いわさきちひろ

■瞳の語りかけるもの

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中山公男

 いわさきちひろの絵の、あの柔らかな、それでいて鮮烈な色感や、筆やパステルの線のもつやはり鮮やかな印象とともに、何よりも心象に残るのは、子供の顔の表情だろう。

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 ちょっとしゃくれ上った小さな鼻、端っこの方にさまざまな表情をたたえはするが、いつも閉じられた横の線として示される唇、そして、あの不思議な光をたたえた眠が、丸い輪郭のなかに、お互いに離れてぽつんぽつんと配置されている。あの子供の顔こそ、ちひろの絵の魅力の原点らしい。ひとつの抒情の類型として、それは人びとの心に押印されてしまう。

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 あの表情は何だろうか? おしゃまだが、心のなかにはたえず優しい夢がはぐくまれていて、孤独で内気なのだが、隣人にはどこかで心を開こうとする姿勢があるし、しかし、内なるものをかたくななまで信じていて、決して外からの侵入を許さない。少くとも私が好きなのはこの表情である。

 あそこには可愛らしさだけではなく、ガキ、じゃりんこ、フランス人のいう悪 おもむきガキ(ゴス・マリシウー)、あるいはプールボの趣が多分にふくまれている。

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 このプールボという名称は、20世紀の初頭、パリで漫画家、諷刺画家として、一時期は一世を風びしたフランシスク・プールボ(Francisque Poulbot)が、モンマルトル界わいをうろつく浮浪児たちや子守女たちを主人公として描いた洩画に由来している。どちらかといえば、このプールポたちは、まさに悪ガキ(ゴス・マリンウー)であって、悪さもすれば、ちょっとした盗みくらいなら平気でやってしまう。だが、心根のどこかに優しさがあり、愛に飢えていることは、子供たちの表情にもあらわれている。そういえば、ユトリロの絵の一点に「プールボの家」と題するモンマルトル界わいを描いた作品があるが、ユトリロは、プールボと同世代、そして少年時代からモンマルトル界わいの不良だったのだから、フランシスク・プールボの世界に無限の共感をもったにちがいない。

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 ちひろの描く子供の顔の表情、とりわけ限の光には、ただの純真さや夢だけではなく、プールボ、ユトリロの心情に近い何かがある。大人の世界をみつめる怜倒さ、抵抗の光というべきだろうか。たいていは短い上下の曲線とそれを両端でつなぐ縦の線で形づくられていて影だけが眼の光をあらわし、ときには、黒っぼい横長の長方形のような斑点で描かれている眼。白っぼい眠が大人の世界への拒否権をたたえるのに対して、黒っぼい眼は内側に閉じこもった心をあらわしていると思える。

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 あの眼は、モンマルトルをうろついていた貧しい子供たちに共通のものだった たむろのだろうし、私たちは、戟後の焼跡や闇市や地下鉄に屯していた戦災孤児の眼として知っているものだ。私は、いわさきちひろという人間については全く何も知らないから、なにひとつ断定はしたくないが、彼女が第2次大戦末期、東京中野で戟災に遭ったという事実を知ればうーなずける部分が多い。戦中、戦後の体験のなかで、浮浪児たちの眼を通して、あるいは私たち自身のなかに、あのような眼の光を私たちは知った。また彼女が、離婚経験をもつということなら、やはり、ゆがそこでも、彼女は、外的な世界の歪みを知った人、そしてそれへの抵抗、拒否の姿勢を以後かたくななまでに護ろうとした人だと納得する。

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 彼女の描く子供たちの表情や動きやシルエットは、ほんとうに子供たちを愛する人でなければ描きえない的確さ、表現性、抒情性をもっている。彼女自身がある座談会で語っていた言葉が印象的である。「小さい子どもがきゅっとさわるでしょ、あの握力の強さはとてもうれしいですね。あんなばちゃばちゃの手からあの強さが出てくるんですから。そういう動きは、ただ観察してスケッチだけしていても描けない。ターッと走ってきてパタッと飛びついてくるでしょ、あの感じなんてすてきです」彼女はほとんど彼女の全身で子供たちを愛し観察し感じている。子供たちのあどけなさや、身ぶるいしたくなるほどの愛らしさは、この体感的な抒情によって描かれる。小生意気で、ちょっと色気もあって思わせぶりで、そのくせ無垢な子供たち。

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 だが、彼女が、もっと愛し執着しているのは、彼女のなかの子供である。子供時代の想い出というより、外部世界の歪みから護らねばならない無垢の魂というよこしまべきだろう。大人のずるさも邪も歪みけべて心得ていながら自己を護ろうとする魂である。

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 前述のユトリロの描く「プールボの家」には、ユトリロ自作の詩が乱暴に書き記されている。その一節にこうある。

いやあっちにもこっちにも、卑しげで図々しい野次馬たち。あぎけりあんた方は、さげすみと、嘲にみちた笑いを、いっぱい投げかける。まなそして卑しむような、皮肉な、ぞっとする眼ざしを。

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 これは、すでにすぐれた作品を描き始めていたのに、ただのアルコール中毒のへボ画描きとしか見られなかった青年時代への、ユトリロの憎悪である。幸いにして、いわさきちひろの画も人も、すべての人に愛されたようである。しかし、ちひろは、すべてを許していたのではない。卑しい社会を拒否し、それ故に彼女のなかの子供に執着したのではないか。

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 彼女の絵は、こうした子供たちの表現性と、色彩やタッチの抒情性から成立するようである。抒情的表現主義、あるいは表現主義的拝情というのは、一般的にいうなら日本的風土に根ざしている。近代洋画にしても、的確なレアリスムなり、厳密な古典主義風の規範を避けて表現主義へと向う傾向をもった。そして、たとぇばドイツ表現主義などの系譜がそなえる社会性や諷刺性をも避けるために抒情性を選ぶ。個人の確立が未熟な、したがってまた個のつながりが依然として希薄な日本的風土のなかでの一般的な傾向なのだと私は考えている。

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 しかし、こうした一般的な傾向が、いわば社会や理性からの逃避として選ばれているのに対して、いわさきちひろの世界は、自己内部への沈潜であったことは事実だが、逃避以外のもの、拒否の姿勢であったことは、あの眼の白い光が示しているようである。童画という枠組みを外すなら、どれだけこの眼は強い光をも ちうるだろうか。(なかやま きみお 美術評論家・群馬県立近代美術館館長)

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