■構成的美術の諸相
ウィリー・ロツラー
人類は有史以前よりこの世界を美術という手段を通して解釈する際に幾何学的原理を用いてきた.幾何学が人間の基本的な体験であることをあらゆる文化遺産,あらゆる時代の美術が示している.単純な平面上の記号でさえ,メッセージの伝達手段としてだけでなく,自然を超えた力を支配し,超自然的霊力を表わす目的で使用された.太古の昔から深し、意味を込められたシンボルは,輝く太陽,渦巻,十字などのような単純な記号にと簡略化されてきた現代の交通,スポーツ,あるいは科学技術などの分野の多様な記号言語の中にも,幾何学の基本的なパターンが用いられ,コミュニケーションの役割を果している.
線,面,立体,空間などの幾何学的構成や基本原色と副次色との明快な対比を用いて自然の法則を明らかにすることもできよう.「しかし,もしある芸術家が,幾何学を用いて自分の主張を証明し,根本的な真理を提示して見せるなら,世間は皆,彼の言うことを信ずるだろう・われわれは幾何学の中に閉じ込められているからだ.」と言ったのは,今日の構成的美術の作家ではなく,アルブレヒト・デューラーで,1528年に出版された『人体比例論』の中で述べていることである.
幾何学的,構成的形体とは,あらゆる付随町主観的な要素を取り除いた形体,すなわち現実世界の複雑な現象とは無縁な形体であると考えてよい・このような純粋形体を明確に表現するには,基本的な平面と立体の形から始めて,円,正方形,正三角形,球,立方体,角錐,円錐,円筒などに考えいたればよい.平面,立体,空間やこれらを結ぶ函数は,ユークリッド幾何学の分野である.
数学の一形式である幾何学と美術とは関わりがあるか,との問いに答えるには,古代ギリシア人がテクネー・techneという語によって,数学的法則とデザインや技芸のわざとを合わせた意味を表わしていたことを思い起せばよい。
テクネーは,今日の意味でのテクニック(技術)を意味したばかりでなく,芸術も含めた工芸一般を広く意味していたのである.ギリシア人ほどの豊富な語彙力を持った国民でありながら芸術・ARTにあたる特別な語を持たず,応用水力学,建築デザイン,陶芸,壷絵,彫刻の各分野に対しテクネーの一語ですませていたのは偶然ではない。テクネーとは,自然の与える素材を用いて,思考と職人的あるいは技巧的技術を用いて人間のニーズに応える物を作り出す能力であると言えばこの語を最も点く定義できるのかもしれない.
しかし,勿論われわれはここで,ギリシア人について論ずるつもりはないし,まして,レオン・バッティスタ・アルベルティやピエロ.テラ・フランチェスカ,レオナルド・ダ・ヴインチのように,自らを科学者と考え,数学者として仕事をし,かつ,数学の教本まで出したルネサンスの芸術家たちを取り上げようというのでもない.レオナルド・ダ・ヴインチなどは,ルネサンス期の最も重要な技術と数学の基礎文献であったフラ・ルカ・パッチョーリの『神的比例』(1509年)についての論文に数学に関する素描を描いたが,そのことが彼自身の権威をそこなうとは思っていなかった.これらイタリア人たちの数学研究の成果は,後にニュルンベルクのアルブレヒトデューラーによる1525年出版の実践幾何学の教本『コンパスと定規による測定に関する論考』,および,1528年,死後に出版された『人体比例論』に影響を与えた.
このようなルネサンスの芸術家の美術の数学的基礎に対する情熱的であくなき探究心は,素描や論文に率直に表現されている.とは言え.それは,完成した美術作品の中では,主題となった画像のモチーフのかげに隠れてしまっており,わずかに構図の枠組や,物と空間との遠近法的処理にそれを窺い知ることができるに過ぎない。しかし、この「もっと幾何学を」という考え方は,人間と幾何学の潜在的な関係を表明しているものと考えられよう.
幾何学的な要素は,未発達で本能的な形で、実際に先史時代の洞窟絵画にさえ見ることができる.すなわち、そこには有名な「自然主義的」な動物の絵と並んで水平.垂直,斜め,円といった線の体系が唐突にたびたび現われている.このように暗示的な幾何学的線を用いて・諸霊力,時間,性など,直接に描写することのできないなにかを象徴しようとしたのは疑いの余地がない.現代でもなお自然状態の中で生活しているスーダンのヌバ族のような種族が儀式の際行なうポチノ・ペインティングは,ほとんど幾何学的な文様に限られている.
幾何学的デザインは,新石器時代と青銅器時代の農具に,何度も繰り返し現われ,地中海沿岸全域や中近東および極東の古代文化の初期幾何学様式へと受け継がれ,さらにプレ・コロンビア期のアメリカ大陸まで達し,ペルーのナスカの巨大な地上絵に続いている.
このような幾何学的要素はよく誤って単なる装飾文様と見なされるが、主要文明の成熟につれて,なぜ,どの程度まで,人物や事物のだんだん本物に近くなってゆく自然主義的表現におされて,退化していったかはここであえて追求しない.重要なことは,各時代を通し,どの文化をとっても,霊力と数学の関係が,神的比例すなわち黄金分割におけるほどの完璧な調和を常に保っていたわけではないにしろ,宗教家や思想家,芸術家らは両者の関係を認めてきた点である.画像を忌み嫌うイスラム世界では数学者や哲学者の関心が美術に他の地域に見られない程深い痕跡を残した.懐疑心の薄い西洋人には,イスラム建築のレリーフや壁面装飾は一見すると混乱し無秩序に見えるため、単なるありきたりの飾りに過ぎないと思われ,複雑な線の構成や,数学的体系をもつフォルムなど,イスラム美術が,おそらくは最も深く数学の影響を受けた美術であると見抜〈ことは困難である.
しかし,幾何学的デザインは瞑想への契機として,また,他の方法では見るここもできず言い表わすこともできない神性を表明するものとして利用されている。事実そのような意図のもとでしばしば利用されている。そしてこの点はイスラム美術だけでなく,ヒンズー教の中のタントラ美術や極東の美術にも幾分か認めることができる.日本の石庭に見られる禅の線的構造はその一例である.
しかし,超自然と数学との関係をあまり深く探求する必要はない.キリスト教から一例だけ挙げるとすれば,三位一体が真上に頂点を?与った正三角形で象徴されていることである.これと同じ源から中世の教会の平面図や側面図に頻繁に用いられている数値の複雑な比率も発している。級数と数列は,合理的なものから不合理なものへ,すなわち.理解し得るものから,認識し得ないものへの移行についての思考を常に人間に促すものであった.こうして,たとえば,中世の有数の数学者であるピサのレオナルド・フィボナッチは13世紀初頭に自分の名を冠した級数を展開したが,この級数は近来になってコンセプチュアル・アート,ミニマル・アートの代表的作家,特にマリオ・メルノやドナルド・ジャッドによって取り上げられ,美術の実制作の面で豊かな成果を挙げるものとなった.
このことは美術において数学や幾何学が目新しいものでないことを意味するのだろうか.その筈はイエスでもあり,ノーでもある.今まてこ述べて来た世界美術の底流としての幾何学とは全く別個に,西洋美術を代表する者たちは常にあらゆる平面形体における幾何学的な基本法則,すべての空間形体における立体の基本法則に関心を持ち続けてきた.デューラーが「根本的な真理」と呼んだこの点は作品の主題の多様な外観のかげに隠されてきただけであった.われわれは現実の再製こ取り組んだ作家たちが幾何学を利用した例を美術史上数多く知っている.ジュネーヴの画家で,コローの弟子で、ホドラーの師であったパルテルミー・メンは,1850年以降,人体という有機的形体を,多面三体的な構成要素に分解して教え,ボール紙片を適当な角度で寄せ合仁せて構成した頭部を作り上げた.このような教育法は,キュビスムが現われる50年以上前のものであり,おそらくもっと古くからあったものであろうが,一方で1915年以後ナウム・ガボによって,さらに後にアントワーヌ・ぺヴスネルによって作られた房構造の頭部やトルソーに通じるものである.風景を単純な立体に分割して見せたセザンヌの見解もー般によく知られている.

Head circa 1923-4 Antoine Pevsner 1884-1962 Presented by Mrs Miriam Gabo, the artist’s sister-in-law 1977 http://www.tate.org.uk/art/work/T02241