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ミッシェル・タピエとアンフォルメル
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原始・生命・生態的イメージ
■原始・生命・生態的イメージ
若い美術家たちのアクションを使った直接的、内発的な表現は、自己という存在を一個の身体にまで還元し、再確認することを意味しでいた。そして、アクションが身体の外側への働きかけであるとするならば、身体の内側への働きかけ、すなわちそこに
潜む根源的なもの・・・
原始性や生命的なエネルギーの形象化
もまた、自己を再確認するための有効な手段となることを、敗戦後、日本の美術家たちは知ることになる。
日本の主権回復、占領からの解放が決定した1951(昭和26)年
、美術家の岡本太郎はたまたま東京国立博物館で出会った
縄文土器
の荒々しい形態に驚き
、「私の血の中に力がふき起こるのを覚えた。闊然と新しい伝統への視野がひらけ、我国の土壌の中にも掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいることを知った」と絶賛する。そしで、江戸時代から敗戦まで500年以上続いた封建主義、形式主義のなかで失われた
原始的でエネルギッシュな表現力
、
形態が内包する根源的な生命力
に、
日本美術再生の糸口を求めた
。
また、外国の美術から、同様の感覚を呼び覚まされた美術評論家や美術家もいた。
1955(昭和30)年9月
、東京国立博物館でメキシコ芸術院、読売新聞社ほかの共催によりメキシコ美術展が開催される。この展覧会で紹介された
近現代のメキシコ美術の素朴で力強い表現と、欧米列強からの独立を目指したメキシコ革命を始めとする政治的な主題
は、明治以降ひたすら西欧の美術を規範とし信奉してきた
日本の美術界に一石を投じ、利根山光人ら多くの若い美術家たちに感銘を与えた
。
こうした
1950年代前半のアイデンティティと直結する原始的、生命的なものへの関心を引き受け発展させた
のもまた、
アンフォルメル
であった。日本の美術評論家たちがアンフォルメル上陸以前の独自解釈期において、
書との関連からアンフォルメルの絵画におけるアクション
に注目していたことはすでに述べたが、同時に
ジャン・デュビュッフェ
、北欧のグループ「
コブラ
」も視野に入れた直接的、直感的、主観的な表現による「
深い人間的感動や生命ある経験の直流
」や「
生きるものの内在的燃焼
」にも大きな意義を見出していたことは重要である。
果たして、アンフォルメルの上陸を機に、日本の美術界のさまざまな分野で、アクションや素材の
物質感を強調
する作品だけでなく、
原始的、生命的なイメージ
を追求する作品が数多く現れるようになる。
ごつごつとした形態が
強い表現性を持つ岡部嶺男の作品
や、
古墳の石室に描かれた文様を想起させる鈴木治
の作品のように、原始の日本人の表現自体に立ち戻るものや、
元永定正、勅使河原蒼風、山本敬輔
の作品に見られる
生命的エネルギーを形象化したもの
などがそれである。
さらには、
松谷武判、八木一夫、熊倉順吉、麻田情二
などの作品のような
臓器や器官、不気味な生き物を思わせる生態的イメージ
も、この系譜に位置づけることが出来るのではないだろうか。
■アンフォルメル活動作家作品と活動歴紹介
▶︎岡本太郎(1911−1996)OKAMOTO, TARO
1911(明治44)年神奈川県橘樹郡に生まれる。
父は漫画家の岡本一平、母は作家の岡本かの子。
1929(昭和4)年東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学するが、まもなく両親と渡欧。パリ滞在中に
ピカソの作品に感銘
を受け、1933(昭和8)年
アブストラクション=クレアシオン
に参加しで、
抽象美術運動の最先端に身を置いた
。戦後は
シュルレアリスムと抽象の総合を目指す
「
対極主義
」を掲げ、原色を多用し画面を大胆に構成する絵画作品と言論で、
前衛美術界の先導者
となる。アンフォルメルにいち早く理解を示し、作品の日本での紹介に尽力する。1996(平成8年) 東京都で亡くなる。
▶︎利根山光人(1921−1994)TONEYAMA.Kojin
1
921(大正10)年茨城県結城市に生まれる
。本名光男。
1943(昭和18)年早稲田大学高等師範部国語漢文科を卒業
。在学中に
川端商学校
で学ぶ。戦後デモクラート美術家協会に所属するが、1957(昭和32)年の解散後は無所属で活動を続ける。佐久間ダムの工事現場に取材した作品を発表するなど
社会的な取材
を描いたが、メキシコの
古代マヤ文明
を知った後は、それに影響を受けた
鮮烈な色彩とプリミティヴな画面を特徴
とし、
メキシコに取材した作品
を数多く発表した。また、公共空間における美術を重視した
ダヴイッド・アルファロ・シケイロスに感化
され、JR横浜駅や東北新幹線
北上駅の大壁画
などを手がけた。1975(昭和50)年
日本芸術大賞を受賞
。1994(平成6)年東京都で亡くなる。
▶︎元永定正(1922−2011)MOTONAGA.Sadamasa
1922(大正11)年三重県伊賀市に生まれる
。1938(昭和13)年三重県上野商業学校を卒業した後、さまざまな職業を経験しながら三重県美術展覧会、芦屋市展などに出品を続け、受賞を重ねる。
1955(昭和30)年吉原治良の誘いで具体美術協会(「具体」)に参加
し、1957(昭和32)年には
ミシェル・タピエから高い評価
を受ける。この頃から原色の絵具を画面上に流し、茫洋とした形態を得る独自の技法を編み出す。
1966(昭和41)年
ジャパン・ソサエティの招きで渡米
。それを機にエアブラシを用いマチエールより形態の妙を重視する作風に変化する。1988(昭和63)年
フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリュを授与
され、
1991(平成3)年には紫綬褒章を受章する
。2011(平成23)年兵庫県宝塚市で亡くなる。
▶︎田中敦子(1932−2005)TANAKA.Atsuk0
1932(昭和7)年大阪市に生まれる
。1951(昭和26)年京都市立美術大学(現・
京都市立芸術大学
)西洋画科を中退し、大阪市立美術館付設美術研究所で学ぶ。1955(昭和30)年具体美術協会(「具体」)に参加し、
ベルを使った音の作品
や
無数の電球を取り付けた《電気服≫で注目を集める
。ミシェル・タピエとの出会いを機に、大小の色鮮やかな円状の形態に電気コードを思わせる線が絡んだ
抽象絵画の制作
に専心するようになる。1965(昭和40)年の「具体」退会後は個展を中心に活動を続け、80年代の「具体」の再評価とともに、
日本の戦後美術を代表する女性美術家
として
国際的に認知
された。2005(平成17)年奈良市で亡くなる。
▶︎八木一夫(1918−1979)YAGI Kazu0
1918(大正7)年京執こ生まれる
。父は大正時代に革新的な陶芸家集団赤土社を結成した八木一州。1937(昭和12)年京都市立美術工芸学校(現・京都市立
銅駝
(どうだ)美術工芸高校)彫刻科卒業後、東京美術学校教授などを歴任レヾりの国立セーブル製陶所にも留学した沼田一雅に師事、陶彫を学ぶ。
銅駝・・中国洛陽の門のひとつにあったという、銅製の駱駝像にちなむ命名である。
また、沼田が若い陶芸家と共に結成した日本陶彫協会に参加した。1946(昭和21)年青年作陶家集団を結成して新しい陶芸を目指したが、2年後に発展的に解消し、鈴木治、山田光らと
前衛陶芸家集団走泥社
を結成した。1954年に発表した《
ザムザ氏の散歩》
で土による新たなる
造形の可能性
を示し、陶芸家のみならず美術家にも注目され、高い評価を得た。1979(昭和54)年京都で亡くなる。
▶︎勅使河原蒼風(1900−1979)TESHIGAHARA, Sofu
1900(明治33)年現在の大阪府堺市に生まれる
。幼少期より華道家の父からいけばなの指導を受ける。1927(昭和2)年に草月流を創始、いけばなの近代化を志す。1933(昭和8)年第一回個展を開催し、いけばなや絵画、書を発表する。また石、鉄、巨木を素材に前衛的なオブジェを制作し、1957(昭和3ヱ)年来日した
ミシェル・タピエから高い評価
を受ける。これを横に国内だけでなく海外にも活動の場を広げ、その功績により
フランス政府から1960(昭和35)年に芸術文化勲章オフィシェ、1961(昭和36)年にはレジョン・ドメール勲章を授与
される。1961(昭和36)年第12回芸術選奨を受賞。1979(昭和57)年東京都で亡くなる。
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