■土偶の美
土偶(どぐう)は、人間を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品で、日本では、縄文時代に沖縄県を除く地域で製作された。古墳時代に製作された埴輪とは区別される。
世界的には、こうした土製品は、新石器時代の農耕社会において、乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は、農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例があまりない。
日本では、海外の考古学書の翻訳において、ceramic figurine teracotta(figurine)の訳語として「土偶」を使用することもある。縄文式土器と同様、土偶も出土地域や時期によって様々な様式のものがある。現存する日本最古の土偶は、三重県で出土した縄文草創期のものである。早期には近畿、関東東部に広がっている。中期終わりには、東北地方を除いてほ とんど作られなくなるが、後期には東日本を中心に復興する。九州においては、熊本を中心に後期のものが出土している。弥生時代にはほとんど作られなくな る。
現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い。特に、脚部の一方のみを故意に壊した例が多い。そのた め、祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表し、特に女性の生殖 機能を強調していることから、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。その他、神像、女神像、精霊、護符、呪物などの多様な説があ る。
土偶は、土をこねて人間の形をまねて創られ、焼き上げられている。全体は人間の形に作り上げられているものの、頭部・胴部・手足などは抽象的に表現されて いる。しかし、乳房・正中(せいちゅう)線・妊娠した腹部・陰部・臀部など特定の部分だけ具体的に表現されたものが多い。ほとんどの土偶は女性型である が、北海道千歳市で発見された板状土偶のように、男性性器が表現されているものや、体型の異なる2体の土偶が同時に出土し、片方が男性と考えられるもの等、男性型の土偶も数点出土している。
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