
1956年から読売アンデパンダン展に出品。1957年、1960年、「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年、高松次郎、中西夏之と「ハイレッド・センター」を結成。1965年、千円札の表を原寸大に印刷した作品が「通貨模造」の容疑で起訴され、1970年有罪確定。同年、『オブジェを持った無産者』を刊行。1978年、最初の小説『レンズの下の聖徳太子』を発表。1979年、『肌ざわり』が中央公論新人賞を受賞。1981年、『父が消えた』で第糾回芥川賞を受賞。1986年、藤森照信らと「路上観察学会」を結成。1995年、名古屋市美術館で「赤瀬川原平一脳内リゾート開発大作戦」を開催。
