未来志向の社会デザイン
■未来志向の社会デザイン
塚原正彦
▶︎人口減少と消滅する自治体
私たちの未来予想図に深刻な影響を与えている問題の一つに、人類の歴史上、どの社会もまだ経験したことがない急速な人口減少がある。
2011年に国土交通省国土交通局長期展望委員会が発表した「国土の長期展望」中間とりまとめは、2005年から2100年に向けて、日本の人口は、明治維新の時代の3770万人まで減少すると予測している。この事態に対して、千年単位でみても、類を見ない極めて急激な減少という表現で、警鐘をならしている。
人口の減少が深刻なのは、それが需要の減少と生産力の低下を引き起こし、経済活動を縮小させてしまうからである。それに加えて、急速な高齢化が医療や福祉への社会サービスを増大させるからである。
▶︎人類が経験したことがない深刻な人口減少国土交通省国土計画局長期展望委員会の推計によれば、日本の総人口は、2004年をピークに今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく可能性を指摘し、「この変化は千年単位でみても類を見ない、極めて急激な減少」と記述している。(2011年に国土交通省国土計画局作成)
■失なわれる夢
いまの仕組みを見直し、私たちの暮らしを変えなければ、経済も地域社会も前にすすむことができない事態が起きている。にもかかわらず、政府からも、自治体からも、そして企業からもいまの仕組みを変えようという未来志向の新しい動きは起きてこない。
2014年に日本創成会議が、2010年の国勢調査を基礎資料に20〜39歳の女性の人口減少に焦点をあて、「消滅可能性のある都市」を試算し、発表した。それによると、2040年までに全国約1800市町村のうち約半数の896市町村が消滅するという。
あまりにも衝撃的な予測である。それにもかかわらず、消滅可能性を指摘された自治体は、補助金などを活用しての少子化対策や婚活イベントなど思いつきレベルの施策で満足してしまい、未来のためのアクションクションを起こせないでいる。
いま日本社会では、多くの人々は、目の前の課題を処理する作業に追われて、それで仕事をしている気になってしまっている。そして人々の暮らしからは、未来は忘れられ、未来を考えることさえ避けてしまおうという風潮が支配的になりつつある。このまま事態が推移すれば、自治体はいうまでもなく、日本社会は消滅してしまうだろう。
■消滅可能性都市・・・「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会が、最近の都市間の人口移動の状況、特に20~30代の女性の数の減少に着日して試算した結果、2040(平成52)年に若年女性の流出により全国の896市区町村が「消滅」の危機に直面すると発表した。北海道や東北地方の山間部などに集中しているものの、大阪市の西成区や大正区、東京都豊島区などもその対象とされている。
■負のスパイラルを変えるために
日本社会がこの危機を克服し、未来を切り拓いていくためには、負のスパイラルに突入してしまった潮流を変えなければならない。そのためには、いま起きている現象を引き起こしている大きな潮流をつきとめ、それにメスをいれる本質的な対応が求められている。
少子高齢化、膨れあがる財政赤字、格差社会、地方経済の低迷、環境コストの増大、災害と原子力発電所の事故にかかわる諸問題など、いま日本社会の未来を不安にしているこれらの政策課題は、即時対応可能なsingle-issue(一面的)ではない。文明の構造転換を背景にした産業社会の負の副作用が相互に複雑にからみあって生起している課題である。
そのようなまなざしを持つことではじめて、少子化こ対峙するためには、それを引き起こしている家庭のあり方、仕事と生活のバランス、そして人々の生活価値までふみこんだ戦略的な対応が必要なことがみえてくる。そして、人々の生きるカタチにまでふみこんだ未来志向の社会デザインを提起しない限り、一歩も前にすすめない事態にあることがみえてくる。
■一人にやってもらう社会の終わり
これまでの私たちの社会は、科学技術のチカラで、エネネルギーは限りなく供給され、企業は常に雇用をつくり、安全や安心、絆や助けあいは政府や自治体が責任を持って担うという暗黙の了解があった。
そして、私たちは、科学技術や社会の仕組みに絶対の信頼をよせ、産業や経済活動を中心に社会が動くものという意識のもとに、生活を組みたててきた。戦後の日本社会では、未来への希望や幸せは、誰かが持ってきてくれるものであった。
■自分のチカラであしたを描く
危機を克服し、課題を一つでも前にすすめるためには、第一に、そのような過去の成功体験を捨てなければならない。すなわち、科学技術や産業、経済活動の成果に過度に期待しないで、組織や人まかせにしないで一人ひとりが自律して生きていくようになるための活動を支援する施策が求められている。
そのためには、一人ひとりが自らのチカラで、まっしろなキャンパスにあしたを描きあげるアプローチが必要になってくる。そして未来をデザインする作業にみんなを参加させ、その喜びを実感してもらう施策に舵をきらなければならない。そうであるからこそ、少子化や医療、福祉という個別の施策よりも、暮らしを変え、人々の意識を変えるための社会デザインを準備することからはじめなければならない。
■地域社会の一人ひとりを磨く
■経済の時代と福祉コンクールの終わり
20世紀は、経済の時代であり、経済の思想で社会が動いた。金銭価値を中心にした規模と効率性が地球のすみずみまで浸透し、人々を動かした。
政府は、消費と投資を促すための公共事業にエネルギーを注ぎ込むことで、雇用をつくりだし、人々に富を配分した。医療、介護、子育て、助けあいなどの生活課題については、金銭を中心にした保障と支援にエネルギーを注ぎ込み、サービスを提供した。
政府も企業も金銭のチカラで意図的に仕事をつくり、人々にサービスを提供した。その結果、金銭価値が富になり、金銭価値で社会のすべて動くこととなった。それは人口が増大し、右肩あがりの経済成長が続く限り有効な社会モデルであった。
ところが、限りない経済成長を続けることは不可能である。ローマ帝国は、無料のパンとサーカスを求める大衆を満足させるた芸サービスコンクールに陥り滅亡してしまった。歴史の教訓が教えてくれているよぅに、社会保障が約束されると、人々は無料の福祉をあてにして、働かなくなる。
それ加えて、あるレベルの豊かさに達すると人はさらなる成長を求めてあくせく働くことを望まなくなるという人間の摂理も考慮しておく必要がある。豊かな社会では、時間に余裕ができた人々が、それまで金銭で対応していたサービスを自分で学習し、手間をかけて自分でやってみようとする高度なサービスが登場してくるようになる。そのような生活苦が支配的になると、少子化が引き起こされ、人口は減少していく。
そのように考えてみると、人口減少と縮小経済に直面している日本社会では、今までのように公共事業や金銭による雇用も社会サービスも生み出せなくなっていることが見えてくるはずである。
■日本の自殺・・・1975年に、「文芸春秋」3月号に掲載されたグループ一九八四といぅ学術研究集団による論文で、日本社会の予言の論文として二七年後の二二二∵年の同誌二月号に再掲された(一滴亡したローマの文明の「ハンとサーカス」を糸口に、市民に対する権力の迎人口が人を無力化し、腐食させることと福祉コンクールの危険性に警鐘を鳴らし、新しい理念と政策の必要性を提起した:政策効果も検証することなく実施され続けている自治体の婚活イベントや温浴施設の整備は彼らの警鐘そのものであろう。
■生きチカラをみがく人への投資
負のスパイラルに陥ってしまった潮流を変えるためには、これまで金銭価値を中心にして、モノやコトに向けられていたまなざしを、一台とりの生活者に向けてみる必要がある。そうすると、地域社会の主役である一人ひとりの生きるチカラを高めることで、肥大化した福祉や衰退した競争力を回復するアプローチがみえてくる。
すべての人は、昨日とちがう自分になろうという意志を持っている。暮らしを少しでも良くしたいという意欲を持っている。そのような意志や意欲を伸ばし、自分を磨きあげる行学びである。人は、人やモノと出あいながら、知る楽しさにふれ、「知と学び」をとおし、自分を変え、空し続けていくっ科学的な発見も、社会を良くしようという活動もそしてビジネスも、「知と学び」をきっかけに、人と人が結ばれては じめて誕生する。
▶︎未来ショックを超えるための社会デザイン「消滅する自治体」「医療と介護難民の発生」「ひろがる格差」「地価の下落と土地資本主義の崩壊」などの未来予測に衝撃を受けるのではなく、地域社会も、企業も、そして何より私たち一人ひとりが、未来に夢を持ち、自らのチカラでデザインすることに喜びを持ち、あしたへの限りない成長をめざし、少しでも自分を磨くという視点が求められている。すなわち、未来は「知と学び」で変えることができる。そのために、一人ひとりの人へ投資し、人をみがき、人をいかすための学びの場、学びの仕組みを創出する施策が「知の福祉」である。
■知と学びをふり注ぐ新しい福祉
あらゆる人々に、「知と学び」の機会をふり注ぎ、学ぶ意欲を持続させることができるなら、一人ひとりの生きるチカラを磨きあげることができるはずである。そのことは、私たちの社会に新しい活力をうみだすだろう。
そして、一人ひとりの「知と学び」が結びつけば、誰もがあしたへの希望を持ち、社会に参画する新しい地域社会の創造も可能になる。私たちは、一人ひとりの人にまなざしをあて、「知と学び」を注ぎ込む一連の社会デザインを「知の福祉」と定義し、未来ショックを超える社会デザインとして提起したい。
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