
ウラジオストックでブルリュークは資金を稼ぐためにナイトクラブの支配人となり経済的に余裕ができるや執筆や絵画活動を再開する。ウラジオストックには他にもロシア人の芸術家がいたし日本人もいた。彼らがたむろするクラブではブルリュークは彼らを糾合して展覧会を組織したりした。少しでも彼らに資金をあたえることができればと考えたのである。このウラジオストックでの国際芸術展はロシア未来派芸術展と題したが、内容は革命のかなり血なまぐさい気分のただようものだったらしい。革命がシベリアの芸術界に新風を吹き込んだといえばやや大げさかも知れない。ただ、この展覧会はブルリュークがその後来日して開いた日本で最初のロシア芸術家の展覧会の先駆けとなるものだったのは疑いない。