世界中に点在する負の世界遺産予備軍

■世界中に点在する負の世界遺産予備軍

 過去、人類は放射能事故や大量虐殺という過ちを繰り返してきた。実際、それらの悲惨さを物語る場所は現在でも数多く残されている。果たして、そこに足を踏み入れた者はなにを感じ、そしてなにを学ぶのだろうか-放射能をまき散らした原発事故の悲劇 世界遺産にこそ登録されていないが、人類が生み出した悲しい歴史から人類への教訓として負の世界遺産となってもおかしくない物件も、世界にはまだ数多く存在する。これらを〝負の世界遺産予備軍″とよんで差し支えないだろう。 その代表格が放射能汚染事故を引き起こした原子力発電所だ。これは科学技術発展の証であると同時に、自ら制御できないほどの力を暴走させた、人間の犯した大きな過ちといえる。

 記憶に新しいのは巨大津波で全電源が停止した「福島第一原発」。このとき、原子炉の温度が急上昇して水素爆発を引き起こし、大量の放射線が辺り一帯にまき散らされたいまだ付近の住人は避難を余儀なくされ、彼らが故郷に戻れるのは100年先ともいわれている。

 同じく放射能事故といえばソ連(現在のウクライナ)の「チェルノブイリ原発」があげられる。1986年4月26日、実験中だったチェルノブイリ原子力発電所4号機が電源喪失し、炉心溶融と核爆発を起こした。ソ連政府は事故後、この事実を隠蔽したため、「死の雨」によって周辺住民は高い線量の放射線を大量に浴びた。その後、大量の作業員を導入し、原子炉はコンクリートで固められ、いわゆる巨大な「石棺」が現在も残る。

▶人類の悲惨さを伝える拷問・虐殺の歴史

 人類が生み出した負の歴史は原発事故だけではない。世界を見渡せば、おぞましい「虐殺」が行われた歴史も存在する。それがルワンダとカンボジアである。

 ルワンダでは1994年4月6日、フツ族出身のジュペナール・ハビヤリマナ大統領を乗せた飛行機が墜落。大統領は死亡した。ルワンダに暮らすフツ族の一部はこれをツナ族の犯行だと非難。「ツチ族を殺せ」というよびかけに国内のフツが同調し、大虐殺が始まった。男女や年齢を問わず、昨日まで隣近所だった多くのツチ族が鉱や銃で殺害されたのである。ツチ族によるルワンダ愛国戦線が治安を回復するまでの約100日間に数十〜数百万人がこのジェノサイド(大量虐殺)で命を落としたといわれる。

 そうした残虐さをいまに伝えるのが、「ギコンゴロ虐殺記念館」だ。ここでは犠牲となった約3万もの遺体が、ミイラ化した姿で、訪れる者になにかを訴えるかのように横たわる。

 虐殺の歴史はカンボジアにも存在する。1970年から始まった内戦でポル・ポト率いるクメール・ルージュが首都プノンペンを制圧すると、独裁政治が始まった。彼は「原始共産主義社会」を掲げ、農業知識のない都市居住者を農村へ強制移住させ自給自足の生活を強いた。しかし、これにより同国の農業は壊滅的な打撃を受けて国民の多くが飢餓状髄やとなり、大量の餓死者が発生した。

 さらに、政府に逆らった者は「反革命分子」として男女、年齢間わず、「トウール・スレン収容所」に収監。ここでは電気ショックなどの拷問が行われ、多くの人々が容赦なく殺された。79年にべトナム軍がプノンペンを解放するまでの間、ここで約2万人が虐殺され、収容所に収監された人間のなかで生き残つた人はわずか8人。現在は国立博物館として一般公開されているが、館内には当時収容されていた人々の顔写真や衣服が展示され、拷問部屋の床には虐殺された者の血糊が残るなど、当時の惨劇を物語る痕跡がいくつもある。

 もちろん、ここに紹介した場所はどれも世界遺産に登録されてはいない。しかし、これらが人類の「負の歴史」を物語る物件であるのは紛れもない事実。人間は歴史を経てさまざまな間違いを重ねてきたが、それらは簡単に忘れ去られ、そして繰り返されてしまう。こうした場所の数々を負の遺産として保全し、人々の記憶にとどめることこそ、人類が同じ過ちを繰り返さないために必要なことなのではないだろうか