弓曳き童子

 現存するオリジナルは2体で、いずれも田中久重の製作。人形が矢立てから矢を取り、弓にセットして的に当てる座敷からくり。人形の動作はぜんまいとカム、レバー、糸によって制御され、自動的に4本の矢を射ることができる。「田中久重によって、そのうち1本は的を外すように細工してある」との説明が一般に広まっているが、これは誤り。実際には、人形を修復した際に付属している矢をすべて新しく作りなおしており、「新しく作った矢のうち1本が、たまたまうまく飛ばない」というのが事実。ちなみに、人形が座っている台座部分に取り付けられている小さな唐子(中国風の衣装を着た人形)と、唐子が回すハンドルの機構も、修復前のオリジナルには存在しなかった。この部分は修復の依頼者の意向により、新たに取り付けられたもの。弓曳き童子は、文字書き人形と並んで江戸からくりの最高傑作のひとつと言われている。

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 東野進が、平成2年(1990年)に徳川家から1体を発見し、平成3年(1991年)に伏見の前川家からもう1体を発見し、峰崎十五によって修復・復元された。現在、徳川家旧蔵の弓曳き童子は産業技術記念館に、前川家旧蔵の弓曳き童子は久留米市教育委員会(田中久重の故郷)に所蔵されている。同じ動きをする組立て模型キットが学研より発売されている。平成25年(2013年)機械遺産61号に認定された。

 日本からくり研究会の細井清司氏によって、有名な「弓曳童子」のからくり人形が再現されていた。弓曳童子は、矢台に置かれた4本 の矢を順番に手に取って、的に向かって連射していく。ギアとカムによって糸を引いて動作させるという基本的なしくみは、前述のからくりとほぼ同じ原理だ が、細かい部分でさまざまな工夫が凝らされている。

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 たとえば、矢や羽をつくるだけでも大変な作業だ。矢を弓に引っ掛けるための腕の角度も、試行錯誤によって何回も削りながら合わせていったそうだ。歯車は 金属製にしているが、やはり旋盤などで加工するのではなく、ひとつずつ彫工する必要があったという。図面どおりではなく、ある程度ガタがないと摩擦の抵抗 がかかって、うまく動かないことがあるからだという。

 ゼンマイには手回し蓄音機の部品を利用している。そして、三味線に使われている強い糸で動力を伝達して主軸を回している。ただし、ゼンマイの回 転力は一定ではない。ゼンマイの力は最初は強いが、伸びてくると力が弱くなる。そのため回転を安定させるために、円錐状の滑車を利用している。物理の言葉で言えば、滑車を円錐にして、その半径を変えることで、慣性モーメントを一定に保てるようにしていることになる。これにより安定した 回転力を得ているのだ。円錐の傾斜はバネによって変わるので、バネを変えれば滑車を変更する必要がある。主軸にはいくつかのカムが付いており、この形状に 従って、糸が引っ張られ、からくり人形を動かす。

 細井氏は「2004年の2月から、この弓曳童子の製作を開始したが、まだまだ発展途上の段階。完成までにこれから何年もかかるだろう」と笑う。弓曳童子では、矢が的にあたった時には、いかにも満足気な表情を浮かべるように見える。また同じように文字書き人形でも、視線が筆 先を追って、書き上げると満足気な表情を浮かべるように見える。日本からくり研究会の橋本銕也氏(専務理事)と林力氏(エグゼクティブ・プロ デューサー)は、これが日本と西洋の文化の違いが大きく現れているところだと指摘する。

 田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) – 明治14年(1881年)1月11日)は江戸時代から明治にかけて「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれ活躍した日本の発明家である。筑後国久留米(現在の福岡県久留米市)生まれ。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者

 1990年代に徳川家と前川家で発見された2体の「弓曳き童子」は東野進によって修復・復元された後、それぞれ産業技術記念館と久留米市教育委員会によって所蔵されている。一方、幕末に海外に流出していた「寿」「松」「竹」「梅」の4文字が書ける「文字書き人形」も、平成5年(1993年)に東野進がアメリカで発見し、12年間の交渉の末、平成16年(2004年)に日本に持ち帰られ、修復が施された上で、翌年の愛・地球博で展示された。現在は東野進が所有している。

 東野氏は「日本人が何をつくってきたか、江戸時代の優れた技術を世界に知ってもらいたい。これが一番の願い。文字書き人形は長い間海外に渡ってしまった が、世界に散らばってしまった素晴らしい作品はまだたくさん存在する。ルノアールの絵画1枚ぶんの値段だけで、これらをすべての作品を里帰りさせることが できる」と語り、日本の素晴らしい伝統的な技術を大切にしなければならないと説明した。現在、東野氏がからくり分野で挑戦しているのが、世界最小の自作からくり人形である。従来までは、世界最小の自作人形というと、ロシアのロマノフ王朝時代 の「イースターエッグ」があった。東野氏は、機械を使わずに江戸時代と同じ手仕事と材料によって、世界最小のからくり人形の記録を更新している。今回のイ ベントでも氏が製作した、マイクロマシンのような茶運び人形などが披露された。写真の100円硬貨と比べてみると、その大きさが想像できるだ ろう。

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■万年時計 田中久重