新型コロナウイルスによる集団感染が起きた、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」。その船内では何が起きていたのか?乗客、乗員や医療関係者など50人以上を取材し、専門家とともにウイルスの感染メカニズムを解析。その特徴と対策のカギを探った。
「新型コロナウイルス」に関する情報は日々、更新されています。最新の情報はこちらの特設サイトでもご確認ください。
▶︎感染はどのように広がったのか?
3700人を乗せて、1月20日に横浜港を出発したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。香港・ベトナム・台湾などを16日間かけて巡る旅には、主に50代以上の乗客たちが参加していた。2月1日、香港で1週間前に下船していた男性の感染が判明。香港の衛生当局はすぐさま、船の運航会社の代理店に連絡。しかし船側はすぐには周知せず、乗客たちに情報が伝えられたのは感染確認から2日後の2月3日だった。しかしその後の数日間、船ではショーやパーティーが通常どおり行われ、変わらぬ日々を過ごしていた。ウイルスはその隙をついて、爆発的な感染を引き起こしたとみられている。発症した日と潜伏期間のデータをもとに導き出された、乗客が感染した日を推定したグラフだ。
2月2日~4日の3日間に感染が集中していた可能性が浮かびあがってくる。さらに、独自取材によって判明した船内の感染者の数は712人。乗客、乗員の実に19%に及ぶ。感染者が出た場所の分布を見ると、偏りや規則性は見られない。
専門家が注目したのは、複数の人たちが接触する可能性のあるフィットネスや劇場、カジノやバーなど多くの人が集まる共用施設。船内では、乗客たちが多く集まるショーやダンスパーティーなどが開催されていた。
仮にパーティー会場に咳をする人がいた場合、飛まつはどれくらい拡散するのか。シミュレーションを行った。
咳による飛まつは目の前の人に吹きかかり、一部は床に落下する。しかし赤で示したサイズの小さな飛まつは空気の流れに乗って、しばらくの間、漂い続ける。感染症の専門家は、こうした飛まつによって感染が広がった可能性を指摘する。
さらに感染拡大を招いたもう1つメカニズムとして上げられているのが「接触感染」だ。ウイルスは「接触」で、どのように広がっていくのか?
今回、NHKは船内にあったビュッフェ形式のレストラン会場をイメージした場所を用意し、蛍光塗料をウイルスに見立てた実験を専門家とともに行った。
感染者役は5分に1度、咳を手で押さえる設定で、ウイルスに見立てた蛍光塗料を手のひらに塗り、参加者には30分間、自由にビュッフェを楽しんでもらった。
青白く光ったところが塗料の付いた場所。なんと参加者全員の手に広がり、さらに3人は顔にまで塗料が付いていた。実験で塗料を媒介したのは、多くの人が触れていたトングや飲み物の容器の取っ手など。
一方、店員が料理を取り分けたり、客に小まめに手を清潔にするよう促すなど、積極的に対策さえすればリスクは格段に減らすことができた。
この「接触感染」はクルーズ船のみで起こるものではない。ドアノブや電気スイッチ、エレベーターのボタンや階段の手すりなど、不特定多数が触れやすい場所「ハイタッチサーフェス(高頻度接触環境表面)」と言われる場所に注意を払うことが重要だ。
「新型コロナウイルスは手を使うことと、言葉を話すこと。この2つがメインで、どちらも感染経路として大きい。人間の行動そのものが感染経路になるのが大きな特徴。非常に防ぎにくいウイルスではないかと思います。」(東北医科薬科大学 賀来満夫特任教授)
▶︎「サイレント肺炎」 急激な重症化はなぜ?
クルーズ船が横浜に戻ってきたのは2月3日。検疫のため厚生労働省の職員たちが船内に乗り込んだ。検査の結果、31人中10人の感染が判明。国はすぐに乗客全員を14日間、船内に隔離する方針を決定した。
対応にあたったのは主に2つのチーム。厚生労働省や保健所の職員たちからなる「検疫チーム」がPCR検査を行い陽性か判定。感染が分かると神奈川県庁におかれた「搬送チーム」が患者を病院に振り分けて搬送する。
感染症の専門知識を持ったスタッフたちにとっても、想定外の連続だったという新型ウイルスへの対応。特に、自分で元気に歩いて搬送車両に乗った人が、搬送の数時間の間に急変したことに驚いたと言う。
クルーズ船の感染者を受け入れた病院でも異変を感じていた。それは、症状のない人や軽い症状の人でも、CT検査を行うとおよそ半数に見られた「肺炎の所見」だ。
「症状がないのに出る肺炎、という意味で『サイレント肺炎』とわれわれは呼びました。」(自衛隊中央病院 感染症内科医官 田村格1等海佐)
自覚症状がないまま、肺で炎症が進行するという「サイレント肺炎」。これが、軽症だと思われていた感染者の症状が急速に悪化したように見える理由の1つだと田村さんは考えている。
「肺のダメージがゆっくりと進行すると、自覚症状として感じにくい。悪くなっているのに気づかなくて、全身管理の介入が遅れると、そのせいで助けられたはずの人が助けられないということが起きているかもしれない、と考えています。仮に本人はあまり強い症状を感じていなくても、酸素飽和度を測るとか、症状のあるなしだけではなく、詳しく経過を見ていくことが大事かもしれない。時期的には1週間から10日、長く見ると2週間目くらいまでは症状がなくても、リスクのある人に関してはしっかり観察していくことが大事。」(田村さん)
▶︎ひっ迫する医療 搬送チームの苦悩
横浜に停泊して数日が経ったクルーズ船では、感染が判明する人の数が急増していた。感染拡大を防ぐため、陽性の患者を優先的に搬送したところ、感染症指定病院のベッドはあっという間に埋まってしまった。
「ICUは非常に圧迫されてしまって、実際に呼吸器であったり、ECMO(エクモ、人口心肺装置)が必要であったりとか、そういう方に対して適切な人材と労力を投入できないことが分かっていました。」(神奈川県健康医療局 中澤よう子医務監)
一部の病院からは「通常医療に支障が出ているため、これ以上受け入れられない」と言われたという、ひっ迫した状況。その中で、感染は明らかになっていないが重症化する人が現れ始めた。
感染しているかどうかだけで判断すると、救える命が救えなくなる。そう考えたのは、搬送を取り仕切っていた阿南英明さん。災害派遣医療のスペシャリストDMATのメンバーだ。
「実際に体調を崩している人がいる。あるいは今は発症していないけれど、コロナウイルスに感染したら、とても危ない人がいる。単にPCR検査が陽性だという人たちを拾い上げて、搬送すればいいだけではない。」(神奈川DMAT(災害派遣医療チーム) 阿南英明統括官)
そこで阿南さんたちは、これまでの検疫の概念を大きく覆す「新たな搬送の優先順位」を対応チームに提案した。
・カテゴリー1 陽性かどうかにかかわらず重症で、すぐに治療が必要な人たち
・カテゴリー2 陽性かどうか分からなくても基礎疾患をもつ高齢者など、リスクが高い人たち
・カテゴリー3 陽性と判明しているものの無症状か軽症の人たち
しかし、この提案はカテゴリー2と3について意見が分かれた。現場は結論を出せないまま、対応を続けざるを得なかった。
「症状がある人は(船内から)出さなきゃいけない。だからといってPCRプラス(陽性)の人も、そのままでは船の中で同室の人に感染が広がっていくだろうということもあって。きれいにどっちを絶対優先というのは難しいと思います。」(神奈川DMAT(災害派遣医療チーム) 中森知毅医師)
▶︎長引く隔離 社会を支える人たちを守るには?
クルーズ船が停泊して1週間。船内では新たな課題が発生していた。それは船内で乗客の生活を支えていた乗員たち、いわゆる“エッセンシャルワーカー”(社会に必要不可欠な仕事を担う人)への感染拡大だ。
2月11日、感染制御の専門家チームが、その原因の究明と対策に乗り出した。船内の感染症に対する備えを調査したところ、厳密なルールが定められ、緊急の事態に備えて手袋や医療現場で使用されるN95マスクなども備蓄されていた。しかし、こうした対策にはさまざまな落とし穴があったと言う。
「慣れない防護具を着けて仕事をするのは大変でした。特殊なマスクは痛いほど顔に食い込むのです。手袋やエプロンを着けていたので、とても動きづらかったです。」(乗員)N95のマスクは装着すると痛みや息苦しさを感じる。多くの乗員がヒモを外すなど、正しくない着け方をしていた。
「手袋もしなさい、N95マスクをしなさいということは、すでに指示されていたんですが、現場に即した使い方になっていない。指示は適切なんですが、現場に即した形になっていなかった。」(岩手医科大学 櫻井滋教授)
備えはあったが、正しく使われていなかったマスク。マスクを気にして手で顔を触る頻度が増えることも、感染のリスクを高めていた。さらに櫻井さんは、手袋を着けていることが心理的な安心感を与え、逆に手の消毒の機会が減っていた可能性を指摘する。
さらに乗員がおかれていた環境が、感染のリスクを高めていたことも分かってきた。乗員の多くは2段ベッドで共同生活を送り、食事もシフト制で大勢が食堂に集まっていた。乗客が隔離されている間も働き続けた乗員たち。1045人のうち145人が感染した。櫻井さんは感染防止のため、大きく2つの対策を講じた。
・対策1 「手洗いや消毒」の徹底
・対策2 食堂など「三密」環境の対策
こうした対策などを行ったところ、乗員の発症は減少に転じた。「乗員は(いわば)医療従事者や、社会を支えている人たちです。その方たちが全員いなくなったら、お部屋に閉じこもること、そのものができなくなります。ですから、社会を支えている方たちのケアはものすごく大事になる。」(岩手医科大学 櫻井滋教授)
▶︎長引く隔離 心身の健康を保つには?
新型ウイルスの感染拡大を防ぐためにとられた隔離の長期化。乗客の中には、新型コロナウイルス以外の原因で体調を崩す人たちが増えていった。
「心臓の病気とか糖尿病の方で、相当ストレスがあるために通常の薬を飲んでいても、もっと悪くなったりということがあった。そういうのを見つけないと、そのままだと必ず相当に具合が悪くなってしまうといいますか、命に関わる状況になってしまう。」(日本医師会 石川広己医師)
さらに隔離が長引く中で、精神の不調を訴える声が増えていったと言う。現場の診察でも“自殺を試みる”といった深刻なケースが相次いで報告されていた。いま自宅で過ごすことを余儀なくされている中で、新型ウイルス以外の健康の問題にも注意しなければならないと石川さんは指摘する。
「クルーズ船の中であったような精神状況。これは必ず起こると思う。怖くて外に出ないで、それで持病がすごく悪化して、ということも僕は増えていくと思います。そういう点では今後、孤独死が増えてくるということについて、どういう危険性があるのかということを、社会は考えていかなきゃいけないんじゃないか。」(日本医師会 石川広己医師)
▶︎クルーズ船に残されたヒント 教訓を生かすには
3月1日、「ダイヤモンド・プリンセス」からすべての乗客、乗員が下船。クルーズ船の中で、実際のウイルスの痕跡を調べ、感染の仕組みを大規模に探る調査が行われていた。調査にあたった国立感染症研究所の山岸拓也さん。感染者がいた33の客室から、それぞれ10か所のサンプルを採取。ウイルスの遺伝子が残っていないか分析した結果、最も多くウイルスの遺伝子が見つかった場所は「ユニットバスの床」だったと言う。
「感染者の身の回りで、よく汚染されてしまうかもしれない場所が分かってきました。例えばトイレの周り(便座や取っ手)、テレビのリモコン、電話の受話器。机や椅子の取っ手。こういったところを頻回に掃除して、消毒していくことが大事になってきます。」(国立感染症研究所 山岸拓也室長)
さらに山岸さんが驚いたのは、症状が出ていない感染者の部屋からも同じようにウイルスの遺伝子が見つかったことだ。
ではウイルスの感染力は、どのくらい持続するのか? プリンストン大学の研究チームでは、新型コロナウイルスをさまざまな物質の表面に付着させ、どのくらいの時間、感染力が保たれるか実験を行った。
▶︎その結果
・ステンレスの表面では3日間感染力が持続
・プラスチックでも感染力は3日間持続(インフルエンザウイルスと比べると1.5倍の長さ)
「最も危険なのは最初の2~3時間で、その後は次第に感染力が減りますが、危険がなくなったと思ったら大間違いです。最初に大量のウイルスがあれば、その分だけ感染力が残るのですから。」(プリンストン大学 ディラン・モリスさん)
いま日本のみならず世界を覆う事態に、いち早く直面していたクルーズ船。そこから得られた教訓を生かしていくには、何が求められているのだろうか。
NHK社会部、牛田デスクは「対策のスピード」と「情報共有の重要性」を指摘する。
「ウイルスとの闘いは、スピードが重要ということです。このウイルス、気づいた時には一気に感染が広がる。ですので、検証結果などは本当に素早く共有する。そしてフィードバックして政策に生かしていく。そのスピードが求められると思います。クルーズ船だけでなく、いまさまざまな現場で知見や教訓が得られてきています。これを国や行政は集約して、積極的に開示すべきだと思いますし、それが責任だと思います。私たちメディアも、それを広く伝えていく。これがすごく重要だと改めて実感しています。」(NHK社会部 牛田正史)
NHKスペシャルでは、今後も「新型コロナウイルス」に関する番組を放送予定です。