アドルフ・コッドリーブ

■アドルフ・コッドリーブ

 ゴットリーブは東欧からのユダヤ系移民の3世としてニューヨークで生まれた。1919年からニューヨークのアートステユーデンツ・リーグ等に通う。ロバートへンリ,ジョン・スローンに学び,素描をせず画布に直接絵具を置く彼らの描き方からは決定的な影響を受けた。1921年に渡欧し,パリのグランド・ショミュールで素描を学ぶ。翌年帰国するまでヨーロッパ各地を巡り,モダンアートと同時に中世の板絵やオールドマスターの作品に接した。1923年に再びリーグに入学,ジョン・グレアムと知りあい,彼を通してシュルレアリスム,ユングやフロイトの思想,ヨーロッパのモダンアートを吸収していく。

 1924年から7年間,福祉施設で美術工芸を教える。ニューマンとも親交を深め,1929年にはミルトン・エイヴリー,ロスコと出会う。同年公募展に入賞し,翌30年ニューヨークのドゥーデンジング画廊で最初の個展。1935年にはグループ「ザ・テン」の創設に関わり,街並や肖像を暗く重い色調で表現主義的に描いた。

 

 1936年にFPA(連邦美術計画)に参加。一時はアーティスッ・ユニオン等にも加わるが,社会主義リアリズムからは常に距離を保ち続けた。1937年の冬から翌年の春にかけてアリゾナに滞在。砂漠で拾ったようなオブジェを窓辺や箱に配した,キュビスム的な画面構成への関心とシュルレアリスムの豊かな合意性とを同時に備えた喚起力のあるイメージを描く。これを契機として,1941年に彼独自の絵画ピクトグラフ(絵文字)」が誕生する。

 

 1940年には作家の自由と権利の確立を目指して「現代両家・彫刻家同盟」の設立に協力。ロスコと共に論陣を張りながらグループ展を開き,自身を含めたメンバーの作品と活動を擁護し続けた。

 1958年「新しいアメリカ絵画」展(ニューヨーク近代美術館他)に参加。1963年のサンパウロ.ビエンナーレでは大賞を受賞し,68年にはホイットニー及びグッゲンハイム両美術館で共同回蘇展が開催された。

 「神話が抱える多様な意味は私たちの生にも直接あてはまるものだ」と考えていたゴットリーブは,1941年から釣10年間「ピクトグラフ」の探求に向かう。それは自身も収集していた原始美術から得られた記号の数々と,オートマティスムによる無意識の自在な現れとしての生命的形態を,画面全体を覆う半ば不規則な格子の中に配したもので,彼はそれら個々の断片が見る者の内で溶け合い,一つの集団的な無意識の総体として経験されることを望んだ。

 しかし一方で彼は,画面に均衡を与える空白の部分を保持しつつ,筆さばきの自在さを予め抑制する格子を,塗り重ねたり,ずらしたり,突き破ったりと様々に編成することで,作品の主題のみならず絵画平面のもつ可能性と限界をめぐろ問いも同時に引き受けていた。出品作を順にたどれば,彼の作品が内包する二重性のせめぎあいの一端が認められる。この葛藤は,後にその硬直した二元性がしばしば指摘される, イマジナリー・ランドスケープ バースト画面の上部と下部の緊張を描いた「想像の風景」や「爆発」といった作品群へと収束していくが,彼の創造した絵画空間の最良の部分はむしろ一連の「ピクトグラフ」の試みの中に求められるべきであろう。                           (Y・C・)