Ⅷ.アメリカの戦後の動向

■アメリカの戦後の動向・ends in the United States after 1945

 この展覧会の第6の部門にまとめられた作品を見ると,アメリカの抽象美術の展開に,モンドリアンらの新造形主義が大きな影響力を持ったことがうかがえよう.しかし,垂直線と水平線の形の枠組みを重視する幾何学的抽象は,抽象表現主義とその後の新しい抽象美術が登場してくるにおよんで乗り越えられた.一方,ジョーゼフ・アルバースはアメリカ移住後に成熟させた色彩の自律性とその相互作用の研究の成果によって,1950年代末以後に登場してくる新しい抽象の担い手たちにかなりの刺戟を与えたようだ.

 ところで,構成的・幾何学的抽象美術と対極的な表現態度を取ったのが,いうまでもなく非合理的な意識下の世界に目を向けたシュルレアリスムの美術である.1930年代にこの派の有力な作家が移住したこともあって,30年代以降シュルレアリスムの影響がアメリカにも現われてくる.アメリカ美術が国際的に認められるようになったのは,第二次大戦直後から1950年代にかけての抽象表現主義によってであるが,この抽象表現主義がシュルレアリスム,殊にその自動描法(オートマティズム)から多くを引き出してきたものであることはよく知られている.

 この抽象表現主義への反動が1950年代末に現われてくる.その一つがポップ・アートに代表される新しいリアリズムであり,もう一つが新しい世代による抽象である.もともと抽象表現主義として大別されるなかには,描く行為もしくは動作を重視するいわゆるアクション・ペインティングのグループとは性格を異にするバーネット・ニューマン,マーク・ロスコ,アド・ラインハートらの色そのものによって空間を生み出そうとする色面抽象の画家が含まれており,50年代未に主観主義的な抽象表現主義への反発として起こった新しい抽象の担い手たちの先行者として見ることができる.

 この新しい抽象が一括して「絵画的抽象以後の抽象」と呼ばれるようになったのは,1964年ロサンジェルス・カウンティ美術館で開かれた「絵画的抽象以後(ポスト・ペインタリー・アブストラクション)」展からであるが,ここで企画者のクレメントゲリンパーグが抽象表現主義を絵画的抽象と規定し,それ以後のJ引傾向を「デザインの物理的な開放性と線的な明瞭性」を志向するものと見たのである.

 この新しい抽象のいくつかの特徴を表わすために「色面絵画」(カラー・フィールド・ペインティング,ひろがりのある色面を特徴とする),「ハートエッジ」(硬い縁の意味で,鋭い明確な輪郭と明度の高い少数の色の均質の色面からなる),「シェイプトカンヴァス」(従来の矩形か正方形のカンヴァスと異なった形の,もしくはレリーフ状の凹凸のあるカンヴァスが用いられ,カンヴァスが絵画の単なる支持体ではな〈物としての存在を主張する)などの名称が与えられた.これらの作品に共通する態度は,一方では絵画の構成要素をきわめて基本的なものに容赦なく還元してゆこうとするところに,また一方では絵画の表面をそこから色と形のイリュージョンが現出してくるための支持体とは見なさなくなり,絵画の内部構造と外部構造(絵画の輪郭としてのカンヴァスもしくはパネル)の一致,色と形,もしくは色と絵画の輪郭との一致を求めようとするところに見られるであろう.これらの絵画の多くは,幾何学的な整然とした形の配列,表現的感情的な筆跡を排したクールで均質な彩色法に頼っているものの,もはや古典的な構成主義や幾何学的抽象美術とは完全に一線を画したものとなった.しかし,これらの作品に見られる追求態度は,本来構成主義もしくは構成的美術に内在していた性格を極度にまで押し進めたものという見方もできるはずである.

 この展覧会に出品されている作家のうち,ケネス・ノーランドは幾何学的フォルムを用いる色面派といえる.ジョン・マクローリンは「ハード・エッジ」の作家と見なされるが,むしろこの傾向をより明瞭に代表するのはアレクザンダー・リバーマンエルズワース・ケリーであり,ケリーは最少限の形と色によって制作するが,しばしば二枚の単純な幾何学的形体のパネルを組み合わせており,その際一枚のパネルは一色に限定されている.

 こうした作品の性格はミニマル・アートに通ずるものといってよいだろう.ミニマル・アートという言葉は,最少限の内容しか持たない美術を指すのに1965年イギリスの哲学者リチャード・ウオルハイムが使ったことから広まった.1966年のグッゲンハイム美術館の「システミック・ペインティング」展は,制作が一定のシステムやプランなど概念的方法に基づいている作品に焦点を当てたものであり,その出品者のうちロバートマンゴールド,ウィル・インズレー,アグネス・マーティンらや,やはり同年ジューイッシュ美術館で開かれた「プライマリー・ストラクチュアズ」展(題名は「基本構造」の意味で,立方体や長方体など基本的な形体を組み合わせた作品を作るアメリカとイギリスの若手彫刻家を取り上げたもの)に出品しているドナルド・ジャッドソル・ルウィットなどもミニマル・アートの方向を進めた作家たちである.シャツドやルウィットは単純なユニットを一定の法則にしたがって連続させて作品を作るが,こうした方法を取る作品は「セリアル・アート」とも呼ばれており,ジェニファーりトトレットやメル・ポクナーらはこの傾向の作家たちである.その他,プライス・マーディン,ジェイク・パーソット,ジェイムズ・ビショップらは,画面の設計そのものは合理的であり,幾何学的なデザインを用いるが,制作に手わぎとペインタリーな描く要素を復活させている.

▶︎ジョーゼフ・アルバース

1888年ドイツ,ボソトロップ生れ.1976年米国.コネチカット州オレンジ没.」Josef ALBERS

教育者として,また画家として国際的に著名で,モンドリアン同様,アメリカと∃一口ッパの構成主義の思想を繋ぐ上で重要な役割を果した.ベルリン,エッセン,ミュンヘンで学んだあと,1920年バウハウスに入学,23年から同校で10年間教師を勤め,その間ガラス工房と家具工房を指導する一方,独自のデザイン理論を発展させた.1933年米国に移住しブラック・マウンテン大学の教授となり,ハーバード大学でも教鞭をとった.さらに1950年から61年まではイエール大学芸術学部長を勤めている.色彩研究と〈正方形讃歌〉の連作は特に有名で,この連作では重ね合わされた色面の正方形が,色相,深み,明度,大きさといった色彩の諸相の関係に互いに影響をおよばし合う.

▶︎ケネス・ノーランド

1924年米国.ノース・カロライナ州アノシュウイル生れ.Kenneth NOLAND

1946年から48年までブラック・マウンテン大学に学び,48年から49年パリでザッキンに師事した.1949年ワシントンD.C.に移り住んだ彼はそこでモーリス・ルイスと出会い決定的な影響を受けた.1958年.59年煩からノーランドは絵画制作に染色の技法を取り入れはじめた.最初期の作品で彼は.同心円の色の輪による「回転花火」の効果を生みだし、後には中心からはずれた楕円の「虎の目」や山形のモチーフ,ダイヤモンド形カンヴァスの斜めの縞,それに横長のカンヴァスのデリケートな色の水平の帯などの作品を制作した.彼はひたすら色彩,隣り合う異なった色相の関係,さらに平面的な絵画に関心を寄せてきた.ノーランドの作品には「色面絵画」のすべての特性が現われていると言える.

▶︎エルズワース・ケリー

1923年米国,ニューヨーク州ニューバーク生れ.Ellsworth KELLY

1946年から48年までボストン美術館付属美術学校で勉強し,次いでフランスに渡り美術を学んだ・マチス,アルプ,それに「新現実展」グループの厳格な形体言語の影響を受け,1954年帰国.以来ニューヨークに住み制作活動を続けている.直線的なあるいは曲線的な形を強い幻覚的効果を生む色彩対比によって組み合わせた高度に洗練された視覚言語を発展させ,米国におけるハード・エッジ抽象絵画の旗手の一人となった.

▶︎ドナルド・ジャッド

1928年米国 ミズーリ州エクセルシオール・スプリングス生れ.Donald JUDD

アメリカのミニマル・アートの開拓者の一人.もともと画家として出発し60年代のはじめ,ほんの僅かではあったが彼の作品にみられた幻覚的表現の痕跡をぬぐい去るために彫刻に転じた.工業素材を用い,たびたび連続と反復による完全にそのもの自体としか関連を持たない作品を制作してきた.1962年にはコロンビア大学から文学修士号を与えられた.現在ニューヨークとテキサスに在住.

▶︎ソル・ルウィット

1928年米国,コネテイカソト州ハートフォード生れ.Sol LeWITT

1945年から49年までシラキューズ大学に,後年ニューヨークで漫画家・挿絵画家の学校に学んだ.彼の作品と理論は少なからずミニマル・アートとコンセプチュアル・アートの発展に寄与した.彼の絵画が構成主義の影響下にあった60年代の初め,彼は正方形,立方体を多く用いた幾何学的なレリーフ,箱型造形,壁面構成を制作し始め,1965年には最初の開放立方体による三次元の基本単位を作り,まもなくこの基本単位を組み合わせて連続体の作品を構成するようになった.垂直線と水平線と二本の対角線の四方向の線を用いる彼の線描画の基本的原理は1968年に形成され.これが後に壁面線描画に適用されて現代美術の新機軸を開いた.彼がほとんどの場合基本色と黒を用いるのは,重要な要素だけに集中して本質的でないものを取り去るという彼の前提を守るためである.