美術情報2017-2020
西洋・日本美術サイト
コンテンツへスキップ
ホーム
0000
デザイン・建築
KYOBASHI ART WALL
工芸
あかり一イサム・ノグチ
木の文化
日本デザイン・建築
日本建築の形-I
西欧デザイン・建築
デ・スティル 1917-1932
ロシア・アヴァンギャルドふたたび
ユートピアをデザインしたステンペルク兄弟
日本に紹介されたロシア・アヴァンギャルド美術について
写真芸術
金丸 重嶺
西洋美術
中世美術
ピーテル・ブリューゲル
近世美術
モナ・リザの栄光
モナ・リザ・神話の変容
近代美術(西欧)
ジョージ・グロッス
ハンナ・ヘッヒ
ピカソ・初期キュビズム
ピカソ天才の秘密
ピカソの作品(9~25歳)
フリオ・ゴンサレス(1章~2章)
フリオ・ゴンサレス(3章~4章)
フリオ・ゴンサレス(5章~6章)
未来派1909-1944
デペロ
アバンギャルドの時代1914-1917
アメリカ時代(1928−1932)
年譜
魔術の美学1917-1927
魔術師の館1919-1927
再構築された宇宙
現代美術
ジョセフ・コーネル
■子供たち
web紹介
ソビエト現代美術
マチスの切り絵の世界
蔡国強
モニュメンタル・イメージとしての壁
日本美術
中世美術
室町時代の美術
鳥獣戯画・高山寺
桃山の美術
文化史上の安土城
桃山の絵画
長谷川等伯その正体
等伯・年表・図版
現代美術
奈良美智
宮崎進
■略年譜
年譜
山下菊二
山下菊二1970−1986 絵画からコラージュへ
年譜
異族の眼・山下菊二の1960年代
森村泰昌
橋本章
年譜
生きること・描くこと
殿敷侃
池袋モンパルナス
アトリエ村の作家達
草間彌生
荒川修作
鎌田正蔵
作者の言葉
鎌田正蔵略年譜
近世美術(日本)
仙厓と作品
円山応挙(研究)
円山応挙(別冊太陽)
歌川国芳とは
国芳と猫
白隠・衆生本来仏なり
玄侑宗久
白隠禅画傑作選
白隠と仙厓
近代美術
中原實(minoru)
五姓田義松
図版編(Ⅰ~Ⅳ)
勅使河原蒼風
勅使河原蒼風のいけばな
蒼風コレクション
和田三造
年譜
柳瀬正夢
「個」の解体と「手技」からの開放と
ゲオルゲ・グロッスと柳瀬正夢の出会いがもたらしたもの
柳瀬正夢との出会、想い出、そして別れ
柳瀬正夢研究の展開
正夢四十五年の旅路一松山から三鷹へ一
美術雑誌読者ネットワークのなかの柳瀬正
高橋由一の東北行
黒田清輝2016
カタログ
安井曾太郎
作家活動
棟方志功
「歓喜頌」頌歌
ニューヨークとピカソ
いわさきちひろ
年譜
民藝
民芸運動と巨匠達
河井寛次郎
年譜
美術評論
コピーの時代
図版
1. 始まりとしてのデュシャン
2. 大衆文化から引用
3. 複製としての貨幣
4. 盗め「日本美術史」
5. 盗め「西洋美術史」
6. オリジナルなきコピー
コラージュ
コラージュの作家たち
collage
ダダと構成主義
すべての僕が沸騰するために
日本のダダ・構成主義
「要素的なるもの」の起源
レオナルド・ダ・ビンチと科学
X線によるレオナルド派作品の解明
レオナルドのデータ画像(レオナルド科学博物館)
レオナルドの科学技術
絵のレントゲン写真分析について
構成的美術の諸相
大正期新興美術運動と構成主義
Ⅰ.キュビスムと未来派
II.ロシアの前衛美術
III.デ・ステイルと新造形主義
IV.バウハウスとドイツ,東ヨーロッパの動向
Ⅴ.「抽象=創造」とフランスの抽象美術
Ⅵ.アメリカの抽象美術
Ⅶ.ヨーロッパの戦後の動向
Ⅷ.アメリカの戦後の動向
美術と音楽の交差点
音楽にあこがれる美術
地域文化
つくばみらい市
板橋不動尊
つくば市
ギャラリーカフェー 梟
土浦市
土浦まちづくり市民集会
土浦の石仏
新治の石仏
荒川沖・乙戸付近の石仏調べ
佛照寺
牛久市
2016.9.18うしくビエンナーレ特別回顧展
きぼうの広場
牛久宿
金龍寺
石岡市
忠犬タローと石岡駅
コロ(タロー)を見失う
鎌田正蔵略年譜
■鎌田正歳時年譜
年譜は「鎌田正蔵年譜」『画業60年鎌田正蔵展』図録、小泉晋弥、杉原聡、菅野洋人(編)郡山市立美術館、1996年、91−106頁を基本とした。
凡例
●本略年譜には、鎌田正蔵に関する事蹟を編年順に収めた。
●展覧会出品記録には、冒頭に「O」を付した。
●同時代の動向に関する記述には、冒頭に「》」を付した。
▶1913(大正2)0歳
10月3日、鎌田悌次郎と秀子の長男として、父の赴任先の島根県松江市に生まれる。
▶1917(大正6)頃】3、4歳
福島県田村郡三春町清水に転居(
鎌田家は代々三春藩主秋田家の家臣
であつた)。その後
仙台、
東京・牛込へ移り
、
10歳の時
に、南洋庁に赴任していた父を追って
ヤップ島、ボナペ島へ渡る
(1925年に三春に戻る)
。その間に2歳年下の妹・
美屋子と母を相次いで亡くす
(悌次郎は
その後再婚するも、義母も16歳の時に亡くす)
。
▶1926(大正15)13歳
4月、三春町の旧制・田村中学(現・県立田村高等学校)へ入学。翌年、
父が三春町長となる(1931年11月まで)
。
▶1929(昭和4)16歳
画家になることを決意。父に反対されるも、その父の紹介で石塚省三(三春生まれ、松岡映丘の弟子)の世話になる。
▶1931(昭和7)18歳
3月、田村中学校卒業。
東京美術学校(現・東京嚢術大学)の受験に失敗
。東京・
谷中の田村学寮に転居し、同舟舎で小林万吾に木炭デッサンを学ぶ
。その後、品川八ツ山に下宿、
翌年には父とともに叔父の恭三郎宅(代々木上原)へ転居
。
▶1933(昭和8)20歳
4月、東京美術学校油画料予科入学。
田辺至教室でデッサンを学ぶ
。
▶1934(昭和9)21歳
2月、福島コレクション展(東京・有楽町、日本劇場)開催。この時、
鎌田はピカソやルオー、モディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》を見る
。
4月、東京美術学校油画科本科入学。岡田三郎助教室で本格的に油絵を始める
。
▶1937(昭和12)24歳
5月11日、東京美術学校油画科同級生の
石原寿市、加藤太郎、杉全直、高橋善八、山本占太郎、福留五郎、白滝弥彦、日向裕、山元憲一、杉原正巳とともに同人会(のちの貌)を結成
。6月、海外
超現実主義作品
展(東京・銀座、日本サロンほか)開催。
鎌田はエルンストの風景に非常に惹かれた
が、ダリには関心を寄せなかった。
〇11月8−11日、第1回貌展(東京・銀座、紀国屋画廊)《的のある風景》《壁》を出品(1939年の第4国展まで出品)。この年、
池袋、長崎のアトリエ村
、通称パルテノンヘ転居。
▶1938(昭和13)25歳
3月、
東京美術学校油画料卒業。
4月初旬、『JEUX D’ESPRIT』第1号発行(1939年の第8号まで発行)。
10月、
父が三春町長に再選(1941年12月まで)
。12月6日、
三春に帰郷。
その4日後、
仙台野砲二連隊入営
。
「貌」の仲間たち
上段左から山元恵「加藤太郎、杉全直、下段左から鎌田、杉原正己
▶1939(昭和14)26歳
○3月10−30日、第9回独立美術協会展(東京・上野、東京府美術館)
《庭園》入選。
▶1941(昭和16)28歳
12月10日、
除隊
。
▶1942(月初17)29歳
1月、仙台野砲二連隊に再召集
される。
4月29日、
悌次郎死去。
夏頃、
杉全直の仲介で福沢一郎の戦争画制作のための資料として、軍服や鉄兜などを貸出す
。その礼として
福沢から鳩のデッサン
を送られ、それに刺激を受けて鎌田も
鳩のスケッチ
をする。
▶1944(昭和19)31歳
4月29日、
岡山マサと結婚
。
▶1945(昭和20)32歳
5月末、
作品を預けていた加藤太郎のアトリエ(世田谷区代田)が爆撃を受け焼失。
8月15日、終戦。
9月、復員、三春町へ帰る
。11月、
小名浜高等女学校(現・県立小名浜高等学校)教諭
となり、小名浜・古湊に移る。
▶1946(昭和21)33歳
5月
、若松光一郎
、熊坂太郎、
鈴木新夫
、柴田善登、柴田左千雄とともに同人会(のちの
新吉会)を結成
。
○5月25−26日、第1回同人会油絵展(いわき市、マルトモホール)
《自画像》(上図)4点を出品
(以後、第4回展を除き、第12回展まで出品)。
▶1947(昭和22)34歳
6月1日、県立安積高等女学校(のちの
県立安積女子高等学校
、
現・県立安積黎明高等学校)教諭
となる。
7月、
三春町へ移る
。9月17日、
長女・陽子誕生
。
▶1948(昭和23)35歳
○6月19日−7月5日、第8回
美術文化協会展
(東京」上野、東京都美術館)《ニンフ》入選。
8月1日、
佐藤昭一
、西田藤次郎、杉三郎、丸樹長三郎、米倉免、安藤路郎らとともに
福島県新美術連盟を結成、鎌田は同連盟の委員
となる。
11月5−7日、福島県新美術連盟第1回展(郡山市商工会館ホール)出品(以後、第3回展まで出品)。
11月10−14日、第2回福島県総合美術展(福島市公会堂)
《赤い服の女》
出品、特選・知事賞受賞(以後、第41回屈まで断続的に出品)。
▶1949(昭和24)36歳
1月、
安積女子高校の教員住宅(現・郡山市長者)に移る
。
3月5−17日、第9回美術文化協会展(東京都美術館)
《少女》(上図左)入選
。
11月18−20日、(第1回、郡山市、クラブ自動車階上)25点出品(以後1955年まで毎年個展開催)。
▶1950(昭和25)37歳
6月、
朝鮮戦争勃発(1953年7月、休戦
)。
10月28−29日、鎌田正蔵油絵個人展(
亡父悌次郎追善供養
)・(三春町、三春小学校大講堂)30点出品。
11月25−27日、第2回鎌田正蔵油絵個人展(クラブ自動車階上)16点出品。
▶1951(昭和26)38歳
11月11~15日、第2回県南美術協会展(郡山市公会堂)出品(以後、第41回展まで断続的に出品)。
11月12−14日、第3回鎌田正蔵油絵個人展(郡山市、ツタヤ洋品店2階ホール)15点出品。《
【裸体男性群像]》(慟哭)の前で1951年頃
▶1952(昭和27)39歳
1月頃、郡山市で1941年に結成された蒼寺社の同人となる(以後1963年まで同社の展覧会に断続的に出品)。
9月21−10月7日、第16回新制作協会展油絵部(東京都美術館)で
《作品》(上図)
が初入選(以後、1998年まで毎年出品)。
11月21~25日、第4回鎌田正蔵油絵個人展(ツタヤ洋品店2階ホール)10点出品。
▶1953(昭和28)40歳
5月30−6月1日、鎌田正蔵油絵個人展(福島市、物産鋸)26点出品。
8月22−26日、第2回平和のための美術展(郡山市公会堂)
《慟哭》(上図)
ほか1点を出品(以後第4回展まで毎回出品)。
11月21−24日、第5回鎌田正蔵個展(ツタヤ洋品店2階ホール)約14点出品。
▶1954(昭和29)41歳
9月、郡山市豊田町(現・長者)に
自らが設計した住居兼アトリエが落成。
▶1956(昭和31)43歳
9月21日−10月7日、第20回新制作協会展油絵部(東京都美術頗)
《作品B》
《黒い火》で新作家賞受賞、協友となる。
▶1957(昭和32)44歳
佐藤昭一、佐藤宏道、芳賀忠行、
渡部武
に賛同し、束原正光、
橋本章
とともに新作家グループを結成(のちに新作家美術会、続いて集団新作豪に改称)。
4月27−30日、第1回新作家グループ展(ツタヤホール)出品(1980年まで毎回出品)。
9月21日−10月7日、第21回新制作協会展油絵部(東京都美術鶴)《水土》で新作家賞受賞。
11月22−24日、
鎌田正蔵個人展(三春町小学校)
21点出品。
▶1958(昭和33)45歳
春、蒼胃社の仲間、佐藤昭一、橋本貢と新築の郡山市立図書館(現・郡山市歴史資料館)の壁にレリーフ制作。
7月1−10日、鎌田正蔵小品展(白河市、松河屋2階)12点出品。この年、アートクラブ会員となる。
▶1959(昭和34)46歳
5月18−24日、鎌田正蔵個展(東京・銀座、サトウ画廊)14点出品。
▶1960(昭和35)47歳
7月、杉全直を招き、講演会を行う。11月14−20日、第2回鎌田正蔵個展(東京・銀座、サトウ画廊)12点出品。
▶1962(昭和37)49歳
11月7日、安積女子高校創立50周年を記念して、朝倉摂の講演会を行う。cこの年、
アートクラブ展《作品(緑色)》(下図)出品。
▶1964(昭和39)51歳
8月、べトナム戦争勃発(1973年1月、停戦)。
▶1965(昭和40)52歳
3月16日、
平和運動家アリス・ハーズがベトナム戦争に反対して、デトロイトで焼身自殺を遂げる。
▶1966(昭和41)53歳
9月22日−10月10日、第30回新制作協会展油絵部(東京都美術館)<祝日(A)》《祝日(B)》《祭日(B)》入選、会員推挙。
▶1968(昭和43)55歳
3月、安積女子高校教諭退職。
4月、
郡山女子大学短期大学部生活芸術科教授就任。
▶1969(昭和44)56歳
7月1~10日、鎌田正蔵個展(郡山市、エムポリアム画廊)15点出品。
▶1972(昭和47) 59歳
10月18−23日、鎌田正蔵個展(郡山市、カドエビ画廊)。
▶1973(昭和48)60歳
7月30日−8月20日、
若松光一郎とヨーロッパ旅行
。
11月、
若松光一郎、鈴木新夫と素心会結成
。
▶1974(昭和49)61歳
1月19−28日、鎌田正蔵素描展 私の見たヨーロッパ(カドエビ画廊)。
▶1975(昭和50)62歳
8月17−25日、ギリシア旅行。
▶1976(昭和51)63歳
5月5−9日、鎌田正蔵展(1961−1976.自選展)(三春町公民東3Fホール)約32点出品。
11月17−27日、東京美術学校昭和13年卒業生によるGroup13に参加。第1回展(東京・銀座、和光6階ギャラリー)《貴装(A)》《貴装(B)》出品(以後、1990年まで出品)。
▶1978(昭和53)65歳
8月1−20日、スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅。
▶1979(昭和54)66歳
9月28日~10月6日、若松光一郎と東ドイツ旅行。
▶1982(昭和57)69歳
3月24−29日、鎌田正蔵展”あるフォルムの探求に向って” 近作絵画20点(郡山市、力増ね画廊)。
5月7−31日、鎌田正蔵展−あるフォルムの探求に向ケぐ−(東京六本木、ストライプハウス美術館)21点出品。この年、
三春町清水にアトリエ落成。
▶1984(昭和59)71歳
3月、
郡山女子大学教授退職
。
10月20日一21日、アトリエ展(個展、三春町アトリエ)。
▶1986(昭和61)73歳
4月26日、
チェルノブイリ原子力発電所事故発生
。
4月27−29日、第2回アトリエ展(個展、三春町アトリエ)。
▶1990(平成2)77歳
10月10日−11月25日、
「日本のシュールレアリスム1925−1945」展
(名古屋市美術飴)に出品。
▶1991(平成3)】78歳
1月
、湾岸戦争勃発(同年2月、停戦
)。
▶1994(平成6)81歳
5月12−22日、鎌田正蔵作品展 黒い絵(郡山市、Galleru静〉32点出品。
11月3日、郡山市文化功労賞受賞。
▶1996(平成8)83歳
04月13日−5月12日、「
画業60年一鎌田正蔵展」(郡山市立美術館
)。
▶1999(平成11)7月15日、肺炎のため死去。享年86歳
Top