データ検索情報誌2018~2019
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由良妙印尼の軌跡
■戦国末期の女傑
▶︎由良氏とは
由良氏
は、
新田義貞
の子孫 由良氏は
新田義貞の子孫
であり、
徳川将軍家と同じ清和源氏新田系
となる。由良成繁の代に
群馬県大田市
を中心に
館林・足利・桐生
などを支配して
戦国大名
に成長した。
今回、注目するのは
成繁
の正室である
妙印尼輝子
。『のぼうの城』に登場する
姫武者・成田甲斐の祖母
にあたる。そして彼女の実績は時代を代表する女傑と評価も高まってきている。一方そうした研究は群馬県の人たちが中心で、
茨城県で由良氏への関心は薄いのが現状
。
▶︎妙印尼の驚異的決断と実行力
では妙印尼活躍の一端を紹介したい。まず第一が
後北条氏に謀(たば)られ
(騙される)、長男の
由良国繁たちが捉えられ降伏を迫られた時点の対応に注目したい
。時に
天正12年(1584年
)、71歳の妙印尼は、甲胃を纏(まと)い(身に着ける)三千名の将士を率いて
金山に籠城(ろうじょう・立て籠もる)
。後北条軍に善戦し和睦。金山城を失うも
息子達を奪還
し、
桐生に移る
ことで由良家を守った。
次の危機は、
天正18年(1590年
)、
豊臣秀吉の小田原攻めで発生
。
国繁は後北条の命令に従い主力家臣と小田原籠城
となった。巨大な豊臣軍に対し後北条軍の勝利は薄い。由良氏存続は絶望的状況となった。だが
77歳の妙印尼
は、
孫の忠繁
を中心に
三百の兵を集め前田利家の軍に強行参加
。見事な戦果を上げ
秀吉からも賞賛
された。
その実績で
牛久に妙印尼名で5400石を与えられ転封(
てんぽう・知行地、所領を別の場所に移すことである。 国替(くにがえ)、移封(いほう)とほぼ同義である
)
となる。
国繁も許され
、
牛久城主に就任
。
妙印尼の迅速な決断と行動が家名存続
を可能にし、後に
高家旗本
とし過され
明治維新を迎えられた
。妙印尼が地域に残したもの 晩年の妙印尼は、牛久城の大手門そばに庵を造り、後に
曹洞宗「得月院」
となり
彼女の墓
もある。同院は
日本画の巨匠・小川芋銭の菩提寺
でもあり、巨木が芋銭のモチーフにもなった。
そして最大の功績は、討ち死にした将士を敵味方関係なく弔うため
七観音八薬師
を
街内に建立
したことだ。街主変更で起きる民心不安解消にも役立った。
まず
七観音
では、
つくば市羽成の「羽成観音堂
」が知られている。地域の信仰を集め、谷田部藩の藩医・広瀬周度作の天井画は圧巻(非公開)。
牛久市牛久の正源寺「牛久観音」
も並び立つ山門と共に深い趣を醸し出す。はかに
龍ヶ崎小通草町
の
慈眼院「小通観苦
」、
つくば市下岩崎
の「
下岩崎観音堂
」などが現存している。
八薬師
としては、
つくば市谷田部
にある
医王寺「谷田部薬師」
はその一つ。旧暦4月4日の花祭りでは露店・植木市がならび賑わいを見せる。取手市藤代の高蔵寺
「藤代薬師
」も大切に保存されている。
金竜寺にある新田義貞の墓(龍ヶ崎市若柴)
龍ヶ崎若柴
の「
太田山金竜寺」に新田義貞の正式な墓
がある。同寺は新田貞氏の創建で
群馬県大田市金山にあった
が、子孫である
由良氏転封に伴い桐生などを経て移転。
同地には
貞氏や国繁
の墓も並んでいる。なお
同寺院は曹洞宗
で、一都九県に末寺を
百五十程有
している。数々の寺宝が遺され、特に
重要文化財・十六羅漢像は、義貞ゆかりの仏画として有名。
▶︎妙印尼パワーが息づく
兵農分離が未成熟で領民皆兵の時期だけに敵味方を問わずに
七観音八薬師
で祀ることの効果は想像以上の成果を上げたはず。嶺内にくまなく建設した発想は、現代でも参考となる事例と言えよう。
由良氏代官
として
続いた家系と家を守っている
。
さらに
広瀬周度
や
小川芋銭
などの作品を生み出すパワーを創り出したことにも驚かされる。そして取材中、羽成観音堂をボランティアで清掃している方に出合い、その利他に溢れた人生観に敬服しあらためて妙印尼の偉大さを痛感した。
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