水木漫画の人生哲学

■水木漫画の人生哲学

▶︎目に見えぬものを信じ/現実を受け止めて

 日本各地に伝わる妖怪を、現代人が親しみやすい漫画で再生させたい。『ゲゲゲの鬼太郎』などの傑作を残した漫画家の水木しげるさん(1922~2015)が亡くなって5年。その人生哲学に現在を生き抜く知恵を探った。

 新型コロナウイルスの感染が広がるなか、マビエという妖怪が話題となった。江戸時代の終わりごろ、肥後(ひご)国(熊本県)の海中から現れたとされる半人半魚の妖怪だ。疫病が流行したら私の姿を絵に写して人々に見せよ、などと予言したという言い伝えがあり、脚光をあびた。そのきっかけの一つに、水木しげる(本名・武良〈むら〉茂)さんが1980年代に描いたアマビエがあった。水木プロダクションが今年3月、公式ツイッターに原画を投稿すると、これまでに約10万件もリツイートされた。

 68年にアニメ化された『ゲゲゲの鬼太郎』は、日本に妖怪ブームを巻き起こした。

 更に興味を刺激された水木さんは、日本各地に伝わる妖怪の探訪にのめり込む。漫画で子どもたちに広めるとともに、『日本妖怪大全』『妖怪画談』など大人向けの教養書も手がけ、妖怪の研究を身近なものにした。

 妖怪への好奇心の原点は、幼少期を過ごしただ。近所に住むおばあさん「のんのんばあ」から妖怪やキツネの出てくる昔話を聞いて育った次女の水木悦子さん(53)は小学生のころ、学校で「妖怪なんていない。お前の父親の作り話だ」といじめられた。そんなとき、水木さんはこう言ったそうだ。「今の人は目に見えるものしか信じない。世の中が便利になるほど人は目に見えない大切なものを忘れる」

 太平洋戦争中、水木さんは激戦地のラバウルに出征し、爆撃で左腕を失った。戦後、紙芝居作家をへて貸本漫画家となり、39歳で布枝(ぬのえ)さん(88)と結婚した。仕事場では鬼気迫る形相で本や資料を読み、筆を走らせた。布枝さんは「家では暗い話一つしない。小学生みたいな冗談で家族一緒に笑い転げてばかりでした」と振り返る。水木さんの著書によれば、人間は死ねば苦しみから解放されるのかという家族の問いに、こう応じていた。「死んでしまっては何もならんよ。幸せってものは生きていてこそ感じられるんだ」

 水木漫画の世界は妖怪にとどまらず、戦争や古代出雲史など幅広い分野に及んだ。いずれにも共通するのは中央・権力に対する反骨精神だ。『劇画ヒットラー』では独裁者の自己顕示欲を人間臭く描いた。家族には「偉ぶらないこと。自分を偉く見せようと欲を持ったら際限がない。バカを言っているくらいがちょうどいい」と話した。

 『総員玉砕せよ!』では、実体験をもとに人命が軽んじられる戦場の不条理を描いた長女の原口尚子さん(57)が中学生のころに「お父ちゃんの漫画には手塚治虫の漫画のような未来がない」と話したら、水木さんはこう答えたという。「お父ちゃんは現実を描いているんだ」

 私たちがアマビエを語るとき、ウイルスへの恐怖心が和らぐ気がするのは、なぜなのか。

 民俗学者で、前国際日本文化研究センター所長の小松和彦さん(73)は「アマビエなどの予言する妖怪は疫病流行という厳しい未来も豊作という明るい未来も告げる。人生は死ぬまで何が起こるかわからない。不安を抱えつつ、それでも生きていくには希望が必要です」と話す。

 戦場から奇跡的に生還した水木さんも、戦地で妖怪に「遭遇」した。「過酷な現実の中でも、水木さんは夢を膨らませる力を、生きる希望を失わなかったのではないでしょうか」(寺下真理加)

■しなやかな強さに共感 作家・医師、久坂部羊(くさかべよう)さん

 水木漫画との出会いは小学校4年のとき、別冊少年マガジンで読んだ「テレビくん」でした。中学生と高校生のころ、水木さんの作品の鋭さを解説する友人がいて、のめり込みました。私が書いている医療ミステリー小説も、水木さんから影響を受けています。

 患者さんの死を目の前にして、医師は無力感に襲われます。「人間には、いつか死が訪れる」という現実から目を背けたくはありません。現実を見ようとせず、きれいごとの倫理観や理想を押しつける人間が、極限状態になると真っ先に他人を裏切ったりします。それは、水木さんの描いた『総員玉砕せよ!』が描く通りです。

 水木さんは現実にあらがわず、「仕方ない」ととらえます。あらがうことも時には大切だけれど、大きな視点で見たら、実は無駄だったり、自分を追い詰めるだけだったり。受け入れて心穏やかになった方が、事態に柔軟に対応できるかも知れない。そんな強さに共感し、作品の魅力を分析するブログ「冴(さ)えてる一言」を書き続けているのです。

 <読む> 『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童(かっぱ)の三平』ほか、貴重な貸本漫画作品や隠れた名作を収録した『水木しげる漫画大全集』を、講談社が刊行している。100巻以上に及び、水木さんを師と仰ぐ、作家の京極夏彦さんが責任監修している。