■ディンケルスビュール
▶︎街道で一番美しい木組の家が並ぶ街
ディンケルスビュールに初めて都市施設が作られたのは、1130年頃のことである。そして、1188年ドイツ王国の主フリードリッヒ=バルバロッサは、息子のコンラッド=フォン=ローテンブルクの結婚祝いとして贈ったのがこの町の歴史の始まりです。ハイデルベルクの街を流れる美しいネッカー川や旧市街を見下ろす丘に建つプファルツ選帝侯の居城ハイデルベルク城、そしてドイツ最古の大学ハイデルベルク大学など、ハイデルベルクの街は訪れる人々を魅了させます。
それはシュタウフェン家とヴェルフェン家とのローマ王位をめぐる争いの中で、シュタウフェン家の所領を結ぶ防衛拠点の一部として形成されたものであった。この都市は、元々カロリング朝時代に創られたヴェルニッツ川渡渉地点沿いの入植地を拡充させてできたのである。付近の森林地帯へは、フランク族が支配していた時代の後期、8世紀頃に入植が行われていた。
ヴェルニッツ川の流域の美しい町で12世紀にはフランケン人がここに住み着き1273年には自由都市として栄え、織物や鍛冶屋職人たちの取引の町として14~15世紀には最も大きな意味をもたらしました。城壁が円形なのは、防衛上の理由からです。
市壁は、防衛上の理由から円形に巡らされた(この内部を、以下「中核地区」と呼ぶ)。この痕跡は、現在の街でも明らかに見て取れる。それは、シュピタールガッセ、ウンテルン・シュミーツガッセ、フェーレンベルクガッセ、ヴェートガッセと一致するが、これらは、市壁の痕跡ではなくむしろその外側の濠の跡なのである。
1225年ロマネスク様式で建築され、教会から6m離れた場所に塔を増設しました。これが現在の塔です。しかし更に大きくしようとして、1448年に基礎がおかれたが、資金が無くなり中止、16世紀に回廊付きの鐘楼階を古い塔に増設、その上に8角楼を建て、夜間の消防見張り所も付けられました。長堂はゴシック様式、1448-1499年建設で、南ドイツで最も美しいゴシックホール教会として有名です。
中央祭壇は聖セバスチャン、その下には64年にネロ皇帝に斬首され殉教死した聖アウレリアスの遺骨が1747年にローマから持って来られて安置されています。
ローテンブルク・オプ・デア・タウバーのような13世紀に形成された多くの他の街とは異なり、ディンケルスビュールには、街の中心に、長方形のマルクト広場がない。そのかわり漏斗状のワイン市場から北に36mも延びた市場通りが設けられている。この通りは、様々な取引や生産が行われた名残を伝えている。
ワイン市場の他に、現在の旧市街内ゼークリンガー通りは、壺市場、パン市場、食用油市場などに分割して利用され、アルトラートハウスプラッツ(旧市庁舎広場)は家畜市場に、ネルトリンガー通りは皮革製品市場にそれぞれ利用されていた。
旧市街の構造は、都市の拡張が14世紀から始まり、都市の中心地や経済中心が少し移動したことを示している。1499年には都市文化の精華を象徴するゲオルク教会の建設が完了した。街の景観は、これ以後基本的に変わっていない。
ディンケルスビュールの中心街。左から3軒目がドイチェス・ハウス