特別の教科 道徳”の課題

西川 龍一  解説委員

 道徳を教科にすることに向けて審議を進めてきた中教審・中央教育審議会は、道徳教育の充実のため、道徳に検定教科書を導入し、「特別の教科」にするなどという答申をまとめました。これまでたびたび議論になりながら見送られてきた道徳の教科化が、早ければ4年後に全面的に導入されることになります。今夜は、道徳が「特別の教科」になることへの課題について考えます。

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答申は、21日開かれた中教審の総会で、安西会長から下村文部科学大臣に手渡されました。
答申のポイントは3つです。▽道徳を「特別の教科道徳」と位置づけること。▽数値による評価はしないものの、子どもたちの道徳性を総合的に把握し、評価を文章で記述すること。そして▽ほかの教科と同じように国の検定を受けた教科書を導入することです。
これらはいずれも、文部科学省の有識者会議が去年12月にまとめた報告書に盛り込まれた内容を踏襲した形となっています。

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 今回の道徳の見直し論議、道徳を教科とすることに意欲的な安倍総理大臣肝いりの教育再生実行会議が、去年2月にまとめた第1次提言の中で、いじめ対策の一つとして道徳を教科として位置づけることを盛り込みました。これを受けて発足した文部科学省の有識者会議は、一部の学校で道徳の時間を他の時間に振り分けたり、学校や教師によって道徳の指導方法や内容に差があったりして、道徳教育の現状は、期待される姿には程遠いなどと指摘して、道徳の教科化を求めました。
下村文部科学大臣が中教審に諮問することで道徳が学校教育の現場に位置づけられた1958年以降、そ上にのせられては消えてきた道徳の教科化が事実上決まりました。

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 教科化を実現すると言っても、肝心なのはその中身です。それを議論するよう求められたのが中教審でした。中身はどう吟味され、どのようになったのでしょうか。結論から言うと、何か月もかけて審議してきたのに教科書を作ることだけが決まったという印象です。
まずは、「特別の教科」という位置づけです。当初から、特別な教科とは何なのか、特別活動などと同じ扱いから格上げし、国語や算数などの教科と同等にするのか、戦前、天皇制国家に奉仕する国民の育成を目指した「修身」と同じように教科の上位に位置づけるのかという疑問がありました。しかし、答申の中では、「道徳には他の教科と共通する側面と道徳の教員免許は設けず、原則担任が教えるといった他の教科にはない側面がある」ことから、教科とは別の「特別の教科」にするとしているだけです。関係者の1人は、「道徳の授業をよりしっかりやって欲しいというだけの話だ」と言います。わざわざ別のカテゴリーを設けてまで「教科」とすることの意味はどこにあるのか、運用面で改善は十分可能という疑問への答えはありません。

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 2つ目の「記述式の評価をする」ことはどうでしょう。中教審の議論の中では、他の教科と同じようにある程度数値による評価が必要だという意見もありました。しかし、子どもの内面に分け入って評価することは難しく、まして数値で評価することはできないという結論になりました。では、ただでさえ忙しい今の先生たちに本当に子どもたちの心の変化を感じ取って記述式で評価することができるのでしょうか。子どもたちが道徳の授業をどう受け止め、何を考えたのかを把握するのは簡単なことではありません。教師側のノウハウも確立しない中で一定の評価はするという結論を急いだ印象です。

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 さて、道徳の教科化にあたっての最大のポイントは、「検定教科書の導入」を決めたことです。
道徳教育の充実を図るには、充実した教材が不可欠だとして、複数の民間の教科書会社が作成し、国の検定を受けた教科書を導入することを求めています。今までなかった教科書ですから、どんな教科書が求められるのか、中教審の専門部会には毎回多くの教科書会社の関係者が熱心に傍聴していました。
ただ、教科書作りには、心のあり方を学ぶ道徳に、文部科学省の検定作業がなじむのかという問題が指摘されてきました。どんな教科書になるのでしょうか。教科書ではありませんが、文部科学省が新たに作り、ことし全国の小中学生に配布した道徳教材の「私たちの道徳」があります。

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 小学校高学年用のものですが、内容を見ますと、「人とのつながり」や「命を尊重する」「法やきまりを守る」といったことが並んでいます。伝記や物語などの読み物を読んでそうした項目について考えたり、たとえばこのような写真や資料を元に話し合ったりするような作りになっています。

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 そもそも今の検定制度では、教科書会社があらかじめ文部科学省が公表した検定基準に基づいて編集した教科書を教科書調査官がチェックし、審議会で審査して、それぞれに検定意見書を示すことになっています。主に修正意見が付くのは、事実が間違っているケースや、学術的な通説ではないものを取り上げたような場合です。学術的な通説がない分野を多く含む道徳で、何を根拠に検定意見を示せるのかは、文部科学省にとっても難しいところです。

 一方、教科書会社にしてみれば、新たな教科書の出版は、大きな利益につながる可能性がある反面、申請したあと不合格になれば大きな損失となります。中教審の議論の中では、今紹介した「私たちの道徳」を教科書作りの参考にするよう求めてはどうかという意見がありました。元々、「私たちの道徳」やその前身として作られた「心のノート」は、国定教科書と同じという批判がありました。そうした背景もあり、それでは多様な教科書作りを縛ることになるという慎重な意見が出て、答申には盛り込まれませんでした。それでも、文部科学省は、今年、教科書でもない「私たちの道徳」を積極的に使うよう3回にわたって全国の教育委員会などに求めています。教科書会社の関係者は、「不合格になることを避けようとすれば、自ずと『私たちの道徳』を参考にせざるを得なくなり、結果的に似たような教科書ばかりになる可能性がある」と指摘します。こんな状態で、本当に教科書検定制度が求める民間の創意工夫による多様な教科書作りが実現できるのか。文部科学省には、検定が多様な教材を単一化するようなことがないような検定基準作りを求めたいと思います。

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 中教審の答申を受けて、文部科学省は学指導要領の改訂などを進め、早ければ4年後には道徳は「特別の教科」になります。今回の道徳の教科化論議の発端となったのは、いじめ問題の対策の1つとして、道徳教育の充実が欠かせないということでした。子どもたちが規範意識を身につけ、相手のことを敬う気持ちを教えることは重要ですし、一部の学校では道徳の時間をほかの時間に振り分けることも行われてきました。しかし、道徳教育の充実がいじめ対策に有効かどうか実証するような場はないまま、いじめ対策は置き去りにされた形で審議が進められました。文部科学省には、いじめ問題にかこつけてこれまでさまざまな創意工夫が行われてきた道徳の時間を、窮屈な型にはまった「特別の教科道徳」にしたと言われないような学習指導要領の改訂という難しい宿題が課せられたということをしっかり認識して欲しいと思います。

(西川龍一 解説委員)