牛久宿

牛久宿(うしくしゅく)は、水戸街道千住宿から8つ目の宿場町。

Map-牛久宿

■概要
現在の茨城県牛久市牛久町付近。宿場町は南北に1キロ弱の範囲で広がっている。牛久沼の北東岸の台地上に「く」の字型に旧街道が残っている。江戸寄りが下町、水戸寄りが上町と呼ばれる。水戸街道の道中絵図には、牛久宿の家並みは本陣と15の旅籠を含む124軒が描かれている。現在の国道6号は、その屈曲部を迂回して走っており、宿場内の道幅は7から8メートルのままになっている。古建築はほとんど残されていないが、道路脇の所々に井戸址を見る事ができる。
牛久宿は、戦国末期に描かれた絵図(龍ヶ崎市史別編2)に牛久宿が描かれており、牛久城主岡見氏の城下町であったものと思われる。

■水戸藩士の旅日記

駅路鞭影記(茨城県立図書館蔵)は、江戸小石川の水戸屋敷を出立してから19の宿駅を通って水戸までの旅日記で、次の宿までの里程と伝馬賃銭、宿々の領主と神社仏閣、中川の番所、水戸公の旅宿、名所、名物、言い伝えなどについてかかれたガイドブックのような古文書である。江戸小石川から水戸までは30里14町で、荷物80キロ以内と旅人を馬に乗せる本荷の駄賃は合計1295文と書かれている。又、本書には水戸公の旅館として、小金の水戸藩下屋敷、牛久宿大庄屋佐野家、府中宿の谷口家の3ヶ所が記されている。

■周辺

正源寺
観成院
牛久城址
牛久陣屋址
牛久沼

■隣の宿

若柴宿 – 牛久宿 – 荒川沖宿
若柴宿 – 牛久宿は一里(約4キロ)。
牛久宿 – 荒川沖宿は二里(約8キロ)。

■関連項目

牛久助郷一揆



■若柴宿

Map-若柴宿

若柴宿の現代地図に旧水戸街道の道筋を重ねた地図。
若柴宿(わかしばしゅく)は、水戸街道千住宿から7つ目の宿場町。

■概要

現在の茨城県龍ケ崎市若柴町付近。水戸街道が小貝川や牛久沼流域の低湿地を横切って北上した台地上にある。宿場は両端に屈曲のあるクランク状の直線部にあり、江戸側(南東側)と水戸側(北西側)の約500メートルの範囲。南東側屈曲部には八坂神社、北西側屈曲部には金竜寺がある。藤代宿・牛久宿と近いことから、本陣は置かれていなかった。
明治以降の火災によって江戸時代の建築の大半は失われているが、明治時代級の古建築はそこそこ多い。

■周辺

八坂神社 – 八坂神社系列の神社。宿場の南東側にある。
金竜寺 – 宿場の北西側にある寺院。1321年に新田義貞によって群馬県に創建されたという。現在地への移転は1590年とされる。
星宮神社 – 宿場の北方にある神社。創建時期は880年説と924年説がある。本殿は江戸時代のもの。

■隣の宿

藤代宿 – 若柴宿 – 牛久宿
藤代宿 – 若柴宿は一里(約4キロ)
江戸時代初期の水戸街道古道は、我孫子宿を出たのち、布佐・竜ヶ崎を経由して、藤代~若柴間でのちの水戸街道と合流していた。
若柴宿 - 牛久宿は一里(約4キロ)
途中に成井の一里塚が残されている。