鎌田正蔵略年譜

■鎌田正歳時年譜

年譜は「鎌田正蔵年譜」『画業60年鎌田正蔵展』図録、小泉晋弥、杉原聡、菅野洋人(編)郡山市立美術館、1996年、91−106頁を基本とした。

凡例

●本略年譜には、鎌田正蔵に関する事蹟を編年順に収めた。

●展覧会出品記録には、冒頭に「O」を付した。

●同時代の動向に関する記述には、冒頭に「》」を付した。

▶1913(大正2)0歳

 10月3日、鎌田悌次郎と秀子の長男として、父の赴任先の島根県松江市に生まれる。

▶1917(大正6)頃】3、4歳

 福島県田村郡三春町清水に転居(鎌田家は代々三春藩主秋田家の家臣であつた)。その後仙台、東京・牛込へ移り10歳の時に、南洋庁に赴任していた父を追ってヤップ島、ボナペ島へ渡る(1925年に三春に戻る)。その間に2歳年下の妹・美屋子と母を相次いで亡くす(悌次郎はその後再婚するも、義母も16歳の時に亡くす)

▶1926(大正15)13歳

 4月、三春町の旧制・田村中学(現・県立田村高等学校)へ入学。翌年、父が三春町長となる(1931年11月まで)

▶1929(昭和4)16歳

 画家になることを決意。父に反対されるも、その父の紹介で石塚省三(三春生まれ、松岡映丘の弟子)の世話になる。

▶1931(昭和7)18歳

 3月、田村中学校卒業。東京美術学校(現・東京嚢術大学)の受験に失敗。東京・谷中の田村学寮に転居し、同舟舎で小林万吾に木炭デッサンを学ぶ。その後、品川八ツ山に下宿、翌年には父とともに叔父の恭三郎宅(代々木上原)へ転居

▶1933(昭和8)20歳

 4月、東京美術学校油画料予科入学。田辺至教室でデッサンを学ぶ

▶1934(昭和9)21歳

 2月、福島コレクション展(東京・有楽町、日本劇場)開催。この時、鎌田はピカソやルオー、モディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》を見る4月、東京美術学校油画科本科入学。岡田三郎助教室で本格的に油絵を始める

▶1937(昭和12)24歳

 5月11日、東京美術学校油画科同級生の石原寿市、加藤太郎、杉全直、高橋善八、山本占太郎、福留五郎、白滝弥彦、日向裕、山元憲一、杉原正巳とともに同人会(のちの貌)を結成。6月、海外超現実主義作品展(東京・銀座、日本サロンほか)開催。鎌田はエルンストの風景に非常に惹かれたが、ダリには関心を寄せなかった。

〇11月8−11日、第1回貌展(東京・銀座、紀国屋画廊)《的のある風景》《壁》を出品(1939年の第4国展まで出品)。この年、池袋、長崎のアトリエ村、通称パルテノンヘ転居。

▶1938(昭和13)25歳

 3月、東京美術学校油画料卒業。

 4月初旬、『JEUX D’ESPRIT』第1号発行(1939年の第8号まで発行)。

 10月、父が三春町長に再選(1941年12月まで)。12月6日、三春に帰郷。その4日後、仙台野砲二連隊入営「貌」の仲間たち上段左から山元恵「加藤太郎、杉全直、下段左から鎌田、杉原正己

▶1939(昭和14)26歳

 ○3月10−30日、第9回独立美術協会展(東京・上野、東京府美術館)《庭園》入選。

▶1941(昭和16)28歳 

 12月10日、除隊

▶1942(月初17)29歳

 1月、仙台野砲二連隊に再召集される。

 4月29日、悌次郎死去。夏頃、杉全直の仲介で福沢一郎の戦争画制作のための資料として、軍服や鉄兜などを貸出す。その礼として福沢から鳩のデッサンを送られ、それに刺激を受けて鎌田も鳩のスケッチをする。

▶1944(昭和19)31歳

 4月29日、岡山マサと結婚

▶1945(昭和20)32歳

 5月末、作品を預けていた加藤太郎のアトリエ(世田谷区代田)が爆撃を受け焼失。

 8月15日、終戦。

 9月、復員、三春町へ帰る。11月、小名浜高等女学校(現・県立小名浜高等学校)教諭となり、小名浜・古湊に移る。

▶1946(昭和21)33歳

 5月、若松光一郎、熊坂太郎、鈴木新夫、柴田善登、柴田左千雄とともに同人会(のちの新吉会)を結成

 ○5月25−26日、第1回同人会油絵展(いわき市、マルトモホール)《自画像》(上図)4点を出品(以後、第4回展を除き、第12回展まで出品)。

▶1947(昭和22)34歳

 6月1日、県立安積高等女学校(のちの県立安積女子高等学校現・県立安積黎明高等学校)教諭となる。

 7月、三春町へ移る。9月17日、長女・陽子誕生

▶1948(昭和23)35歳

 ○6月19日−7月5日、第8回美術文化協会展(東京」上野、東京都美術館)《ニンフ》入選。

 8月1日、佐藤昭一、西田藤次郎、杉三郎、丸樹長三郎、米倉免、安藤路郎らとともに福島県新美術連盟を結成、鎌田は同連盟の委員となる。

 11月5−7日、福島県新美術連盟第1回展(郡山市商工会館ホール)出品(以後、第3回展まで出品)。

 11月10−14日、第2回福島県総合美術展(福島市公会堂)《赤い服の女》出品、特選・知事賞受賞(以後、第41回屈まで断続的に出品)。

▶1949(昭和24)36歳

 1月、安積女子高校の教員住宅(現・郡山市長者)に移る

 3月5−17日、第9回美術文化協会展(東京都美術館)《少女》(上図左)入選

 11月18−20日、(第1回、郡山市、クラブ自動車階上)25点出品(以後1955年まで毎年個展開催)。

▶1950(昭和25)37歳

 6月、朝鮮戦争勃発(1953年7月、休戦)。

 10月28−29日、鎌田正蔵油絵個人展(亡父悌次郎追善供養)・(三春町、三春小学校大講堂)30点出品。

 11月25−27日、第2回鎌田正蔵油絵個人展(クラブ自動車階上)16点出品。

▶1951(昭和26)38歳

 11月11~15日、第2回県南美術協会展(郡山市公会堂)出品(以後、第41回展まで断続的に出品)。

 11月12−14日、第3回鎌田正蔵油絵個人展(郡山市、ツタヤ洋品店2階ホール)15点出品。《【裸体男性群像]》(慟哭)の前で1951年頃

▶1952(昭和27)39歳

 1月頃、郡山市で1941年に結成された蒼寺社の同人となる(以後1963年まで同社の展覧会に断続的に出品)。

  9月21−10月7日、第16回新制作協会展油絵部(東京都美術館)で《作品》(上図)が初入選(以後、1998年まで毎年出品)。

 11月21~25日、第4回鎌田正蔵油絵個人展(ツタヤ洋品店2階ホール)10点出品。

▶1953(昭和28)40歳

 5月30−6月1日、鎌田正蔵油絵個人展(福島市、物産鋸)26点出品。

 8月22−26日、第2回平和のための美術展(郡山市公会堂)《慟哭》(上図)ほか1点を出品(以後第4回展まで毎回出品)。

 11月21−24日、第5回鎌田正蔵個展(ツタヤ洋品店2階ホール)約14点出品。

▶1954(昭和29)41歳

 9月、郡山市豊田町(現・長者)に自らが設計した住居兼アトリエが落成。

▶1956(昭和31)43歳 

 9月21日−10月7日、第20回新制作協会展油絵部(東京都美術頗)《作品B》《黒い火》で新作家賞受賞、協友となる。

▶1957(昭和32)44歳 

 佐藤昭一、佐藤宏道、芳賀忠行、渡部武に賛同し、束原正光、橋本章とともに新作家グループを結成(のちに新作家美術会、続いて集団新作豪に改称)。

 4月27−30日、第1回新作家グループ展(ツタヤホール)出品(1980年まで毎回出品)。

 9月21日−10月7日、第21回新制作協会展油絵部(東京都美術鶴)《水土》で新作家賞受賞。

 11月22−24日、鎌田正蔵個人展(三春町小学校)21点出品。

▶1958(昭和33)45歳 

 春、蒼胃社の仲間、佐藤昭一、橋本貢と新築の郡山市立図書館(現・郡山市歴史資料館)の壁にレリーフ制作。

 7月1−10日、鎌田正蔵小品展(白河市、松河屋2階)12点出品。この年、アートクラブ会員となる。

▶1959(昭和34)46歳 

 5月18−24日、鎌田正蔵個展(東京・銀座、サトウ画廊)14点出品。

▶1960(昭和35)47歳

 7月、杉全直を招き、講演会を行う。11月14−20日、第2回鎌田正蔵個展(東京・銀座、サトウ画廊)12点出品。

▶1962(昭和37)49歳

 11月7日、安積女子高校創立50周年を記念して、朝倉摂の講演会を行う。cこの年、アートクラブ展《作品(緑色)》(下図)出品。

▶1964(昭和39)51歳

 8月、べトナム戦争勃発(1973年1月、停戦)。

▶1965(昭和40)52歳

 3月16日、平和運動家アリス・ハーズがベトナム戦争に反対して、デトロイトで焼身自殺を遂げる。

▶1966(昭和41)53歳

 9月22日−10月10日、第30回新制作協会展油絵部(東京都美術館)<祝日(A)》《祝日(B)》《祭日(B)》入選、会員推挙。

▶1968(昭和43)55歳

 3月、安積女子高校教諭退職。

 4月、郡山女子大学短期大学部生活芸術科教授就任。

▶1969(昭和44)56歳 

 7月1~10日、鎌田正蔵個展(郡山市、エムポリアム画廊)15点出品。

▶1972(昭和47) 59歳

 10月18−23日、鎌田正蔵個展(郡山市、カドエビ画廊)。

▶1973(昭和48)60歳

 7月30日−8月20日、若松光一郎とヨーロッパ旅行

 11月、若松光一郎、鈴木新夫と素心会結成

▶1974(昭和49)61歳

 1月19−28日、鎌田正蔵素描展 私の見たヨーロッパ(カドエビ画廊)。

▶1975(昭和50)62歳 

 8月17−25日、ギリシア旅行。

▶1976(昭和51)63歳

 5月5−9日、鎌田正蔵展(1961−1976.自選展)(三春町公民東3Fホール)約32点出品。

 11月17−27日、東京美術学校昭和13年卒業生によるGroup13に参加。第1回展(東京・銀座、和光6階ギャラリー)《貴装(A)》《貴装(B)》出品(以後、1990年まで出品)。

▶1978(昭和53)65歳 

 8月1−20日、スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅。

▶1979(昭和54)66歳

 9月28日~10月6日、若松光一郎と東ドイツ旅行。

▶1982(昭和57)69歳

 3月24−29日、鎌田正蔵展”あるフォルムの探求に向って” 近作絵画20点(郡山市、力増ね画廊)。

 5月7−31日、鎌田正蔵展−あるフォルムの探求に向ケぐ−(東京六本木、ストライプハウス美術館)21点出品。この年、三春町清水にアトリエ落成。

▶1984(昭和59)71歳

 3月、郡山女子大学教授退職

 10月20日一21日、アトリエ展(個展、三春町アトリエ)。

▶1986(昭和61)73歳

 4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故発生

 4月27−29日、第2回アトリエ展(個展、三春町アトリエ)。

▶1990(平成2)77歳

 10月10日−11月25日、「日本のシュールレアリスム1925−1945」展(名古屋市美術飴)に出品。

▶1991(平成3)】78歳

 1月、湾岸戦争勃発(同年2月、停戦)。

▶1994(平成6)81歳

 5月12−22日、鎌田正蔵作品展 黒い絵(郡山市、Galleru静〉32点出品。

 11月3日、郡山市文化功労賞受賞。

▶1996(平成8)83歳

 04月13日−5月12日、「画業60年一鎌田正蔵展」(郡山市立美術館)。

▶1999(平成11)7月15日、肺炎のため死去。享年86歳