■フランツ・クライン (1910−1962)
クラインはペンシルベニア州ウイルクスバレに生まれた。1931年から35年(21~25歳)までボストン大学で絵画を学んだ後,1937年(27歳),パリ経由でロンドンに渡り,ヘズリー美術学校で学ぶ。1938年にニューヨークに移り,以後,51歳で亡くなるまで同地で過ごうも帰国後しばらくは,デパートのウインドウ・ディスプレイや壁画などの装飾の仕事につく。
1940年代前半(30歳)までは,肖像画や,彼の故郷を想起させる風景画などを描いていたが,1943年,のちに親友となるデ・クーニングと出会い,また,ジャクソン・ポロックや,フィリップ・ガストン,ブラッドリー・ウオーカー・トムリンなどとの交流から抽象表現への影響を受けた。
1950年(40歳),ニューヨークのイーガン画廊で開催した初個展に白と黒による抽象画の大作を発表し,大きな話題を呼んだが,翌年,同画廊の個展に出品した激しい身振りと大画面の作品により,一躍,デ・クーニングやポロック,ロスコ,ステイルらとならぶ抽象表現主義の代表作家とみなされるようになった。
1952年(42歳)にブラック・マウンテン・カレッジの夏期講習を行ない,53年にはブルックリンのプラットインスティテュート,また54年にはフィラデルフィア・ミュージアム・スクール・オブ・アートで教えた。1956年の第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ,57年の第4回サンパウロ・ビエンナーレ,60年の第30回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。
1956年(46歳)から,クラインは再び鮮やかな色彩を用いた作品も制作するようになった。それは,白と黒だけでは表現しきれないものを解決するための手段であったが,その模索の途中にある1962年(52歳),心臓発作のため亡くなった。
1968年ホイットニー美術館で回顧展が開催され,翌年にかけてアメリカ国内を巡回した。