蒼風コレクション

■蒼風コレクション

 道の概念を打ち破り、書や彫刻の分野でも多くの傑作を生み出し、海外で「花のピカソ」と 称された草月流の創始者、勅使河原蒼風(1900-79)。いけばなの世界での活動のみな らず、当時の才能あるアーティストと広く交流し、古代から現代まで、個性豊かな名品の数々 を収集しました。審美者としての蒼風のまなざしを通して収集された、一般社団法人草月会の 所蔵する多くのコレクションである。

 彼の鋭敏多欲な触手は、造形芸術のほとんどあらゆる領域におよんでいたといえる。それらをつらぬいて神話的、バロック的な饗宴の世界が蒼風のきわだった特徴をなすとみられているが、その背後に禁欲的なまでにきびしい構成への意志や、繊細優美な抒情的感覚もひそんでいたことはみのがせない。

 蒼風コレクションはまことに幅ひろく、アフリカ、メキシコ、インカ、マヤ、エトルスク、キプロス、シシリー、インド、朝鮮などにおよび、アルカイックないしプリミティヴとよばれる芸術が、現代芸術にあたえた衝撃の大きさをしのばせる。日本の古美術では、縄文、弥生の土器や埴輪から木彫の仏像を経て、伝徳川家光、白隠、仙岸、乾山らの絵、池大雅の書、あるいは常滑や古瀬戸の陶器におよぶまで、得がたい逸品が多く、ほかに中国の八大山人の書、明の青花魚藻文盤もある。

 近代および現代美術のコレクションだが、そこには大別して三つの蒐集動機がふくまれているようだ。第一に、近代美術の古典とよぶべき作品で、作者への傾倒とみずからその系譜につながる自覚から購入されたもの。第二に、作者との出会いや親交をとおして、芸術運動をともにになう仲間としての共感から購入されたもの。第三に、比較的若い作家たちの作品で、その方向を奨励し鼓舞するパトロン的意識から購入されたもの

 むろん、この三つの系統はみわけがたく混在しているが、そこに蒼風が徒手空拳、草月流を創始して以来、いけばなと諸芸術の垣根をうちやぶり、戦前はシュルレアリスムに接近し、戦後は抽象表現主義、アンフォルメルの運動の国際的な旗手となり、さらに草月アート・センターを設立して前衛芸術の拠点をつくりだした、歴史が反映している。

■草月アートセンター/Sogetsu Art Center

 草月会館において、1958年9月に映画監督の勅使河原宏によって設立された組織であり、60年代を通して日本国内の前衛 的な芸術・文化を牽引する中心的な存在となった。現代音楽、ジャズ、映画、実験映画、アニメーション、演劇、ハプニングなど、きわめて幅広い領域にわたる イヴェントを草月会館、および外部の会場において開催し、機関誌『SAC』を刊行した。音楽については、その始まりからジャズと現代音楽を取り上げてい た。61年以降は実験音楽にも力を入れ始め、「グループ音楽 第一回公演 即興音楽と音響オブジェのコンサート」(1961年9月)や、「ジョン・ケー ジ、デイビッド・テュードア演奏会」(1962年10月、64年11月)を催している。

 ダンスでは「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー来日公演」 (1964年11月)を催している。ハプニング・イヴェントとしては「Expose’68 なにかいってくれ、いま、さがす」(1968年4月)を催して いる。アニメーションについては、60年よりアニメーションを取り上げ、「三人のアニメーション」(1960年11月、12月)を継続して催し、64年以 降は「アニメーション・フェスティバル」(1964年9月、65年10月、66年10月)を開催している。映画については、その始まりから上映会(シネマ テーク)を継続させており、早い段階から劇映画、実験映画、ドキュメンタリーなど、さまざまな映画の紹介を行なっていた。

 

 そして「世界前衛映画祭 映画芸 術の先駆者たち」(1966年2月)を大々的に開催し、数多くのアヴァンギャルド映画を上映する。66年から67年にかけては、「アンダーグラウンド・シ ネマ 日本―アメリカ」(1966年6月)、「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」(1967年3月)を開催し、アンダーグラウンド映画を紹 介する役割を果たす。それは公募による「第1回草月実験映画祭」(1967年11月)、「フィルム・アート・フェスティバル1968東京」(1968年 10月)の開催に繋がっていった。しかし、翌年の「フィルム・アート・フェスティバル1969東京」(1969年10月)では開催当日に造反グループの乱 入事件が起き、フェスティバル自体が中止となってしまう。この事件により日本の実験映画の運動は打撃を受けた。71年4月にセンターは解散した。

■コレクションの作品群