佛照寺

佛照寺
■佛照寺の沿革

浄琴山佛照寺は浄土真宗本願寺派に属す。

本尊 阿弥陀如来 江戸初期(寛永時代)佛師康雲

宗祖  見眞大師親鸞聖人  1173-1261

 当山の発祥は、元京郡山城の国愛宕郡六條境内浄貞寺の信後、山崎重家公が近江の国(滋賀県)より備中の国(岡山県西部)成羽城主となり、入城のとき守護佛として、尊像阿弥陀如来を浄貞寺浄後法師より奉戴し、高梁の地に浄貞寺通寺を建立され、藩主や臣下の菩提供養に勤めていたが、後星霜の得、藩主も廃藩置県となり、信後も散失し、やむなくご本尊は松山藩寺の正善寺預かりを、拙寺初代住職太信法師大阪茨木目垣仏照寺で発心し、

 昭和一六年四月京郡西本願寺得度受け出家後故郷に帰り、正善寺平岡大禎法師の許で法務を勤めていた縁で大禎法師から浄貞寺本尊を守るよう願われ、

 昭和二十五年五月備前の国(岡山県)加茂川の地に移され、浄土真宗本願寺派浄琴山佛照寺と改称し、法燈護寺に勤めておりましたが、

 昭和三十五年六月太信法師によって関東筑波の霊峰を望む聖地乙戸に仮堂の一宇を建立し、移転後副住職仁彦師と親鸞聖人の教化傅道の旧跡をしのび、仏法興隆のため境内に、昭和五十三年建立の本堂、鐘楼、ビルマ・インパール戦歿者供養申す、ビルマ釈迦堂、門徒会館、永代納骨廟、身代地蔵、慈母観音が建立されております。

   

 

■参照

正善寺をたずねる。浄土真宗本派の寺院、山号は高梁山。1593年の開山、本尊は阿弥陀如来。本堂は昭和7年の再建。正善寺

▶ミャンマーケミンダ師のお別れ会、実行委員八坂和子さんのあいさつ