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3.エネルギーの造形
3.エネルギーの造形
大地の方角から養分を吸収し、その天辺に明るく光る巨大な果実を結んだ植物
。下方にあって上昇を示唆する矢印によって次第に上へと導かれるにつれて、明るく黄色い三角形の連なりは大きくなり、果実も丸みを増して紫色のグラデーションも少しずつ明るさを増していく。
植物の生長するプロセスが連続運動として視覚化されている
。
その植物の姿に、肥大化した頭部を両手で支えて大地に立つ人間の姿が重なっている。それは無防備に開脚して立つ女性である
。
矢印が指し示す性器は女性の体内への精液の注入を連想させずにはおかず、きわめてエロティックである。
植物と女性、これら二つのイメージを交差させることによって、クレーは、植物が生長して実を結ぶという自然の豊穣さと、女性の生命的な繁殖力・多産さとを視覚的なアナロジーとして表現している
。このことは突き詰めると、
芸術の本質をフォルムの運動としての生成(Genesis)
と捉えるクレーにおける創造の核心に触れている。「芸術は天地創造と比喩的な関係にある。芸術は、地上の事物が宇宙的なものの一つの例示であるのに似て、そのつどそのつどの例示である」。《野いちご》の制作された年の前年、論考「創造の信条告白」においてクレーはこう語り、自らの芸術的な創造行為と神の創造とを
アナロジー
の関係にあるものとして明示した。神秘的な神の無からの創造は、
芸術においては「原男性的なもの」と「原女性的なもの」の力が相補的に働きあうことによって導かれる根源的な産出
であり、運動としての生成である。芸術の根源的な産出、その背後に意識された神の創造という深遠な神秘が、この小さく、集中力のある画面に託されている。
踊りは生を表現する人間の根本的な営みである
。1920年からの11年間をバウハウスで過ごしたクレーにとって、身体表現の領域は意外にも身近な出来事であった。シュレンマーやシュライヤーらの舞台工房の活動はもとより、ヨハネス・イッテン(1888−1967)とその周辺、いわゆるイッテン・シューレにおける実践的かつ理論的な身体リズムの探求や、ドレスデンの蒐集家イーダ・ピーネルト(1870−1965)を介した表現主義舞踊家マルガレーテ・パルーカ(通称パルッカ、1902−93)との親しい交流など、具体的な接点はきわめて多い。
微笑ましいエピソードも残っている。1921年の或る日のこと、バウハウスの同僚で互いのアトリエが隣室同士であった
ゲオルク・ムーヒェ
(1895−1987)は、クレーのアトリエから聴こえてくる物音に耳を澄ました。「耳慣れないリズミカルなドンドンという音を聴きました。廊下でクレーに会ったとき『今しがた貴方も不思議な音を聴きましたか?』と尋ねると、彼は笑ってこう言いました。『ああ、気づかれたのですか?そんなはずはないと思ったのに。絵を描いていたのです。描いて、描いて、すると突然−どうしてなのかは私にもわからないのですが−踊らずにはいられなくなったのです。音はその昔です!無念!いつもは踊ったりしないのですよ』」。
そのようなクレーの踊りに対する関心は、早くも20代前半で出かけたイタリア旅行(1901−02)での
踊りの鑑賞体験まで遡る
。以後、第一次世界大戦勃発前まで、おもに線の表現を探求する道のりでクレーがこのモティーフと取り組んでいる点について、近年の研究が検証している。そして、この≪ヴェールの踊り》が
第一次世界大戦後の作品でありながら、大戦以前におけるサロメを主題とする舞踊やオペラの鑑賞体験や絵画体験に触発されて描かれた一点であることが明らかにされた
。題名がすぐさまわれわれの連想を連れ去る先は、あの有名なサロメのエロティックな「
七枚のヴェールの踊り
」なのである。
しかしその反面、≪駱駝(リズミカルな樹々の風景の中の)》や《バラの庭》と接近した制作番号をもつこの作品には、艶かしく踊る女の肢体のエロティックさや、7枚のヴェールを脱ぎ捨てた後に姿を露にするはずの裸体の物質感は微塵もない。
むしろ五線譜すら連想させるほぼ並行な線は、まさに線そのものとしてリズミカルに運動し、透明なヴェールと身体とが奇妙なエネルギーを相互に伝達し合っている
。(F.G.)
さまざまな色をした半透明の面を重ね合わせて、
目に見えない空気中のエネルギーそのものを表現した作品である
。グローマンはこの作品を含むいくつかの水彩画は1929年の秋に描かれたとする。そして、繊細な色を与えられたスクリーン状のフォルムが相互に浸透し合い、漠然と広がりながら層をなして重なっているという特色において、
他の作品群からは独立した小さなまとまりをなすと指摘している
。もっとも、エネルギーの表現というテーマは他の多くの作品にも共通するものであろう。むしろここでは、不定形の輪郭をあらわす描線にも注目してみたい。それは力強く意志的にフォルムを刻みつけていく線いうよりは、
オートマテイツクな手の動きを伝える享に見える。
意志の力を抑えることによって
自己を自然へとより広く開き、世界の奥深いところと交感する
。そしてそれを線描に託することから、こうたフォルムが生まれてきたのであろうか。同じような線表現が数多くの諷刺的な作品に共通し認められることも、興味深い。(S.N.)
黒と白の濃淡による明度の異なる灰色の面と、渦巻くような線のみからなるシンプルな画面である。「ぼくの仕事は、目下のところ完結される性質の絵よりもむしろいろんな新しい地色の試みだ。それによってぼくはふたたび透明な色を全体に塗る方法にもどってゆく」。1932年3月の
妻リリー
あての手紙で語られたこうした制作の方向性は、水彩の透明感を生かしたこの作品でもよく示されている。また、グローマンはこの時期のクレー作品について「多くのシンボルを結びあわせるのではなく、すべてを含んだひとつのシンボルを用いるようになった」と指摘し、特に本作にきわめてよく似た作品
《果実》
などを例にあげて、螺旋を描いてのびていくやわらかな線を「
臍の緒
」と呼んでいる。確かに渦巻きという力動感をはらんだ形、
黒と白=闇と光
という旧約聖書の始まりを思い起こさせる色彩関係からは、
生命誕生や宇宙創造のエネルギーというテーマを読み取ることができよう。
しかしながら画面にたたえられているのは、夜にそっと開く花を思い起こさせるような、
ひそやかさや叙情性である
。スケールの大きなテーマを持ちながら、それを大上段に振りかざすことなく、微風にそよぐような神秘のヴェールにくるんで見せてくれるところに、やはりクレー絵画の尽きることのない魅力を感じずにはいられない。(S.N.)
花々が風車のように回転している
。丸や方形など異なる形をしているが、いずれにも中心があり、その中心からの放射状の生長を示唆し、無限に回転する運動感とシンメトリックな構造に共通した特徴がある。この想像上の植物を、クレーは「
ダイナモ放射状植物(Dynamoradiolaren)」
と名づけた。
そのイメージは、クレーの蔵書でもあった一冊の自然科学の研究書に由来している。ダーウィニストとして知られるドイツの哲学者で生物学者エルンスト・ヘッケル(1834−1919)の著作
『自然の芸術形態』
(1899−1904、ライブツイヒ刊)である。
ヘツケルはダーウィンの進化論を支持し、モニズム(一元論)運動における重要な思想家でもあったが、生物学研究の領域ではとりわけ放射状構造をもつ海洋微生物、いわゆる放射虫類(Radiolarien)の研究で知られている
。1862年にはその図解書を出版しており、また、クレーの蔵書であった
『自然の芸術形態』
にも
幾程もの放射虫が図版化
され、原形質としての特徴が紹介されていた[J−5,S.15]。
クレーはそうした放射状生物にほかでもない
「力」を意味する「ダイナモ(Dynamo)」という語を強調的に組み合わせることで、想像上の植物を力動的な象徴に仕立て上げた。
風車のような放射状植物の回転運動は、彼にとってはいかなる
重力の支配も受けないもっとも自由で純粋な運動の象徴と言える。
と同時に、すべての葉を落としたこれらの花々は死を予感させる一方で、個々の
花の核にはすでに種が育まれていることから、新しい生の誕生もここには示唆されている
。
生と死の循環が放射状の回転運動には重ねあわされている。
(F.G.)
回転するエネルギーを、風車などシンプルなフォルムや文字、記号の組み合わせによって描いた作品である。
一陣の風が吹いて空気の渦が巻き起こるさまを図示し、背景に風車を配すことにより、回転のイメージを呼び起こす。球体にうちこまれた楔形、矢印といった記号的モティーフもまた、回転を示すもの。矢印が指すのは、三日月形あるいはS字状曲線が回る方向なのだろうか。これらが画面に対し垂直方向に回るのか、風車同様に画面と並行に回るのかは判別しがたく、いずれの見方も許容される自由さがある。
翌年に制作された≪回転》では、細やかな繊毛が個々の構成物の微小なうごめきを思わせる。
中心に位置する回転体は、微生物を思わせる有機的モティーフ群の間を貰いて画面外に及ぶほど、直線的にエネルギーを放射させていく
。原始生物の生成を見るかのような微視的スケールは
《ダイナモ放射状植物の過剰培養1》
にも通じるであろう。 二点の《回転》には、回転と生成という、いずれも連続するうごきのイメージが、それに伴う時間の連環とともに表されている。(R.I.)
二本の樹木が奪える山岳のような大地を赤い太陽が照らしている。
稜線風の直線はほぼ正方形をした画面の中央から四周へと放射状に伸び、黒の矢印は、その放射を時計まわりの回転運動へと転化させるように右へと牽引している
。生長する樹木の生命性、太陽の赤い色彩と熱のエネルギー、矢印の運動方向性、回転する大地、さらに、
石膏下地に特有の物質的なマチエール
が、
画面を底知れぬエネルギーで満たしている。
クレーは、デツサウ・バウハウス時代からデュッセルドルフ・アカデミー時代にかけて遺した3000葉をこえる講義手稿のなかで、
「層の形成」「放射」「星の形成」という原理に基づく幾何学的フォルムの運動を論じている。
内から外への生成という、これら三つの原理に共通する基本的な運動の特性は、「回転」という運動概念と結びつき、1920年代から1930年代のクレー作品において、植物の生長や幾何学的フォルムの運動モティーフとして頻繁に登場する。《軸を回る風景》が描かれたのは、それらいずれも綴じられていないままの講義手稿をクレー自ら内容に別して分節し、
『造形的形成論』として体系化するプロジェクトを構想
し、’その作業に取り組んでいた時期のことである。(F.G.)
花は少し前に深い眠りから覚めたところだ
。
ゆらゆらと揺れながら開花し、静かに呼吸をしている。
1923年から、クレーは方形の色面を反復するコンポジションを数多く制作する。
画面の特徴から「
方形画
」あるいは「
魔方陣
」と呼ばれるが、この《花ひらく木をめぐる抽象》では、大きさの異なる個々の色面が少しずつ歪みを帯び、それによって差異が生じ、
緩やかな彼のようなリズム
を感じさせる。
色面は中心から周縁へと行くにつれて次第に大きくなり、また明るい中心は周縁へと暗さを増してゆく。黒の下地塗りの上にはところどころに白が置かれ、地の層とその上の絵具層とに多層性も与えられている。灰色がかった画面全体から色彩はゆっくりと立ち上がり、そこには決して
直線的ではない揺らぐような不思議な時間が流れている。
この作品の成立から9年後、
クレーは《花ひらく木をめぐる抽象》をそのまま反時計回りに90度回転させ、やや画面を大きくした作品《花ひらいて》
(1934,199、ヴインタートウール美術館所蔵・上図)を制作している
。同じモティーフを或る時間を経てからふたたび取り出してきて繰り返すという手法はきわめてクレー的だが、ここでは
《花ひらく木をめぐる抽象》を反復しつつ90度回転させることによって両者の差異を際立たせ、そうすることによって、本来、連続的な時間の中で実現される「絵を描く行為」そのものにリズムを与えている
。(F.G.)113
オリエントのモザイクを想わせる細かな色面の敷きつめられたこの絵は、静かな光に満ちて呼吸している。
整然と並んでいるかに見える色面は、画面に配されたジグザグ線、円、半円、矢印、垂直線、そして
今しがた地上に顔を出したばかりの若芽のような記号的フォルムに引き寄せられ、砂鉄のように集まり、揺らいで動いている
。
生命的なエネルギーを湛えたコンポジションである。
ところが、クレーはこの作品に、そうした有機的な生命感とはむしろ正反対な造形を想起させる、やや意外な題名を与えている。
プルン(PRHUN)
-この耳慣れない、また見慣れない言葉はどこからきているのか。
すぐに思い至るのが、
20世紀前半に活躍したロシア・シュプレマティスムおよび構成主義の
ユダヤ人画家エル・リシツキー(1890-1941)
が、1919年から1920年代前半にかけて手がけた一連の作品群
「
プルン(PROUN)」
である。画家の造語を冠した版画連作、絵画、また
〈プルンの部屋〉
と呼ばれる1923年の実験的な三次元空間は、
いずれも純粋な幾何学性と抽象性を追求した造形である
。「キャンヴァスはもはや絵画ではない。
たとえ当座は地図のように壁に掛けられていても、回転させることのできるものだ。このことを確認したときに、それに固有名詞を与えようと決めた。
われわれはそれをプルンと呼ぶ」。その成立をめぐってリシツキー自ら1921年にこう語っているように、
新しい芸術は壁に掛けずとも机上に広げてみることもできる「地図」に喩えられ、それによって絵画の可逆性と因習の超克とが宣言された
。
一連のプルンが誕生する時期、クレーはリシツキーと交流している。
1922年9月末には
ヴァイマル・バウハウスでリシツキーも参加した「構成主義者とダダイストの会議」が開催され、翌1923年夏、クレーは北海での夏休暇の帰途、ハノーファーにタ
ルトシュヴイツタース(1887-1948)とリシツキーを訪問している。
それから10年近い歳月を経て、イメージの引き出しから取り出されてきたクレーのPRHUNは、かつての
絵画革新宣言とも言うべきPROUNと響きを介して繋がっている。
そしてクレーの「地図」は、
モザイクの光と生命感に満ちた場になった。
(F.G.)
クレーは、眼に見える自然の外観を写しとるのではなく、フォルムの運動プロセスを重視し、生成し変容を続ける事物の本質としての原型イメージを追求した画家である。
そのような考え方は、植物学研究の著書『植物のメタモルフォーゼ(変容)』(1790)において「
原型植物(Urpfhnze)」という概念を提唱した
ヨハン・ヴオルフガング・ゲーテ(1749−1832)の形態学に通じている。
ゲーテの原型植物は、植物の主軸である茎・根に対して側方に伸びるすべての側方器官(子葉、本葉、花弁、讐片、花冠など)はそれぞれフォルムを異にしながらも
すべて葉を共通の発生源
とし、
それが変形したものであるという、いわゆる相同(ホモロジー)の概念に基づいている。
これはゲーテ以後の19世紀の植物学者にも影響を与え、
マッティアス・ヤーコプ・シュライデン
(1804−81)のような学者によってゲーテ的な原型植物イメージが実際に提示されている。
この
≪グラジオラスの静物
》において、画面は不定形な色面に分割され、色とりどりに彩色されたそれらの色面が上昇とともに広がっている。静物という題名が与えられているが、クレーが描こうとしているのは、
目の前にある静止した花の姿ではない。
彼は、
植物をその生長過程においてフォルム化しているのである
。そして、
萼(がく)から花弁へと至る花の姿を想起させるそのフォルムは、ゲーテの原型植物イメージにきわめて似ている。
さらに、
植物の生成は、フォルムのみならず、色彩によっても造形化されている。全体に灰色を基調とするこの水彩画では、とりわけ画面の周縁部に灰色が配され、花の唇弁と髄柱を思わせる讃分も灰色であり、それに対して薯や花弁に明るい色彩が施されている。
すべての色彩が生まれてる灰色に包まれるように色とりどりの花は開花している。(F.G.)
クレーはしばしば世界を構成する四大要素(地・水・火・風)に結びつく気象や気候を主題化している。
この≪冬》も、《長雨》、≪熱帯の庭》、《嵐の去った後の庭》などとともに、そうした一点である。
黒のカゼインで下地を施した画面は灰色で覆われ、
川の流域に繁茂する葦を想起させる黒い植物が不気味に靡(なび)いている。
暗く、重いエネルギーの充満した心象的な風景である
。すでに二十歳を迎えて間もない頃の日記には、「
わが魂を風景のさまざま気分と比較することが、主題として頻繁に繰り返される。
そもそも根底で、風景を詩的かつ人格的に理解しているからだ。
≪秋。魂の流れに靄(もや)が忍び寄る》
」(日記109番/1900年)という記述も見られ、クレーの生来の感性に触れることができる。彼はこの作品に「流域の冬」という原題を与えている。(F.G.)
下から湧き出てくるような得体の知れないエネルギーが画面に充満している
。集積する絵筆の痕跡は明確なフォルムをなしてはおらず、アモルフ(無形態)である。 《シュエツプ(SCHJUP)》というおかしな画題をもつこの作品には、《シュップ(SCHUP)》(1939,1196、パウル・クレー・センター所蔵)という対になる作品がある。
魚や爬虫類の鱗(うろこ)のようなマテイエールが想起させるのは、ドイツ語で鱗を意味する「シュッペ(Schuppe)」の語と、同時に、バウハウス時代の講義で「鱗のある魚」を例に引いて論じた形態の問題である
。単位の反復としての構造に差異が生じて個体が成立する過程について、クレーは水中の魚の例を用いて論じている。≪シュユツプ》における
アモルフ
な黒の集積は、形態の誕生を予感させる。
その一方で1935年11月、晩年の病の兆候として最初にクレーの皮膚に現れた症状も、
鱗屑(りんせん)(
Schuppe)
であった。そうした自らの病む身体が、この黒い鱗状の画面に重ねられてもいるようだ。ちなみに従来、
皮膚硬化症といわれてきていたクレーの病については、近年、今日的な医学知識に基づく専門領域からの研究
によって、
膠原病の一種、いわゆる混合性結合組織病とする訂正説も出されている
(F.G.)
生成(Genesis)、すなわちフォルムの運動を造形の本質と考えるクレーの造形理解において、すべての運動が始まる文字通り起点としての点は、もっとも始源的な造形エレメントである。点が線へ、線が面へ、面が空間的次元へと、運動のエネルギーが時間的かつ空間的に展開する過程において、さまざまな緊張や調和が生まれ、それ自体がきわめて動的なものとしての造形が形成される。
白い地に赤と黒の二つの点のみが配されたこの作品では、双方の問の緊張とバランス、そして、まるで宇宙のような白い空間の中をこれから動きだそうとしているかのような秘められたエネルギーがこの上ない単純さで表現されている。
点はまた、デュッセルドルフ・アカデミー時代の作品群として知られる点描画において、重要な造形上の意味を担ってもいる。≪プルンのモザイク》、
≪直角に半円》、《大聖堂(東方風の)》はそうした作例である
。細かな色彩の点のリズミカルな集積は、地と層を成し、重層的で透明な動的空間を現出させている。
1912年にパリのアトリエを訪れたロベール.ドローネーの点描画に通じる光の絵画である
。
(F.G.)
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