コピーの時代

■デュシャンからウォーホル、モリムラへ

尾崎佐智子

■はじめに

 近年の美術の趨勢を見渡してみる時、平面、立体、映像、パフォーマンスなどの表現媒体を問わず、作家が独自に創出した新たな表現ではなく、既知のイメージ、例えば、過去の美術作品や現代社会に流通する図像をそのまま利用した試みが多く見受けられるように思われる。これは単に、作家が作品を制作する際、先行する美術の影響を受けるといったレベルに留まらない。もっと確信犯的な企みとしての表現、すなわち先人による表現の「コピー」であることを百も承知の上で、自覚的に「コピー」した作品が新たに登場しているように思われる。試しに具体的な作品を幾つか列挙してみよう。美術史上の名画の登場人物に自ら扮装して写真に収めた森村泰昌のセルフ・ポートレイトや、過去の美術作品にユニークなアレンジを施した福田美蘭の作品

森村泰昌(MのセルフボートレイトNo.56/B 森村泰昌(6人の花嫁)1991年122

 あるいは既成の缶詰のパッケージ・デザインを引用するアンディ・ウォーホルの作品、また社会に流通する紙幣のイメージを模倣する赤瀬川原平の一連の干円札作品など。様々な既成のイメージが既に表面に宿っているこのような作品を前にして、我々鑑賞者はどのような態度をとればよいのであろうか。

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 前者は過去の美術作品、後者は現実の日用品と、引用の対象となるイメージはそれぞれ異なるが、いずれの作品においても見る者は基本的に引用元の原典を知っていることが前提とされている。もちろんオリジナル・ソースを一切知らずとも鑑賞は可能であるが、作品について深い理解を得ることは困難であろう。このことは一体何を意味しているであろうか。オリジナルとコピーされた作品とを比較し、共通点と相違点を考察するためであろうか。はたまた1980年代に日本で流行した「ポスト・モダン」と称される思想に則り「乱造はもはや古い」と唱えているのであろうか。ここでは「引用と複製」(註1)の系譜の起源をデュシャンに定め、ウォーホルを中心としたポップ・アートを経由して、森村らシミュレーショニズムヘと至る道のりを、作品の表面に現れているイメージと表面に宿されたイメージを巡って検討する。

■起源としてのデュシャン・・・レディ・メイドを中心に

 「現代美術の原基」と称されるマルセル・デュシャンは、今日、美術作品における「引用と複製」の問題を考えるうえで避けて通ることのできない革新的な作品を2点制作している。

 まず1点は、1917年のニューヨークのアンデパンダン展に出品拒否された、男性用小便器にR.Muttと署名をした作品《泉≫(下図左)である。今でこそ美術作品として広く認知され、そのレプリカが美術館の展示室に鎮座するこの作品は発表当時、不道徳で下品な便器である点や工場で量産された既成品をそのまま提出するのみで作者の独創性が全く表現されていない点などから、芸術作品とは見なされなかった。しかし、デュシャンは芸術作品とは芸術家という特殊な人間が制作したモノだけではなく「選ばれ、名付けられ、署名された」モノも芸術作品に含まれるという考え方を提示し、美術作品の定義を根底から変えた。こうした既成品のオブジェをデュシャンは「レディ・メイド」と命名したが、このような思考の基盤となっているのが、日用品を芸術作品に一瞬にして変貌させる芸術家の神秘的な選択眼であった。しかしながら当時は、衛生器具屋のショウウインドウにディスプレイされていれば何の問題もない便器が展覧会の会場に持ち込まれたとたん「不道徳で下品」とされ、モノの意味が本来のシステムからずれることで生じる混乱によって《泉≫は芸術作品とは見なされず、芸術概念を疑問視する反芸術の典型としての側面だけが強調される結果となった。

マルセル・デュシャン (泉) 1917年 レオナルド・夕・ウィンチくモナ・リザ〉 1503-06年頃マルセル・デュシャン《L.H.00Q.》1919年

 2点目は、レオナルド・ダ・ヴインチの《モナ・リザ≫(上図右)の複製画に鉛筆で髭を加筆した《L.H.O.O.Q.≫(上図)である。《泉≫が発表された2年後の1919年に制作されたこの作品において我々が読むべき重要なポイントは、デュシャンがルーヴル美術館の《モナ・リザ≫の前にイーゼルを立てて原作の模写をしたのではなく、複製図版を用いたことである。レオナルドが16世紀初頭に《モナ・リザ≫を制作してから、実に多くの人々によってこの傑作は「コピー」されてきた。レオナルドの傑作をせめてコピーで所有したいという欲望、作家や作品に対するオマージュ、あるいは「スフマート」と呼ばれるポカシの効果で自然な立体感を出す油彩技術の修練など様々な理由から、19世紀以前には多く油彩による模写がなされ、19世紀になると版画による複製が大量に出現し、《モナ・リザ≫のイメージは広く流布する。そして複製技術時代を迎えた20世紀初頭、デュシャンは安価な紙に印刷された複製図版の《モナ・リザ≫を取り上げ、便器や瓶乾燥器などの日用品と同様、レオナルドの名画さえも「レディ・メイド」として扱うことで、「引用と複製」という手法は新たな局面を迎える。すなわち、写実技法の一つの究極点としての《モナ・リザ≫の技術習得やオマージュではなく伝統的な手技としての絵画の否定として、《モナ・リザ≫に象徴される名画を引用するという新しい手法がここで初めて確立したのである。既成のイメージを再利用するのみならず、作り手の制作行為の痕跡をも排除する複製図版を用いることによって、デュシャンの作品はオリジナルの原作の単なるコピーではなく、作品制作における作家のオリジナリティーを消去することで逆説的にオリジナリティーが発生する「オリジナルなコピー」となった。

 さらに注目すべきは、1965年にデュシャンは≪モナ・リザ≫が印刷されたトランプを紙に張り付けた《ひげをそった」L.H.O.O.Q.≫(図4)を発表していることである。ここでは、レオナルドの《モナ・リザ≫が引用されているのみならず、デュシャン自身の作品≪L.H.O.O.Q.≫も引用されている。このような作品において我々は、デュシャンの≪L.H.O.O.Q.≫というフィルターを介した眼差しでしか《モナ・リザ≫を見ることができないことに気付くであろう。また≪L.H.O.O.Q.≫には、1919年にパリで制作された第1版のオリジナルの他、幾つかのヴァージョンが存在する。例ぇば、デュシャンの盟友であったフランシス・ピカビアが口髭を描き、デュシャンが顎髭を描き込んだ1920年の第2版、また1930年にはルイ・アラコンのために制作された大きな判形の第3版などが制作されている。そして1964年にはミラノのシュワルツ画廊が≪L.H.O.O.Q.≫のレプリカを35部限定で制作し販売している。このことは、レディ・メイドとしての美術作品がデュシャン以外の人物によっていつでも複製可能であることと、実際に複製が行われてきたという事実を示すものとなっている

 このようなデュシャンの≪L.H.O.O.Q.≫において幾重にも複雑に重層化された「引用と複製」をめぐる問題は、20世紀美術における「引用と複製」の系譜の言わば出発点となり、その後の多くの作家や様々な美術動向に決定的な影響を与えた。そして、デュシャンが開示した「レディ・メイド」というラディカルかつクリテイカルな概念は、1960年代のアメリカで開花したポップ・アートの作家によって、様々なヴァリエーションをともなつて変奏され、続く1980年代に登場したシミュレーショニズムの作家に引き継がれることになる。

マルセル・デュシャン(ひげをそった-L.H.O.O.Q.)-1965年

■ポップ・アーティストによるデュシャンの変奏・・・ウォーホルを中心に

 よく知られるように、ポップ・アートは自動車、テレビなどの電化製品がアメリカの一般家庭に行き渡り始めた1950年代半ばから1960年代にかけての社会的な背景のもとに生まれた動向であった。技術革新の成果により工場で大量に生産され、テレビや雑誌などのマス・メディアにおいて繰り返される広告をとおして周知され、消費者のもとで次から次へと消費されていく商品の数々。ポップ・アートの作家たちは、マス・メディアを流通する有名人や漫画、広告の図像、そして日常生活に氾濫するマス・プロダクツなどといった既知のイメージを引用した作品を次々に生み出した。ここではポップ・アートの初期において、これらのイメージが既成のイメージのコピーでありながら、同時に作家の手仕事、ハンドメイドとして成立していた点に注目したい

ロイ・リキテンスタイン (WHAAMl〉1963年

 例えば、ロイ・リキテンスタインは、雑誌に掲載される続き漫画の一部を拡大しキャンヴァスにアクリル絵具で手描きし、粗雑な印刷の際に生じる網点までも忠実に再現する(上図)。またジェームズ・ローゼンクイストは、雑誌や街角に氾濫する広告の断片的なイメージを組み合わせ、それらを壁画サイズの大画面にのっペりとした看板のような筆致で再生した(下図)。

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 一方、クレス・オルデンバークは、電話機や扇風機といった本来は固い既成品を布やビニールなどの柔らかい素材を用いて巨大なスケールで表現した<ソフトスカルプチャー(=柔らかい彫刻)>シリーズ(下図)を展開している。

 このようにポップ・アートの作家たちは、日常生活に溢れる既製のイメージを借用しつつも、デュシャンのように既成品そのものを提示するのではなく、レディ・メイドのイメージにサイズや構成上の変形を加えた作品、あくまでも既成のイメージに類似した手製の作品を制作した。このような些か逆説的な行為の陰には、どのような意味が潜んでいるのであろうか。

 従来、低級文化と見なされてきた漫画や商品の広告などは、1点の絵画として画家によって描かれた途端、高級文化と称される芸術作品へと格上げされる。だが、そのモチーフの低俗さゆえに、どこか釈然としない印象を与える。リキテンスタインの作品は、漫画を描いた作品なのか、漫画そのものなのか。だが、その答えは明白であろう。リキテンスタインは自ら漫画を創案するのではないことからも分かるとおり、それはあくまでも他人が創作した既製の漫画をモチーフとして描いた絵画作品なのである。そしてその事実を示すために、リキテンスタインはサイズや構図のうえで手を使って丹念に描いたことを露骨なまでに強調し、大量に印刷される漫画のひとコマと、世界にたった一つしかない手描きの漫画との比較を鑑賞者に促す。その結果、私たちは普段、熟視することのない漫画や広告あるいは何気ない日用品を、絵画や彫刻として鑑賞するという些(いささ)か転倒した体験をすることになった。

 しかしウォーホルの登場によって、このような状況は一変する。ポップ・アートを代表する作家アンデイ・ウォーホルは、1962年を境に、ポパイなどの漫画のキャラクターをキャンヴァスに手描きした作品(上図)から、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーなどの有名人、あるいはキャンベル・スープ缶やドル紙幣といったモチーフを作品に取り上げ、写真転写によるシルクスクリーン技法を用いた版画へと移行し、さらに1963年から「ファクトリー(=工場)」と称するアトリエで、アシスタントなど作家以外の人々の手により機械生産的な方法で作品を大量に制作するようになる。こうしてウォーホル個人ではなく「ファクトリー」が実際の制作者となるとき、作品はレディ・メイドのコピーを装うオリジナル作品から、レディ・メイドを瓢々とコピーするコピー作品へとその意味を変えた。他のポップ・アーティストが最後までレディ・メイドのイメージを引用した作品を手で制作し続けたのに対し、ウォーホルはただ1人、既知のイメージを手描きした作品から、ウォーホル個人の存在感が希薄な工房による作品制作へと移行することで、徹底的にオリジナリティーを否定したコピーによる作品の創出に成功するのである。

 ここで留意すべきは、ウォーホルは個人的に彼らのフアンであつたためにマリリンや工ルヴイスを描いたのでも、キャンベル社製のスープに特別な思い入れがあったためモチーフに選んだのではないことである。テレビや映画、雑誌や広告などの媒体を通して広く流通している既成のイメージをそのまま利用しているだけで、そこにウォーホルの個人的な感情は一切入っていない。よって、これらの作品は伝統的な意味合いでの「具象画」でも「肖像画」でもなく、正統的な意味での「静物画」でもない。何故なら、そこで再現されている図像は、生身の人間としてのマリリンや工ルヴイスでも、本物のスープ缶を描写しているのでもなく、いわば記号化された「クリシ工(=ありふれた常套表現)」としてのスターのイメージや商品のパッケージを無表情に指し示しているに過ぎないのである。そのことは奥行を欠いた平面的なウォーホルの作品自身が如実に物語っている。

クレス・オルデンバーク(Ice-Bag-Scale-B年アンデイ・ウォーホル(ポパイ〉1961年ロバー卜・モリス≪無題≫1965年

 このようなウォーホルの作品の特性を考察するにあたり、ミニマル・アートの作家ロバート・モリスが提唱したユニタリーな形態という概念が有効であるように思われる。モリスはその活動の初期において、三角形、立方体、直方体などといった単純な幾何学的な形態を用いた作品(上図)を制作し、このような還元的な単一形態をモリスは「ユニタリーな形態」と呼んだ。モリスによればユニタリーな形態とは「全体から部分へと視覚的に解体されない立方体のような単純な多面体」を指し、「作品の形態の細部をつぶさに観察せずともすぐにゲシュタルトが成立するため、作品全体の形態を瞬時にして把握することができる」と言う。このユニタリーな形態の最大の特徴は一度、観者の知覚のうちに一度ゲシュタルトが確立されてしまうと、ユニタリーな形態に関する情報は一切尽きてしまうことである。人はあるゲシュタルトについてのゲシュタルトをさらに求めることはない。例えば立方体は立方体であるという以上の情報を持ち合わせてはおらず、ことさらに立方体の意味を問う者はいない。なぜなら、立方体のごときユニタリーな形態においては、見る者が見たとおりの意味、すなわち立方体であれば立方体であるという程度の内容しかそこには含まれていないため、それ以上の解釈は意味をなさないのである。立方体は誰が見ても立方体に見える。いみじくもフランク・ステラがあるインタヴューのなかで「あなたが見ているものが、すなわちあなたの見ているものの全て」と語ったように、単純な形態においては視覚的に認識できるものが意味の全てなのである。従ってユニタリーな形態において我々見る者は各々の経験や知識によってそこから看取する印象が左右されず、誰もが等しく作品の一様な視覚的イメージを瞬時に把握することが可能となる。換言するならば、ユニタリーな形態とは内在する意味内容が薄く、観者に伝達する情報量が少ない形態であると言えよう。

(マリリン〉シリーズのオリジナル・ソースであるマリリン・モンローの 広報用スチール写真。 アンデイ・ウォーホル(マリリン)1967年

 翻って、ウォーホルの具象絵画とモリスの抽象彫刻は、外観的には大きな隔たりがあるものの、作品を鑑賞する際の経験においては極めて近似した性質があるように思われる。例えばウォーホルが映画女優マリリン・モンロー( 上図左)をモチーフにした《マリリン≫(上図右)は、生身のマリリンをモデルに描いたのではなく、マス・メディアに流通する虚像としてのマリリンのイメージを機械的に転写していることは既に述べた。このような作品において見る者は、その背後に私生児として生まれ悲劇的な死を遂げた・・・人の女優の人生や、アメリカが誇る偉大なスターなどといったメッセージをもはや読み取ることは不可能である。様々なメディアで繰り返し生産され消費されることによって一面化されたマリリンのイメージ。ウォーホルの作品は大量生産と大量消費が成熟したアメリカ社会を批判も肯定もせず、その間に無限の中間地帯を作り出し自己完結している。モリスの言うユニタリーな形態のごとく、マリリンのイメージはクリシェであるが故に誰もが等しくかつ瞬時にして一様な視覚的イメージとして受けとめられる。そして観者は作品の背後にある意味内容を読み解こうとしても視線は作品の表面をなぞるのみでむなしく宙吊りにされ、やがて作品の内容を読み解こうとする習性自体、従来の鑑賞作法そのものがウォーホルの作品においてはもはや意味を失っていることに気が付く。物語を容易に喚起する誰もが知っている既成の具象イメージを敢えて積極的に採用することによって、我々の視線を易々と作品へと誘導しつつ、その上で視線を作品の内部ではなく表面に宙吊りにすること。ウォーホルが試みたのは、イメージが必然的に抱え込まざるをえない意味という宿命を巧妙に回避して、ただ表層のみにおいて成立する作品を創出することではなかったか。そしてこのような作品の表層性は、1980年代から1990年代にかけて展開されたシミュレーショニズム」において、引用に引用を重ねることでさらに深化されることになる。

3 シミュレーショニズムと美術史・・・モリムラを中心に

 1980年代のアメリカに出現したシミュレーショニズムは、ポップ・アートの遺産を継承し、過去の美術作品や現代社会に流通する様々な既成イメージを借用し別の文脈に置き直すことによって、コピーの創造性を改めて示す美術動向であった。代表的な作家に、過去の写真家の作品をそのまま複写するシェリー・レウィーン、雑誌に掲載された広告や漫画を接写するリチャートプリンス、モダン・マスターズの名作を剰窃するマイク・ビドロ、映画や美術作品の登場人物に変装するシンデイ・シャーマン、広告看板のデザインを盗用するジェフ・クーンズなどがいるが、ここでは本展のサブ・タイトルに名前を連ねている日本のシミュレーショニストの代表格、森村泰昌の作品を取り上げ、考察を進めていきたい。

森村泰昌(MのセルフボートレイトNo.56/B 森村泰昌《肖像(ゴッホ)≫

  デュシャンを祖父に、ウォーホルを父に、シャーマンを妹に持つと自認する森村泰昌は、1985年、ゴッホの自画像に扮した《肖像(ゴッホ)≫(上図右)によってデヴューして以来、美術史上の名画や有名女優のポートレイトを作家自らの身体を用いて再演し、それを写真作品にすることでよく知られている。このパラグラフでは、最初に本展の出品作品でもある≪MのセルフポートレイトNo・56/B(あるいはマリリン・モンローとしての私)≫(上図左)を取り上げ、そのイメージをめぐって検討を加えてみる。1996年に横浜美術館で開催された美に至る病・女優になった私と題した個展において、森村はヨーロッパ、アメリカ、そして日本の有名女優に扮装した新しいシリーズを発表し、新境地を切り開いた。この個展にも出品された本作品において注目すべきは、森村が再現しているイメージが女優マリリン・モンローのみならず、マス・メディアに流通する記号化されたマリリンのイメージを引用して制作されたウォーホルの美術作品をも引用していることである。挿図に掲げた図版を順番に見れば明らかなとおり、森村の作品はAがA’となり、次にA’に基づいたA”として成り立っている。このように引用が引用を呼ぶ連鎖反応によって生まれた作品を前にして、私たちはそこから何を読み取ればよいのであろうか。

 かつてダグラス・クリンプが「それぞれの映像の下には常に他の映像がある」と述べたように、複製技術が極度に発達した現代において、もはや一つの映像はただ一つの映像を指示するだけではない。一つの映像は複数の映像の集合であり、テレビや雑誌、広告や映画などでかつて見たことのある映像、常に既視感をともなった映像として次々に我々の眼前に立ち現れている。この作品で重要なのは、森村の作品が指し示すイメージは、先述したように女優のマリリンと、それを引用したウォーホルの美術作品というダブル・イメージになっていることである。このような作品において私たちは森村のマリリンを介して、ウォーホルの作品におけるイメージの源泉について思いを巡らすことになる表面に定着されたイメージの先祖を探すという行為は、美術史学の正統的かつ伝統的な研究の手続きである。最も新しいイメージを前にして、先行する作品やイメージとの比較検討を行い、共通点や相違点を考察すること。森村の作品を見る体験は、時に退屈な美術史学の常套手段を連想させ、見る者に眼前の森村作品だけではなく、作品を通して透かし見える連綿と続く美術史という文脈全体を相手に鑑賞することを強要する

 具体的に述べよう。マリリンという大衆文化のシンボルを引用するのみならず、特定可能な過去の美術作品をも重ねて引用する森村の作品は、ウォーホルの《マリリン≫という1点の美術作品だけではなく、1点の作品が次々に呼び起こす数点の関連作品やそのイメージ・ソースをリンクするよう私たちの脳裏に働きかける。そして点が線に、線をっなげて面になり、面を組み合わせることで美術史という文脈が立ち上がるのである。森村の作品においては、美術史という文脈さえも既成のイメージとして再利用されていると言えるかもしれない。あるいは予め自らの作品を美術史という文脈に意図的に滑り込ませていると言ってもよいかもしれない。私がこの展覧会で「盗め『日本美術』」や「盗め『西洋美術』」とはせず、「盗め『日本美術史』」あるいは「盗め『西洋美術史』」としたのも、このような理由からである。この点はさらに森村の代表的シリーズ<美術史の娘>において、より一層強調されている

森村泰昌-『美術史の娘「王女B」』

 父なる西洋美術史に対し、愛情と憎悪がないまぜになった複雑な感情を持つ娘である森村の独壇場である<美術史の娘>は1990年前後から開始され現在も継続中の森村の仕事の中核をなすシリーズである。ここで森村は主に西洋の白人の美しい女性を描いた肖像画を取り上げ、名画に似せて作った舞台装置のなかに、お世辞にも奏しいとは言えない黄色人種の男性である作家自身の肉体を唐突に挿入する。森村の<美術史の娘>シリーズを初めて見る者は誰でも良くも悪くも忘れられないショックを受けるであろう。例えば<美術史の娘>シリーズのなかの1点《6人の花嫁≫(図13)を例に考えてみる。言うまでもなく19世紀イギリスに興ったラフアエル前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの《最愛の人≫(下図右)を下敷きにした森村のこの作品において、先述のショックの理由は、男性が女装することに対する嫌悪感、崇高な名画を冒涜するような挑発的な態度に対する拒絶感、自らの身体を曝け出す下品なまでの毒々しさに対する拒否感など様々であろう。しかし鑑賞者に最も強くショックを与える大きな要因は、森村特有の「ニセモノ感覚」ではなかろうか。本物の美術作品をコピーした言わばフェイクとしての森村の作品。森村作品が有するこの「まがいもの」の特質が見る者の神経を逆なでするようなショックを与えると同時に、森村作品の最も重要な要素であるように私は思う。ここで森村の作品が、自画像である点を改めて確認しておこう。森村は過去の美術作品を単にコピーすることが目的なのではない。自らが名画の主人公に扮装することで、原作の忠実な模写ではなく、あくまでも偽物としての差異を敢えて強調しているのである。

森村泰昌(6人の花嫁)1991年 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(最愛の人》1865−66年アンリ・マチス (青い服の女》1937年 148

 過去の美術作品のイメージをそのまま借用して自らの作品とする作家はこれまでにも多くいた。例えば、先述したウォーホルも1980年代に美術史をテーマにした作品を手掛け、ボッティチエり、レオナルド、ムンクなどといった西洋美術史上名高い巨匠の代表作を引用した作品を制作しており、本展においてもアンリ・マチスの《青い服の女≫(上図左)を引用した作品《マチスにならって≫(上図右)が出品されている。しかし、ウォーホルが名画の複製図版をそのままシルクスクリーンで転写したのに対し、森村は名画の構図を借用するだけではなく、名画の登場人物になりすますセルフ・ポートレイトを制作している点が決定的に異なっている。森村に至つては美術史をシミュレーションしているだけではなく、作家自身もシミュレーションしているのである。名画の主人公に次々に変貌しロール・プレイする森村の作品において、鑑賞者は作品の奥に作家自身の姿を透かし見ることができない。森村は従来の自画像のように生身の自己の姿をストレートに画面に露呈するのではなく、名画の人物や女優といった他人の姿を借りることで、自分自身をも記号化したイメージとして作品のなかに内在化させる。このような森村の作品は、様々な既成のイメージのコピーが氾濫し、ジャン・ボードリヤールが「隠すという行為は、あることをないように見せかけることだ。ところが偽装するとは、ないことをあるように見せかける前者は存在に至り、後者は不在に至る」と述べるように、各々の物体や個人にまつわる意味や存在が極めて希薄になっている現代の文化状況を反映しているという点においても、極めて今日的な意義を持つものとなっている。おわりに 作品の表面に現れているイメージと、その表面に潜むイメージとの関係について、本展のサブ・タイトルに従い、デュシャンとウォーホル、そしてモリムラの3人の作家のしかも出品作品という限られた作品を中心に些か図式的にまとめてみた。その結果、デュシャンが開示した過去の美術作品の複製図版を用いて作品を制作することの意味、すなわち既成イメージの再利用と伝統的な手技の否定という2つの意味は、ウォーホル、そして森村の作品において微妙に変形を加えながら変奏されていることが分かった。すなわち、デュシャンがレディ・メイドのオブジェである《モナ・リザ≫の複製図版をあくまでも現実の物体として取り上げ、《モナ・リザ≫に代表される名画についての批判を試みたのに対し、ウォーホルは、実体を欠いた記号化された既成のイメージをさらに二次元の平面に置き換えて引用し、また「ファクトリー」を実作者とすることで作り手としてのオリジナリティーを否定して、作品の表面に制作者の意図や手仕事の痕跡が付着するのを徹底的に回避した。そして森村は、過去の美術作品や既知のイメージを参照した自画像により自作が「フェイク」であることを高らかに宣言し、様々なイメージを複雑に作品に内在化させることで、自らもその内部にいる美術史という文脈全体を浮び上がらせる作品の実現へと向かったのである。

 ここで論じた作家や作品は、これまでどちらかと言えば美術史の傍系とみなされてきた。作品の形式こそが全てであり、意味とか内容はむしろ忌避(きひ・きらって避けること)すべきものであるというモダニズム/フォーマリズムという思想が現代美術を支配していたからである。モダニズム美術とは過去の巨匠たちが用いた形式を踏襲しながら作品の形式を高めていく営みであり、例えばアメリカのモダニズム美術を代表するジャクソン・ポロックは、印象派からピカソに至るフランス近代絵画をドリツピンクという新しい形式のなかに消化したと言われる。これに対してウォーホルや森村は、従来の作品においては作品を背後から支えていた作品の意味を言わば宙吊りにしたうえで過去の巨匠の作品を引用することを試みた。何故ならポロックが用いる抽象的な形態とは異なり、具象的なイメージは既にそれ自体が別の誰かによつて意味を封入されているからである。キャンベル・スープやゴッホの肖像画を自らの表現のなかに取り込むためには予め付与された意味を解除する必要があった。彼らがどのような手段を用いて、この困難な作業を遂行したかは既に述べたとおりである。

 このように考えると、モダニズムの美術と「引用と複製」の美術は、決して異なった目標を目指している訳ではないように思われる。ピカソからポロックに至るモダニズム美術の系譜とデュシャンからモリムラに至る引用と複製の系譜。抽象的な形態と具象的なイメージ、用いる手段こそ異なっているが、両者はともに美術史を自らの内部に再編成しようとする意図において一致している。新しい世紀を迎えた今、私たちはようやくそのような二つの美術をともに相対化することが可能な場所に立つことができたのではなかろうか。(おさき・さちこ/滋賀県立近代美術館学芸員)