■白隠禅画傑作選
山下裕
▶白隠禅画、その空前絶後のど迫力
白隠禅画の魅力は、なんといってもその〝ライブ感〟にある。二百数十年の時空を超えて、いま、ここにある作品と向き合えば、描いている白隠その人の身振りや口吻が、まざまざと伝わってくるのである。描いてすぐに紙を持ちげたのか、墨が垂れても平気。下描きの線から大幅にずれてもお構いなし。すさまじいスピード感だ。江戸時代の人とて、賛がすらすら読めたわけではないだろうから、その意味を噛んで含めるように話して伝えたのかもしれない。ときにはまったく字が読めない人に対してさえ。
描かれる人物は、達磨でも釈迦でも布袋でも、あるいは大燈国師といった祖師でも、そのほとんどは白隠の分身。白隠が産み出したキャラクター、アイコンが、雄弁に語りかけてくる。だが、その分身の視線は、絵を見るわれわれの視線とは微妙にずれている。なぜか。私は、白隠は斜視だったと想像している。そのことを示す文献はないが、最晩年、おそらく京都のプロフェッショナルな仏師によって造られただろう、松蔭寺のきわめてリアルな木像(上図)を見れば、納得してもらえると思う。たとえば、「隻履達磨」(龍嶽寺蔵表紙、三五頁)など、力を込めた作であればあるほど、その瞳は斜視気味に描かれる。この白隠禅画の視線の問題は、今後さらに深く考察すべき課題である。
さて、白隠禅画は、どれほどの数が現存しているのか。以前は、研究者の間で、漠然と二千点ぐらいか、と囁(ささや)かれていたのだが、近年の芳澤氏の調査によって、一万点を超す可能性が示唆されるようになった。明治の廃仏毀釈、関東大震災、第二次大戦などによって失われたものも多いだろうから、生涯に数万点を遺したのかもしれない。鉄斎もピカソもびっくり、日本美術史上もっとも多作な人であることは間違いない。しかも、そのほとんどは前例のないスタイルで、先人の作との様式的な脈絡を想定することができないものなのである。
ここではまず、大作を中心に、自隠が渾身の力を注いだ迫力満点の禅画を選りすぐつて紹介する。そのほとんどは、六十代以降、七十代から八十代にかけての最晩年作だが、なかには近年見いだされた、四十代の重要な作もある。まずは、空前絶後の白隠禅画の魅力を味わっていただきたい。
唐衣おらで北野の神ぞとは袖にもちたる梅にても知れ[文字絵] 南無天満大自在天神 渡唐天神(ととうてんじん) 京都・選仏寺蔵