高柴でこ屋敷見学2006
三春張り子・三春駒を調べよう
本家は下にある恵比寿屋さんです。橋本家の分家になります。高柴の張り子作りは、幕藩体制の安定した元禄時代でこ屋敷の先祖橋本元右衛門を創始 とします。 土を用いる京都の伏見人形や仙台の堤人形に対して、和紙を用い日本一といわれる独特の張り子人形をこの山間の地で生みだした事は驚異といわれております。幸せを求める庶民の祈りや願いを基本に、あくまで素朴さを失わず絶妙優美な造形と描彩を忠実に守って、今も三百年の伝統を受け継いでいます |
真剣に三春張り子のいわれを聞き入る4年生たち。家に入ると木のにおいや土間のある様子がすぐに分かります。「こんなに古い家はもうないね」とか「ここはなんか懐かしい感じがするね」とか昔の良さを感じ取っている子供たちもみられた。 |
ここではおばあちゃんが和紙を使って「でく」という木型に押して形を作ります。「でく」は「柳」の木を使っているそうです。三春駒は「ほう」の木を使っています。和紙は二本松の上川崎で作られる和紙を使用しています。しかし、伝統工芸を継承する人も少なくなり現在、埼玉の方から和紙を仕入れているそうである。小麦粉と水をつかって薄めの糊状の液体に一晩和紙をつけて、翌日に作業ができるよう準備するそうです。型に押して乾燥した和紙を火鉢や練炭のあるこたつの中で一晩乾燥させるそうです。 |
橋本広司さんの作業の様子です。ざるを逆さにした白熱電球のもと毎日黙々と作業しします。父の広吉さんの意志を受け継いで三春の伝統を守り続けています。張り子を作る姿勢は、いつも無心になって一生懸命心を込めて作ることを主眼にしいてるそうです。広司さんは、別の顔ももっています。郡山観光協会からも推薦される張り子のお面を使ったひっとこ踊りの名手でもあります。ひょっとこ踊りの伝統も引き継ぐ貴重な方でもあります。みなさんもまねをしました。 |
この作業は白い色を張り子の和紙に下地として塗ります。この塗料は、水と胡分(貝がらを細かく粉砕したもの)と膠をまぜ鍋であたためて溶かし壊れにくい堅牢な下地を作ります。乾燥するときは鳥の籠にさしておきます。もともと農民であるでこ屋敷の工人達は、この作業を農閑期にやったといいます。 |
橋本家の玄関には、神棚があります。神棚には、三春だるまがたくさん並んでいます。毎年の家内安全祈願を祈って大切に飾ってありました。一月の第三日曜日に三春だるま市で売られます。達磨は中国の禅宗の始祖であり、座禅の姿を忍びこの形になったもの。白河だるまはくろ目がなく白く塗ってありますが、三春の達磨の特色は、きりっと黒目をつけています。 |
ここは、干支の作品が展示されている。子・牛・虎・兎・龍・巳・午・羊・猿・鳥・犬・猪の12 支である。だるま市には、正月過ぎ三春で売られていた。 張り子とは、魔除け、無病息災、安産、子どもの成長を願うための人形です。犬、虎など種類はありますが、基本的に犬は忠義、知性、子どもそのものを意味する存在だと、古くからみなされています。江戸時代頃になると張り子を竹篭の中に入れていますが、これは犬と竹で「笑」という字になるという、縁かつぎです。 張り子は特に、子どもの遊び道具から発生したお守りなので、生まれたときに贈られることが多いのです。そのまま子どもに与え、遊ばせてください。やがて子どもが張り子を壊してしまうと、「張り子を壊すだけの力がついた」と、成長を喜ぶのです。この手のものは全国的に多くて、正月に歯の生えたばかりの赤ん坊に食膳として石を噛ませたり、色々あります。基本的に人の形や動物の形に似せたものは、魂が宿るとされ、雛人形なども厄祓いのために生まれたものです。張り子も起源は一緒です。 |
すすで黒くすすけた家の茅ぶき家の壁には、大小たくさんの天狗が飾ってありました。天狗は、自慢の権化とされ、鼻が高いのはその象徴である。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表す。彼等は総じて教えたがり魔である。中世には、仏教の六道のほかに天狗道があり、仏道を学んでいる為地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間(むげん)地獄とされた。引用(wilkipediaより) |
たくさんの仕事の行程を教えていただきいたことを、学習カードにまとめました。 |