話しているうちに,一つやってみましょうという嬉しい御快諾を得,始まりましたものの,いつのまにか,1年が過ぎ,2年が過ぎして,これは,大変なことになりましたねと二人して仕事の難しさを嘆じ合ったものです。

 実に,この本が出来上がったのは,神代氏のねばりのおかげです.それた,レイアウトの細谷氏とは,世界デザイン会議で知りあい,氏のかたちに対する造詣の深さをしり,是非にと頼みこんでレイアウトして頂きました.丁度,この本は,三人兄弟が力をあわせて作ったようなもので,兄弟の力をかりなければ,とても出来上がらなかったものと感謝しています。おわりに,いつもながらの私のわがままを通して下さった大下正男社長に心からの感謝を捧げます.

■神代雄一郎

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 二川幸夫さんから,「日本のかたち」をまとめませんかと誘われたのは,もう5年もまえのことである.その頃,「日本のかたち」という魅力的な題名の写真記事がチラホラみえほじめて,二川さんもやっていた。ちょうどわたし自身も,東京の外来モダニズムにいやけがさして,地方まわりをはじめていた。そこで昭和55年春,東京で開かれた世界デザイン会議の終了直後に,この年のわたしの研究室のゼミナールに,無謀にも思いきって,「日本のかたち」をとりあげた.この本の骨組みになっているあつかいや分類は,その成果によるものであり,このゼミに参加したのは,武田正雄・太田毯子(旧姓谷中)・松藤雅彦・溝田旭・杉本直治・津野瀬茂樹の諸君である.わたしが本文で「わたしたち」という複数形を使ったのは,彼等との協同作業を記念するためである。

 またこの本の製作にあたっては,二川さんの写真,細谷巌さんのレイアウト,わたしの文という三つが,互いに火花を散らし合いながら,混然一つの力強い統一をもたらすことを願った.こうした新しいくわだてを取り上げて,お世話下さった大下正男社長はじめ,美術出版社の方々に感謝している。

■細谷巌

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 二川氏に「日本のかたち」の編集レイアウトを依頼されたとき,私は内心どうなることかと心配した.それは日頃の私の仕事(広告デザイン)とは違ったむずかしさがあるというだけでなく,「日本のかたち」とは一体どんなものなのか,という根本的な疑問が湧いたからである。

 最初に大下社長と二川氏とに全体を通してのレイアウトのラフ・スケッチをおみせした.しかし実際ほそれからが大変だった。いざ本番のレイアウトにとりかかってみると「かたち」は個性的であると同時に,あまりにも無限の要素を含んでいるために,編集の再検討をする箇所が続出した。その間,二川氏はメキシコ,ニューヨーク,ヨーロッパと「日本建築の根」個展のために各地をまわっていた。私はいいようのない不思議な孤独感におそわれながら,しきりに「まとめなければならない」と自分にいい聞かせていた。外国での大成功をおさめた二川氏は6カ月ぶりで日本に帰ってきた。

 その後,神代氏と三人で最終的な編集うち合わせを重ね,ようやく一冊がまとめ上げられたわけだが,未熟な造型力の私を救ってくれたのは,本づくりに経験の深い二川氏の抱擁力である。またこの本の完成は,アシスタントを勤めていただいた美術出版社の藤原さん,友人の柳町君の誠意のおかげである。ここで感謝を表したい。この仕事は私にとって大変に意義深い体験であり,長く記憶に残るものと思う。