荒川沖情報

■ 現在の茨城県土浦市荒川沖西にあたる。宿場町は南北に数百メートルの範囲で広がっていた。 小さな宿場町で、本陣は置かれていなかった。宿場町としての役務は隣の牛久宿と分担して行っており、 荒川沖宿のみで完結したものではなかったという。 正規の宿場町ではあったものの、継ぎの宿という位置づけであったとされる。

荒川沖駅

■荒川沖駅(あらかわおきえき)は茨城県土浦市荒川沖東二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)常磐線の駅である。
駅周辺 西側は旧水戸街道荒川沖宿の市街地に隣接する。駅周辺は古くから宅地化されているが、 東側方面を進むと徒歩10分かからずに郊外的風景が広がる。戦前には東口近辺に荒川沖競馬場があり賑わっていたが、 1938年に軍馬資源保護法が施行されたことで廃止された。
駅から少し離れた幹線道路沿いにはロードサイド型店舗が目立つ。阿見住吉交差点前には1991年にトイザらス日本1号店が開店し全国的に話題となったが、 2008年に閉店した。
なお土浦市街までは離れており、当駅と土浦駅間の営業キロも6.6キロと常磐線土浦以南では最も長い。 水戸街道の土浦までの間にある中村宿に対応する 常磐線の駅は設置されなかった。

荒川沖

■主な神社・商家・建築
* 八幡神社 - 八幡神社系列の神社。宿場町の南端はずれにある。
* 荒川沖天満宮 - 天満宮系列の神社。
* 鶴町醤油 - 醸造業者。
* 茅葺の商店建築 - 2007年12月現在、旧道筋に2棟の大きな茅葺の民家が現役建築物として残されている。 ひとつは元旅籠の「佐野屋」であり、もうひとつは商店として使われている「鶴町たばこ店」である。
土浦宿 現在の茨城県土浦市大手町・中央1・中央2・城北町付近にあたる。土浦は土浦藩の城下町で、 城は土浦城(亀城)。水戸街道は、土浦城の東側を、複雑な枡形を繰り返しつつ迂回している。
土浦宿は、土浦城の東側・南東側の一角で、南西から北東に700メートル程度の範囲で広がっている。 本陣は 2ヶ所(山口家・大塚家)あったとされるが、いずれも残されていない。
土浦は、城下町であったほか、霞ヶ浦水運の拠点地でもあり、物資集積地としても栄えた。旧街道筋には古建築が残っている。 また、短い区間ではあるが、景観が保存されている。 ■真鍋宿 土浦宿の北方1キロ程度の場所に「真鍋宿」があった。現在の茨城県土浦市真鍋3付近。土浦宿とは極めて近く、 間の宿とも土浦宿の一部とも言える。坂下には鹿島街道との追分、坂上には筑波街道との追分があったことから、 その2つの追分に挟まれた坂道を中心として栄えた。