モニュメンタル・イメージとしての壁

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■《壁撞き(かべつき)》によせて

中村尚明

 自立するガラスの壁に向かって、狼の群れが宙を飛び突入していく。先頭は壁に当たった衝撃で体をくねらせ、むなしく床面に落下していく。群れの終端では、その宿命を知ってか知らずか、なおも何頭かが徐々に歩みを早めて「特攻」の列に加わるところである。

 狼はたぐいまれな跳躍力の持ち主で、集団で獲物を取り囲み、その頭上を仲間が代わる代わる飛び越えて威嚇すると言われている。では《壁撞き》の狼たちは何に向かって跳びあがろうとするのか。壁を越えようとして、距離を測り損ねたのか、それとも壁それ自体を獲物と信じたのか。空中の狼を子細に観察すると、跳んでいるというよりも空を駆けているようにも見える。どの個体も目標を正確に見定めているから、彼等はガラスを壁ではなく、むしろ何かの突破口と考えているのかもしれない。

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 古今の美術家と同じく蔡國強も、過去の美術作品に触発されたり、それを引用したりするが、《壁撞き》についてこれまでそうしたことが語られたことはない。作家に直接確かめたわけではないが、この作品から江戸中期の画家、曽我蒼白(1730[享保15]年−1781[天明元]年)の《石橋図》を思い浮かべる日本の鑑賞者は筆者だけではないだろう。画賛によれば、この風景は中国河南漸江省にある修行の山、天台山の石橋とされる

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 無数の唐獅子たちが、縦長の画面左下にある岩から滝川を跳び越え、右縁に沿って奪える急峻な岩肌にひしかじりつき、競い合い呑めき合ってよじ登り、画面右上の頂から左の崖に向かってアーチ状に伸びる天然の石橋を目指してひたすら駆け上がっていく。橋の中央はか細く滑りやすい。勢い余った先頭の2頭が踏み外して霞深い谷間へと落下していく。それに気を取られた3番手も前足は既に掛かりを失っており、橋半ばにして転落は避けられまい。無事に対岸にたどり着ける者がはたしているだろうか。

 《壁撞き》は2006年にべルリンのドイツ・グッゲンハイムで開催された薬園強のドイツでの初の個展「Head On」のために制作された1点で、同じく狼の群れが渦を作る様を表した火薬絵画《渦》と、先の大戦で破壊されたベルリンのかつての南玄関口、旧アンハルター駅廃墟の隣地に設えられた、小さなドイツ風戸建て住宅を花火で爆破するパフォーマンスを記録した2チャンネル映像《イリュージョンⅡ》と共に展示された。本作の原題Head Onがドイツ語では「壁を指して」と訳されたように、このガラス壁は元々ベルリンの壁(1961−1989)を象徴し、実物と同じ高さ3mで作られた。戦後の東西分断の境界線そのものであった「ベルリンの壁」は、市民の手で撞(つ)き壊される映像が世界中に放映されたことで、冷戦時代の終結を誰の眼にも焼き付ける記念碑的イメージとなった。本来、記念碑が特定の出来事や人物の意義を公共的かつ永久的に、すべての人に繰り返し想起させるための建造物即ち実体であるとすれば、28年にわたりその存在を疎まれ半永久的に立ち続けるとさえ思われた「ベルリンの壁」という実用的構築物が、名実共に実体を失う瞬間にイメージへと転位し、同時に最も拘束力のある記念碑性を獲得したことは注目に値するパラドクス現象である。

 しかしその後のドイツ統一の過程で、旧東西両国民の間の見えない壁の存在が様々な形で意識されるようになった。イメージと化した壁は、祝賀とは対照的に、容易に克服し難い心の障壁と化して再び立ち現れてきた。

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 爆撃と市街戦によってベルリンの地に字義通り焼き付けられた第二次世界大戦の痕跡は、80年代の西側でさえ散見されたが、壁崩壊後は再開発で目立たなくなった。蔡のベルリンでの作品群は確かにそうした土地の記憶を呼び起こす。但し記念碑と呼ぶにはあまりに小さな《イリュージョンⅡ》の家は、花火の18分間の閃光と共に焼失し、その後は目撃者の記憶と映像の中にのみ残存する。壁崩壊の映像の発信地としてベルリンに注目した察の関心は、過去と未来の境界線を目に見えるようにした、「壁」が自ずと実体からイメージヘと転位した稀有の瞬間にあったのではないか。《壁撞き》の99体の狼のフィギュアドイツ銀行所蔵となり、その後ニューヨーク、北京、ビルバオ、台北、シンガポール、ブリスベン、上海、横浜で展示された。ガラス壁は展覧会が終了するたびに壊され、次の会場では若干サイズを変えて新製される。狼の配置も多少変化する。

 本来土地と不可分のモニュメントが場所を移して展示されるという一見奇妙な現象を蔡は、文化大革命時代に毛沢東の意向で多数複製され、中国各地に巡回展示されたプロパガンダ彫刻《収租院》に取材した作品《ヴェネチアの収租院》(1999年)で応用したことがある。1965年、地方政府の発案で、四川省に実在する旧地主邸の中庭に114体の等身大テラコッタ彫刻を配置し、重い地租に喘ぐ農民と、地主の過酷な取り立ての様子を劇的に再現した社会主義リアリズムの立体パノラマ《収粗院》が作られた

 中央政府はブロンズでこのパノラマー式を何組も複製させて中国各地で展示した他、巡回を容易にするため樹脂の複製も作らせた。蔡はヴェネチア・ビエンナーレでこれを部分的に再現するべく、中国から原作の彫刻家をヴェネチアに呼び寄せ、観客の前で同じ農民像を粘土で制作させ、焼成せず生のまま展示した。かつての農村労働の「現実」を人民に想起させることで更なる意識改革を図るためのモニュメント《収租院》は、芸術家を大量動員して複製されたが、蔡はその複製作業をヨーロッパの芸術祭の中に転移させることで、文化的背景を全く異にする観衆に、このモニュメント本来の文脈からは抜け落ちていた中国人芸術家の労働の「イメージ」を提示したのである生の粘土の彫像は保存に耐えず、展覧会期中、徐々に壊れていく。会場での制作プロセスと展示風景は映像や記憶として残存する。ここではモニュメントが完成することなくイメージとして留まることで、原作とは別の意味内容を示しているといえるだろう。

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 世界各地で次々に展示される《壁撞き》の場合、実体であるはずの壁は透明である。叫自立するガラス壁に、かつて既製品を芸術作品へと転位させたマルセル・デュシャンの通称「大ガラス」を想起する鑑賞者もあろうが、ここでは瞬時に記念碑的イメージへと転位したベルリンの壁のメタファーである。それに対して99体の狼のファギュア人間を暗示している。蔡は99という数が「持続性」を、また「完成や完結をはっきり示すことなく先頭を進む」ことを意味すると述べている。そして「群で生活し、純粋さを意味する色の毛皮をもつ狼からは、共同体意識、英雄的精神、そして勇気が放射されている」。ガラス壁の「ミニマルアートのようなシンプルさ」と高度なリアリズムとの対照アントロボモルフを蔡は強調するが、彼の動物による寓意像は、人の形を強いられることなく、動物固有の姿や性質と人の内面とのアナロジーに基づいている。ところで、狼と共に獅子も蔡がしばしば採用する動物のひとつである。2000年のホイットニー・バイアニュアル出品作《あなたの風水はいかが?》は、99体の獅子の石像のインスタレーションであった。石像は販売されるが、作家による設置予定場所の風水チェックで必要性を認められた希望者のみが、周囲の悪影響から持ち主の家を守る獅子像を買い求めることができた。

 謡曲『石橋』では、文殊菩薩の住まう清涼山にかかほうしる石橋が舞台となる。日本から来た寂照法師(じゃくじょう)が渡ろうとしたところを、樵夫(しょうふ)が現れて人間の渡りうる橋ではないと制止する。法師が留まると、やがて文殊菩薩に仕える獅子が現れ、紅白の牡丹に戯れつつ舞を披露する

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 蔡の獅子像と、謡曲『石橋』の獅子の役割は似ている樵夫を獅子の化身と見なし得るならば、さらに私たちは、蒼白作〈石橋〉の獅子の一頭があの橋を渡りきった姿をそこに重ねて見たい。蔡は、「見える壁は壊し易いが、見えない壁を崩すのは難しい」と語った。そうであれば《壁撞き》の狼の一頭がいずれ私たちの前に現れ、私たちが未だに知らない、いかなる壁も存在しない世界を見せてくれることを期待したい。

(なかむらなおあき横浜美術館主任学芸員)