■レオナルドの科学技術
オラツィオ・クルチ
■植物学
若いころからレオナルドは動物や草木、花などを熱心に写生し続けた。それらのスケッチは彼のすぐれた観察力を示している。20歳の時には、後に『聖告』の天使の手に再び描かれることになる名高い『サン・アントニオの百合』のデッサンを描いた。
その後数年の間、草木と花の写生にますます情熱を注いだ。植物学上の特徴にも強い関心をもち、植物学的注釈を加えたデッサンも数多く残っている。それらは、フランス学士院図書館所蔵の手記、『絵画論』や『コディチェ・アトランティコ』とよばれるものの中や、またウィンザー宮王室図書館所蔵の手記にみられる。そのスケッチや注釈は彼が絵を描く場合、科学的に正しい・・・植物を描くために利用されただけではなく、その中に彼は植物学そのものの研究の動機を包含していたのである。
「コディチェ・アトランティコ』の中には、彼は植物が毛細管を通して根から枝まで水を吸い上げることを記している。また、茎の上に葉が規則的につくこと ヱうじ上(菓序)に気づき、それに関する法則を示している。樹木の幹が、植物学上「形成層」とよばれる若い組織によって太くなってゆくこと、その生長がくり返されることによって年輪が作られることを、正確に説明している。さらにこの年輪が、樹齢を示すこと、その太り方はその年の気侯の様子を示していることも理解していた。
ウインザー宮王室図書館所蔵の手記に植物学的にみて正しい、花、草木、葉のスケッチが数多く納められている。これは1つの”植物図鑑”をなしている。
■地質学
レオナルドは、地球を人間の体に似た生長の能力をもつ”巨大な生物”とみなした。そこでは、ラテンや中世の”われらが母なる大地“といった考え方を採っていたので、たとえば海の現象や火山の起源についての説明に、しばしば誤った解釈を下した。しかし、その他の大部分の研究では、今日なお正しいとされ、そして当時としては大変新しい考え方を提出している。
とくに水について「水は自然の御者である」とのべ、水の働きによって地表が浸蝕される現象を説明した。地表の形が変るのが、水の働きによることを確認していた。水が運ぶ土砂の粒は、流れがゆるくなるに従って、大きいものから沈積して行くことを、実際に川の各地点から土砂を採って調べ、確認している。さらに彼は沈積物が地層を形づくり、固まって岩層となるという過程を、直感的に見通していた。
浸蝕と成層の研究結果かぢ、レオナルドはさらに”造山作用学”といわれる山のできかたの解釈を提起した。すなはち山は空気、水、気温などの外的な力によって造られると考えた。また地震や火山噴火、地盤沈下、隆起にも正確な記録を残している。しかし彼は地球内部の圧力にまでは論及していない。
地層を観察しているうちに、レオナルドは当時「ニーキ」と呼ばれていた貝などの化石に出合い、これについても研究した。彼はきっばりと「化石は現在の生物の祖先にあたるものである」と断言し、地球上に化石が存在するのはノアの大洪水のせいであると信じていた当時の学者たちに論争をいどんだ。
これらの業績の故に、レオナルドは古生物学の先駆者のひとりとされている。彼はさらに研究を進め、大地の変化を追求し、ついには地球そのものの起源と進化のあとをたどるまでに至った。
■水理学(水と水の利用に関する研究)
ミラノ市周辺は古くから運行開運河、かんがい用運河の発達していた地方である。レオナルドがミラノ公のもとに招かれていた時に、彼はそのすぐれた工法・技術に強く心をひかれた。
ミラノに来る前から、レオナルドは水利工事の技術に深い興味をもっていた。
実際的な仕事の経験をもとに「水の運動と量の関係」を明らかにするための理論追求へと移った。
「水」についての研究は手記の『I』と『F』に数多く、その他『コディチェ・アトランティコ』、『コディチェ・アルンデル』やウィンザー宮所蔵の手記のところどころにみられる。とくに最後の『ウインザー手記』には、大変見事な興味深いデッサンがある。
これらの記録のなかで、レオナルドは流体力学の基礎原理をいくつかすでに指摘している。たとえば「流水の速さは、傾斜が急になると増し、抵抗や水底に凸凹があると減少する」こと、それだけでなく、「速さは流れの幅と勾配が同じであれば−深い川ほど速くなる」などである。また「川の流水量は、傾斜と深さが同じであれば、水底の幅に比例する」ということも知っていた。さらに水底や岸に沿う部分の複雑な水の運動や、船の通った跡(みお)の水の状態についても長い間研究した。
技術の面では、ロンパルディアの運河を綿密に調査した上で、運河建設用の資材を運搬したり引揚げたりする機械や、土台建設用の「潜函」の構造、石張りの新しいシステムを発表した。運河や河川の底のドロをさらうための「しゅんせつ船」や何種類かの「水門」を考案した。
こうした理論と実践の総合的認識から、実際にレッコからミラノに至る運河や、またそれより大がかりでももっと大型の船が運航できるフィレンツェから海へぬける運河をも設計した。後の方の運河については、費用の見積りや施工上の細部までの詳細な研究を残している。
水理学の研究の中で、レオナルドは水力エネルギーの合理的な開発・利用を重視している。ロンパルディアの、勤勉で進歩的な都ミラノで、レオナルドは、陶器、ガラス、嘩布、兵器などを製造する機械の動力に使われた水車の装置を調べ、分析しそこからより独創的な水の応用の方法を引き出した。多数の水車を同時に使う「複数水車」を設計し、水プ利用の「自動ノコギリ」を完成した。そのほか新型のバルブをつけたポンプを考案した。
■天文学
■地理学
数学に達者だった彼は、地球の大きさを計算するさまぎまな方法を考案し、結局、その直径を12.500.000m、と算出した。これは現在測量から出されている数値12.700.000m(いずれも端数省略)とほとんど変わらない、正確なものである。
■赤道半径 = 6 378 136.6 m ± 0.1 m (地球時(TT))準拠によるもの)
雨水が大地へどのように浸透してゆくかを研究し、岩、陶土、砂礫などで構成されているいろいろの地層について、浸透のし易さを考察した。雪解け時期や干ばつ期に、わき水が規則的に増えたり減ったりすることとか、その他水に関するいろいろな現象を研究し、水のなせるわざを正確にとらえるようになった。
「川の水は海から来るのではなく雲から来るのだ」という彼の言葉がある。水の循環を完全に説き明しているのである。雲が雨となって地に降り、川となり、川が海に流れこんで、そしてふたたび蒸発して……と循環する水の全容を正しくとらえられていた。彼は湖にも関心を示し、その記述の中にはしばしば、コモ湖、ヴァレーセ湖、ガルヌ湖、そしてマッジョーレ湖の名がみられる。
山くずれによって谷が埋められてできた−とされる”湖盆”のできかたにも、彼独自の解釈をあたえようとした。海もまた彼の調査と観察の対象となった。彼は海の運動について、独自の方法で取り組んだ。大気とその作用に関する研究は、その現象が複雑であるために、ますますレオナルドの芸術家としての心をひきつけ、研究者としての精神を魅了した。
風がどのようにしておこるか・・・については、単に水平方向の空気の移動だけでなく、垂直方向を含めて、気団の循環を説明し、そのなかに空気のウズ巻きのデッサンを残している。また雲はどのようにしてできるのか、それがどのようにして雨になるか一についても論じている。
■地球の半径の算出
地球の半径を算出するために、レオナルドは、高さ約5mのところにおかれた照準儀を使うことを考えた。この照準儀をかなり離れた2つの地点におき、各地点から北極星を見上げた時の見上げる角度の差と、地点間の距離によって、地球の半径を算出した。
■地図製作
レオナルドの製図法の重要な特色は、応用水力学の研究、設計などの目的からつくられたという点で、物理学的性格をもっている。これら科学的目的のほかに、レオナルドはさまざまな工事の設計や施工に必要な地図も作成しており、これらはもっばら工事目的の実用のものである。当時山岳地帯を表現するためには、山を頂上から措いた、いわゆる ”ア・モンティチェリ〝という手法が使われていたが、これでは山の形を正確には再現できなかった。レオナルドはこの ミモンテイチェリ〝の方法を改良した。それは線描きとばかしを使い分けて、山の高低、水路をより正確に再現することであった。さらに、レオナルドは適当な色を使いわけることを加えた。川や水域には濃い青色、地面は黄色、凸部は茶色で表わすようにした。地図をかくことにおいては、レオナルドは芸術的な才能、製図家としての才能をフルに発揮した。レオナルド・ダ・ビンチが言うように、血管も、河川も、 もちろんその延長である尾根を含んだ地性線も、理論立てられた樹枝状になる そして、尖鋭な谷ほど傾斜が急である、一般の谷は、放物線状の連続傾斜を持つ、不連 続傾斜の谷は、断層や地質構造などが原因でできていて、滝の存在が予想される、など、 多くの理屈も準備される。
フィレンツェ、ミラノ、イモラの地図およびロモランティンの地図が有名である。(ロモランティンはレオナルドがフランソワⅠ世のために城と村を設計した村である。)
▼トスカーナ地方
山岳部と川を描き表わすためにレオナルド流の手法を加えた例。
▼イモラの平面測量図
レオナルドによって描かれた最も有名な完壁な地図の最初の例磁石によって方位を入れ、細部まで正確に描かれている。
■化学
レオナルドは自然現象を注意深く考察するうちに、元素とか物質という考え方に達した。そしてそれぞれの特性について研究した。
彼は基本的には錬金術には反対する立場に立っていたが、錬金術の中に、科学の前兆としての価値を認めていた。事実、”無限の化合物”をつくるさまざまの変化を調べるという意味では錬金術は有効であるが、ただ金のような単純物質を創り出そうと全力をあげることは、明らかにナンセンスであるということを知っていた。
実際のところ、錬金術がもとめたのは自然の神秘の中に奥深くもぐりこんで、物質の創造のプロセスを逆もどりして、はじめにあった単純な物質をつくり出すことであった。”化金石”を使ってあらゆる金属を金に変え、”不老長寿の薬”を飲んで生命を引き延ばそうとしたのである。
しかし、錬金術は化学、つまりさまざまの物質の変化をつかさどる法則の研究に、道を開いた。レオナルドが研究し、分析した物質や元素の数は約100にもおよび、蒸留水から銀へ、澱粉から炭へ、辰砂(しんしゃ)から鉄へ、石炭から水銀へ、鋼から岩塩へと研究は進んでいる。
レオナルドは化学の実験に多くの時間をかけた。中でも有名なのは、彼が自分自身の絵を描くために行った色の研究で、彼の使う色は彼の研究室で彼自身によって作り出されたのである。
レオナルドは当時の蒸留器具について考案を加えた。当時の蒸留器はビン状で、その上に下向きの口のついつりがねた鐘形のフタを置くものであった。ビンは火にかけられ、鐘形のフタの中に蒸気が上がるようになっていた。蒸気を凝縮させるには、冷水にひたされた布が当てられた。レオナルドは冷却する方法を改良し、リービッヒの近代的な凝縮器にあるような、蒸留器の二重の壁の間に水を通す方法を考えた。
■数学
数学を知らないものには、私の原理は理解できない。この言葉こそ、レオナルドの考え方の根本を示すものである。
レオナルドは数学者とはいえないかも知れない。しかし現実家であった彼は、応用と効用の面で数学を考えていた。科学、技術の内容を表現する上で、数学が重要な役割を持っていることを確認していた。
数学がまだそれほど重要視されていなかった時代に、レオナルドは彼の研究の上に、数学を巧みに利用した。たとえば、角材や丸木材を梁に使った場合、ほぞ穴にはめこまれた場合と、単に柱の上にのせた場合では抵抗力はどう違うか、また梁の中心に重量がかかった時の梁のたわみなどが研究された。金属線の破壊重圧や張力抵抗を数学的に研究した。
平面幾何学にも熱心だった。円に内接する正多角形を作図したり、弓形に関するたくさんの定理を系統的に整理した。
放物線用や楕円形用のコンパスなど、数学器具もいろいろ考案した。
■幾何学(応用)
レオナルドの幾何学研究は、彼の科学・技術研究と密接に結びついている。彼自身「幾何学的遊戯」といっているように、正多面体をつくったり、円周や線分を等分したり、四角形の中に正八角形を書き入れたり、その他幾何学の問題を好んで扱った。
その応用の面として、天文学の分野では、太陽と月の距離や月の大きさ、を決定するのに、幾何学的な方法を使った。光学では、その光線の研究に幾何学を役立てた。彼以前に、ビュトロ・ディ・ボルゴが述べているが、レオナルドも、幾何学の法則の上に立って遠近法を研究した。幾何学そのものには、とくに新しい貢献はしなかったが、色とぼかしの遠近法には正確な説明をつけており、この点では並ぶ者のない第一人者となった。
最後に、彼の独特な研究として、人体の各部の長さの比率についてなされた研究がある。もっとも有名なデッサンは、ベネッイア・アカデミーに保存されているもので、「神聖な比率」ともいわれるビトルビウスの構想に従って、模範的な人体の各部の比率を示した。
■飛行機械
水理学、物理学、地理学、数学と、つぎつぎに修めていった学問分野の中で、レオナルドは空気の研究を進めるうちに、飛行の問題の研究に入っていった。
飛行の問題を彼は、2つの面で、いろいろと考察した。1つは鳥の飛び方、他の1つは飛行する機械の研究である。いずれの面でもレオナルドは最初の人であった。飛行についての考察は、文字通り彼の独創であった。背中に羽をつけた人間というロマンティックな神話を打ち砕いて、科学者として力学的な方法で、鳥のように飛ぶことを研究した。
鳥の飛び方、風の吹き方、空気の抵抗、その他飛行に関する気体力学の系統的な研究に入る前から、レオナルドは飛行機械を考えはじめた。
はじめ、.彼の注意力は小鳥がはばたいて飛ぶ難い-飛び方にひきつけられたが、鳥や空気の現象について研究した後は、大きな鳥の飛び万一グライダーのような飛び方に注目した。
鳥の飛び方の研究は、レオナルドがもっとも力をつぎこんだ問題である。鳥の解剖学的研究から、翼のはばたきをやめてバネや大石弓の力を応用することを考えた。ここで彼は蓄えられたエネルギーを使う、発動機の考え方に達することになった。
さらに自然界・・・鳥や虫・・・に学ぶにとどまらか、で、自然界には何のかかわりのない”飛ぶ横棒”として、プロペラを考え出した。
飛行の理論的な研究は、レオナルドのもっとも大きな業績である。なかでももっとも独創的な理論は、揚力、抵抗、空気、風に関するものである。
揚力の研究により、レオナルドは、「小鳥ははばたきによって支えられている」という、当時の学説とは全く反対の結論に達した。「空気をおさえつけるために翼を上げ下げする」と考えたレオナルドは、翼の大きさ、形状、推進力の研究へと進んでいった。はじめの飛行機は、人間がうつ伏せになって乗るやり方であった。しかし、レオナルドが本気で研究した飛行機は人間が立った姿勢で乗る形のものであった。これは“レオナルドの飛行機”と呼ばれる。この飛行機の基本的な特長は、人間の筋力によって直接翼を動かすのではなくて、2つの大きなバネで翼を動がす点である。
もっともすぐれた独創的な発明は「空中ネジ」(ヘリコプター)である。これは半径4.8mの大きな麻布製人螺旋(らせん)形のもので、藤で枠取りされ鉄線で補強されてある。回転すると、”ネジ”は空気中で「普通の雄ネジが木材にくい込むのと同じように」上昇するはずであった。レオナルドはそのほか「天蓋(てんがい)」と彼がよんだパラシュートや、飛行機用の舵と傾斜計を設計した。
■船の研究
船の研究は、飛行に関する研究ほど多くはなかったが、やはり独創的で興味深い考案が見られる。船に関連したレオナルドの覚え書は、あちらこちらに散在しており、ほかのことがらのスケッチ、とくに軍事関係のものと入り混っている。レオナルドは、船の研究を軍事の分野の研究とオーバーラップさせていたのであろう。レオナルドはとくに船の推進機について熱心に研究しつづけた。帆の操縦法を学び、それがいろいろ不便な点の多いことを知り、彼はオールのついた車輪を推進機にすることを考えた。古代やローマ時代にもすでに取り上げられていた考え方を、ふたたび取り上げたものであるが、もっと進んだ一層具体的なものだった。彼は、外輪船だと安定して航行でき、速度も帆船やオール船より速く、同時に安全であると考えた。