世界現代美術作家情報サイト
世界現代美術作家情報サイト
コンテンツへスキップ
ホーム
世界の彫刻家
フランス
ジャコメッティ
ジャン・アルプ
ジャン・アルプ-1
ハンス・アルプ/ジャン・アルプ作品集
ティンゲリー
年譜と作品
ニキ・ド・サンファール
ルーマニア
ブランクーシ
ブランクーシNo.2
ブランクーシNo.3
米国
アレキサンダー・カルダー
Calder/作品群
ブランクーシNo.2
イサム・ノグチ
イサム・ノグチ
彫刻家&建築家
彫刻家の仕事
ジョセフ・コーネル
ルイズ・ニーベルスン
作品群-1
世界の洋画家
イギリス(洋画)
ベン・ニコルソン
キュビスムと静物画
ユートピアの夢
崇高なる風景(スイス時代)
戦争の歳月(再考と復習)
イタリア(洋画)
アルベルト・ブッリ
ブッリ生成と展開
アンドレ・ロート
ジョルジョ・デ・キリコ
形而上絵画
ルチオ・フォンタナ
スイス(洋画)
パウル・クレー(洋画)
クレーの絵画理論
1.光の絵(クレー)
2.自然と抽象
3.エネルギーの造形
4.イメージの遊び場
5.イメージの遊び場
6.物語る風景
7.写真が語るクレー
パウル・クレー
ギャラリーNo.1
ギャラリーNo.2
ギャラリーNo.3
巨匠パウル・クレーとその生涯
晩年の音楽の役割
生涯と作品-1
生涯と作品-2
生涯と作品-3
生涯と作品-4
絵画のたくらみ(パウル・クレー)
絵画のたくらみ(パウル・クレー)No.2
スペイン(洋画)
タピエス
タピエス芸術の再考察
中山公男(タピエス評論)
埃のアリア(詠唱)
白紙に戻すこと
ダリ
ダリの生涯
ファン・グリス
ミロの仕事場
現実と夢想の探究と超克
生活環境ギャラリー
モダンとポスト=モダンの間のイブ・クライン
ドイツ(洋画)
クルト・シュヴィッタース
ケーテ・コルヴィッツ
作品群
年譜
第1部 ケーテ・コルビッツの出発
第二章≪ピエタ≫をめぐる考察
フランス(洋画)
イブ・クライン
ジャン・デュヴュッフェ
生の芸術(アール・ブリュット)
第1期・物質の祝福、地面の肖像
第2期ウルループの”ユーモアと錯乱の祝祭
ジャン・フォートリエ
メキシコ(洋画)
フリーダ・カーロ
ロシア(絵画)
カンジンスキー
カンディンスキーの抽象絵画
芸術をめぐる闘いのなかで
米国(洋画)
New York Scool
アーシル・ゴ-キー
アドルフ・コッドリーブ
ジャクソン・ポロック
デ・クーニング
バーネット・ニューマン
フランツ・クライン
サム・フランシス
ベンシャーン
ロバートラウシェンバーグ
1.解き放たれたイマジネーション
世界の美術家
ドイツ
ヨーゼフ・ボイス
ボイスの思い出
みえない亀裂
ヨーゼフ・ボイスについて
自由・平等・博愛の芸術
中国
蔡國強
火と海と人
蔡作品解説
韓国
李禹煥
ものの広がり
始まりの絵画
李禹煥美術館
日本人作家
イサム・ノグチ
イサム・ノグチの〈あかり〉
旅人(イサム・ノグチ)
キュビスム(日本作家)
勅使河原蒼風
吉原治良
具体美術
坂田一男
東郷青児
外尾悦郎
宮島達男
岡本太郎
100年祭
TARO MONEY
トーク平野&糸井
岡本太郎の芸術活動を追う
岡本太郎年譜
岡本芸術1911-1996
明日の神話再生プロジェクト
芸術の価値転換
村山知義
村山知義-1
村山知義-2
村山知義-参考資料
浜田知明
不条理さの表現
作品ギャラリー
初年兵哀歌
浜田知明と私
浜田知明の彫刻
浜田知明銅版
田窪恭治
絵本
いわさきちひろ
香月泰男
時代の造形詩
没後30年の香月泰男展(2004)
世界の写真家
ドイツ(写真)
リーフェンシュタール
ハンガリー(写真)
モホリ・ナジ
1.光の捕獲者・モホリ=ナジ
2.バウハウスとニューバウハウス
音楽関連
Roger Muraro
辻彩奈(Vn)
ルイズ・ニーベルスン
■ルイズ・ニーベルスン
(ニーヴェルスンとも表記)(
Louise Berliawsky Nevelson,
1900年9月23日 – 1988年4月17日)は
ウクライナ出身のアメリカ人彫刻家
。本名は
レア・ベルリャフスキー(Leah Berliawsky
)。
捨てられた家具のような日用品の廃物などを集め、これらを切り刻んで黒く塗り、黒い箱の中に入れて寄せ集めた、
(アサンブラージュ)
の作品が中心である。椅子の脚やベッドの枠、野球のバットなど、黒く塗って箱の中に寄せ集められた
日用品の残骸は箱の中で影を作り相互に作用
する。さらに
黒い箱
は中身を表にして上に積み重ねられ、
祭壇のように壁に立てかけられる。
ネヴェルソン
はかつて自分の作品について、「他の人たちの捨てた物でも、拾ってきて組み合わせると、それらの物が
本当の生命を得ることができる
-もと使われていた
時の生命を超えた、精神的な命
を。」と述べている。
▶︎生 涯
彼女はキエフで
材木を扱うユダヤ人商家に生まれ
、
1905年アメリカ・メイン州に移住
した。ここでも木材で遊んでいた彼女は、
10歳にして木を彫り始め
、彫刻家を志すようになる。
1920年、富裕な船主のチャールズ・ネヴェルソンと結婚(20歳)
。ニューヨーク市のアート・スチューデンツ・リーグに入学し、絵画や声楽、特にダンスを学んだが、夫は
彼女の芸術の勉強に反対
し、
1931年には別居
、
1941年に離婚した
。別居後は
ミュンヘン
に移り、1933年の
ナチスの政権獲得
までの間、
ハンス・ホフマン
の元で絵画を学んだ。
33歳
。
アメリカに戻って以後は、ニューディール政策のもと公共事業促進局(WPA)の連邦美術計画に雇用されて
美術教師として働きながら、1937年
、
メキシコの画家ディエゴ・リベラがロックフェラーセンターに制作していた大壁画を手伝った
。1940年代以降、
シュルレアリスムに影響された絵画やコラージュを制作
し、大きな展覧会に出展するなど活躍の幅を広げていった。
彼女が最も充実した制作活動を送り、
有名になるのは60歳
が迫ってきてからのことである。
1957年に、最初の「黒い箱」の作品を制作
。
この年のクリスマスに木箱に入った酒を贈られた彼女は、その空箱の仕切り板が生み出す影や細胞状の空間同士の関係に霊感を受け、箱の中を板で仕切る作品を作り始めた
。やがて箱の中に木片や生活用品、
廃物などレディメイドを 詰めてゆく発想を得た
。
さらに箱の彫刻が増えアトリエを片付けるため、
モノを詰め込んだ側を表にして箱を壁際に積み上げる作業の途中で、積み上げるたびに 箱同士の関係性が変化して行くのを発見
し、
箱は独立した作品ではなく
もっと大きな
彫刻作品の一部
となるべきものだったことに気付いた。(アーノルド・グリ ムシャーの評伝による)
1958年、
木切れや廃物を入れて黒く塗った箱を数メートルまで高く積み上げ横にも広げ、暗い部屋の中に観客を取り囲むようにして設置した展覧会
『
Moon Garden + One
』で、彼女は一躍、斬新な
環境芸術家として脚光を浴びた
。
以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほか
パブリック・アートも手がけた
。
1979年にはニューヨークのローワー・マンハッタンに、黒く塗った木や金属のコラージュ
を組み上げた
野外庭園
、
ルイーズ・ネヴェルソン・プラザ
が完成している。
素材は木のみならずアルミなど金属片やプラスチック
も使われ、中には白色や金色で塗られた作品もあったが、多くは漆黒を使用した作品である。彼女が 黒を使う理由に、
黒は個人的にいちばんしっくりくる高貴な色
だと考えていること、黒は純粋で、全ての色を含む全体性を持った色であることをあげている。(東野芳明とのインタビュー、『みずゑ』1975年4月号)
彼女は自然からエッセンスを取り出し自然を超える、人間の理性を高く位置づけ、
自分の制作や自分の生きかたを秩序立ててコントロールした
。
強烈な個性と大胆な衣裳で展覧会場に現れ
、一方で評論家や利益のために近づこうとする者を鋭い一言でぴしゃりとやっつけることもあった。
彼女は1988年にニューヨークで死去したが、アメリカを代表する美術家の一人として今も尊敬されている。また、彼女の子供や孫達も美術家として活躍している。
■作品群
Top