強制収容所のバイオリニスト

■強制収容所のバイオリニスト―ビルケナウ女性音楽隊員の回想

単行本 – 2017/1/6

■アウシュヴィッツの女性のオーケストラ

  アウシュヴィッツの女性のオーケストラ(英: Women’s Orchestra of Auschwitz / Girls’ Orchestra of Auschwitz)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内の女性ユダヤ人オーケストラ。

SSが命令し、ポーランド人音楽教師ゾフィア・チャイコフスカ夫人が1943年6月に結成した。強制労働をする囚人たちが収容所から出て行くとき、彼(女)らが戻ってくるときに、オーケストラは門の所で演奏した。メンバーは若い女の囚人であり、彼女らはガス室送りや死に至る強制労働をまぬかれた。

ユダヤ人大虐殺「ホロコースト」の最終ステージで東ヨーロッパのユダヤ人の大量強制収容が発生し、ユダヤ人の多数がガス室にそのまま送られたとき、オーケストラは犠牲者たちの心を安らかにするために演奏した。その音楽はユダヤ人に、「東へ輸送されている」という錯覚を与え、SSがユダヤ人を殺す効率を高めた。

指揮者は後にチャイコフスカからグスタフ・マーラーの姪アルマ・ロゼに 替わった。ロゼはそれまで故郷ウィーンの女性オーケストラの指揮者であった。楽団メンバーだったファニア・フェヌロンは、著の中で、オーケストラが特定の 曲を演奏しなければならなかったという説を否定しており、これを神話と呼んだ。しかし、SSのためのコンサートを録音したこと、マリア・マンデルが「蝶々夫人」を好んでいたことを認めている。

1944年11月1日に、女性のオーケストラのユダヤ人メンバーは牛車でベルゲン・ベルゼン強制収容所に輸送され、そこにはオーケストラも特権も無かった。1945年1月18日に、オーケストラの、ポーランド人などの非ユダヤ人少女は、ラーフェンスブリュック強制収容所に移された[1]


 

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BSアーカイブス名作選

■死の国の旋律~アウシュビッツと音楽家たち~を見て

池田こみち

 以下では、NHKBS2の「死の国の旋律~アウシュビッツと音楽家たち」を見た感想と概要を2009年3月に青山貞一氏とポーランド各地の強制収容所を現地視察したときに撮影した写真を織り交ぜ執筆してみた。

BSアーカイブス名作選ハイビジョンSP
番 組 名:死の国の旋律~アウシュビッツと音楽家たち

チャンネル:NHK BS2
放 送 日:2010年12月 4日(土)
放送時間 :午後11:00~ 5日午前0:45(105分)

番組概要:

 アウシュビッツ強制収容所には、囚人たちのオーケストラが組織されていた。任務は、収容所の運営を円滑にするための音楽の演奏。強制労働の送迎の際には軽快なマーチを、収容者がガス室で処刑されるときは、ことさら明るい音楽を奏でたという。


列車で収容所まで移送されてきたひとびと(アウシュビッツ2、ビルケナウ)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.1
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Arbeit Macht freiと書かれた有名なアウシュビッツ強制収容所の門をくぐる強制連行者たち
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10

 アウシュビッツ強制収容所では虐殺をカモフラージュするため列車が着く度にマーチや明るい曲が演奏されたという!ドキュメントの主人公もここでバイオリンを弾いていた
Camp orchestra at KL Auschwitz I.

 強制労働を免れられるという理由で、志願者が多かったが、メンバーは今も罪悪感に苦しめられている。ナチスへの協力と引き替えに、地獄を生きのびた音楽家たちを描く衝撃のドキュメント。


世界的に有名なアウシュビッツ第2、ビルケナウ強制収容所の「死の門」。この引き込み線によって100万人以上の人々が強制収容所に連れ込まれ大部分は帰らぬひととなっている
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10


 アウシュビッツ強制収容所のフェンス。フェンスには幾重にも高圧の電気が流され脱走できないようにされていた
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10

 ポーランド東部の古都クラクフの公営住宅にひっそりと暮らす女性、ゾフィー(80歳)が主人公である。

 彼女はナチスドイツにより占領されたポーランドで家族から引き離されてアウシュビッツ強制収容所に連行され、連合軍によって解放されるまで二年間をそこで過ごした。

 既に解放から60年余りが過ぎているが未だにそのときの経験が彼女に重くのしかかり、苦しめ続けているのである。


BSアーカイブス名作選より

 彼女は小さいときからバイオリンを習っていたことが幸いし、アウシュビッツ強制収容所に連行されて囚人選別される際に、バイオリン演奏の特技のおかげでガス室直行を免れた。

 当時のアウシュビッツは、ヨーロッパ全土から毎日列車で送られてくるユダヤ人であふれ、到着するやいなや囚人を働ける者、役に立つ者とそうでない者に選 別し、不幸にも役に立たないと判断された人々、主として老人や子供、障害者や病人などはそのままガス室から焼却炉へと直行する運命をたどったのである。


アウシュビッツ2、ビルケナウ強制収容所の死体焼却炉の写真—
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10


黒い壁の前の筆者 アウシュビッツ強制収容所1
The Black Wall at Auschwitz I, used for executions
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10


虐殺が行われた黒い壁。ガス室とは別に多くのユダヤ人らが殺害された
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10


アウシュビッツ強制収容所に残るガス室(前置室)の入り口にて
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10

 人を人とも思わない凄惨な抹殺・殲滅行為が繰り返される収容所では、次第に囚人たちの一部をそうした残酷な処刑プロセスの中に組み入れて働かせるようになっていった。そのひとつが収容所内オーケストラである。


BSアーカイブス名作選より

楽器が演奏できる者たちは収容所内オーケストラを編成させられ、列車で収容所に着いた囚人たちを出迎える明るい曲、強制労働に出かける囚人を送迎する元 気のいいマーチ、ガス室に向かう囚人たちの疑い気持ちや恐怖心をカムフラージュする明るいモーツアルトの交響曲などを演奏させられていたのである。

ゾフィーは収容所で初めて結成された女性オーケストラの一員としてバイオリンを演奏することになる。しかし、オーケストラ団員となった者たちは明らかに 一般囚人とは異なる特別待遇であったことから、次第に一般囚人からも陰口を言われ阻害されていくことになる。


BSアーカイブス名作選より

 そればかりかオーケストラ団員たちの中には、罪悪感にさいなまれ、心と体が次第に病んでいく者も多かったという。ゾフィーもその一人であった。ある時彼 女はオーケストラ団員を止めたいと収容所の責任者に申し出るが、「止めるか、強制労働かどちらかだ」と言われ、結局、恐怖から再びオーケストラの団員に戻 ることを決断する。

 そして、最後までバイオリンを弾き続けるが、解放後は一切音楽が聴けなくなり大きな声や軍服を見るだけで貧血、気絶を繰り返し、80歳になるまでほとんど外界から遮断されひっそりと暮らしてきたのである。

 彼女は当初、NHKの番組取材をかたくなに拒否したそうだが、ディレクターの一年余にもおよぶ熱心な説得、手紙のやりとりなどを通じてようやく密着ドキュメンタリー番組への出演を了解したとのことだ。


BSアーカイブス名作選より

 ゾフィーはどのようにして自分の過去と闘い今日まで生き続けることができたのだろうか。ゾフィーには、同じ女性オーケストラ団員だったもうひとりの生き 残りヘレナ(87歳)という友人がいるが、彼女は一緒に連行され収容所に入った母親がそこで亡くなったにもかかわらず、自分だけが団員として生き残ったこ とに未だに責任を感じながら生き続けている。二人だけが分かり合える友人なのだ。

 ゾフィーはこれまで収容所での経験を一切口にしたことはなかったが、80歳になって脳梗塞に倒れ、なんとか回復したことをきっかけに、アウシュビッツの生き残りとしての自分の役割は経験を語ることだと気づいたことが、この取材を受ける背景にあったようだ。


BSアーカイブス名作選より


アウシュビッツ2、ビルケナウ強制収容所のバラックのベッドには一段当たり3-5名が収容されていた
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.1
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アウシュビッツⅡ-ビルケナウ収容所を視察する筆者(池田こみち)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10

ゾフィーは収容所のつらい経験を乗り越えるため、解放後18年ほど経ったときに初めて再びアウシュビッツを訪ねてみたという。そこでは、残された収容所 の建物の壁や床、壊されたガス室や焼却炉などから何万人もの亡くなった人々の叫びを聞きくことが出来たという。そして、静かに自分の経験を思い起こし、そ のつらかった場所、アウシュビッツに来てやっと心が癒されていくことを感じることが出来たという。

 なんと悲しくそして恐ろしい経験だろうか。戦後生まれの私たちには想像だにできないことである。ポーランドだけでなく、いつのどんな戦争でもそれを体験した人たちのひとり一人の心が同じように痛み苦しむことになる。それが戦争なのだ。

 クラクフの町を訪ね、アウシュビッツを訪問した私にとってゾフィーとヘレナの人生は現場をみて感じたもの以上に戦争の悲惨さを感じさせるものだった。


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