名護市庁舎

■名護市庁舎

■沖縄における建築とは何か

 市庁舎はどうあるべきかという,コンペの課題に対して,次の様なテーマを設定し,それから形姿としての解答を導き出した.

◆新しい市庁舎のあり方を求める.

 庁舎が真に市民に対して開かれたものであるためには,使う人々の生活環境との連続性を確保しなければならない.前面の芝生の広場から,テラス,ロビー,事務案へと,内と外を連続させる.広場や各階にあるアサギ・テラスは,いつでも,だれでも利用できる空間とする.庁舎の中に,街の一部が入り込むのである.

◉共同設計   アトリエ・モビル/象設計集団

◉所在地    沖縄県名護市

◉構造・規模  SRC造3階建

◉竣工     1981年6月

▶︎コンペ設計案(平面図 立面図)

▶︎本設計図面(立面図・平面図)

▶︎沖縄の気候,風土を捉える

 亜熱帯特有の気温,湿良 風の強さや向き,光の強さ,光の射し方,陰のでき方などをデータとしてだけでなく体で感じとることが必要である.街の中を歩いていると,快適な環境をつくるための工夫や知恵を発見することができる.それらをうまく建物の中に生かすことが重要である.アサギ型ルーバー,花ブロックのスクリーンなどによる遮光,最上階の土による断熱,風のみちによる通風,夜の放熱などの工夫、これらは,地域の持つ潜在的な資源の活用である

◆沖縄の質感を表現する

 農村や都市は,コンクリート,コンクリートブロック,土,木,緑などの素材によって覆われている.それらの混在した沖縄の質感を映し出すこと.戦後,ものすごい勢いで普及したコンクリート・ブロックを主な材料とし,その多様な促し一方を学ぶこと.それは,圧倒的量で,都市を埋めている材料であり,その技術は極めて進んだものがある.

 柱のブロック,花ブロック,平板ブロック等の使用は,その技術的ストックがあってはじめて可能であった.名護市庁舎は,竣工後4年を経て,真の意味で地方自治の拠点として生きつづけ,風景の中に溶け込んでいる

 使われ方について大切なことは,学校とは,市庁舎とは,住宅とは,コミュニティーセンターとは、どんな人が何をする所だろうかと,初めから考えなおすことです。使う人達の顔を見て話を聞くことてすそして本当にその目的にふさわしい,真に人間的な空間を追求し、提示することです。人間の行為は多様です。行為を限定して箱に閉じ込めるのはやめましょう。人々の創造的な行為をひき出すような空間をつくる。

 アサギ・テラスはもうひとつの執務室です.日陰が落ちて涼しい風が通り抜け、時には内よりも快適な執務室です.ここではまた,町の人達が憩い,交流がまれます. お祭りの時には広場を見下す観客席です.一日の仕事が終わっ事務室に鍵がかけられてからも,日曜日でも、アサギ・テラスはいつても誰で入れますスロープをゆっくり上がって3階のテラスまて行けば,夕日に輝く名護の海が眼の前に広がります. そしてふりむけは我が町です。

■象設計集団+アトリエ・モビル「名護市庁舎」東京テレビ・美の巨人・放映される。

 市の中心部にある『名護市庁舎』。訪問者を迎え入れるのは、睨みをきかせる沖縄伝統の魔除けシーサー。ピンク色のブロックが多用された独特すぎる造形と色彩が眼前に迫ってきます。さらに市役所らしい内観と思いきや、柱がシマシマでちょっとシュール…。建物の裏側は東南アジアの古代遺跡のような佇まいをしています。それはまるで、現代のオフィスとどこかの神殿が異次元で交わってしまったよう…。それらは“陸のサンゴ礁”と評され、建築学会賞を受賞した名建築です。

   

 昭和47年沖縄返還による本土復帰に伴い、名護市で新庁舎の建築計画がスタートし、完成は昭和56年。コンペを勝ち抜いたのが、象設計集団+アトリエ・モビル、通称「象グループ」が提案した異形の市庁舎。彼らは地域の環境を生かした、開放感のある建築が特徴の現役の設計者集団です。市庁舎に求められたのは「外に向かって沖縄を表明する市民のための市庁舎」。建築家たちは沖縄中を歩き回り、ヒントを探したといいます。

 

 建築界に突如現れた異形の公共建築。しかし完成までにたびたびプラン変更が発生し、役所側と建築家の間でかなりの議論があったといいます。そんな中で完成した市庁舎…そもそもなぜ、こんな形になったのでしょうか?メインコンセプトの“アサギテラス”とは一体?さらにピンクのブロックにもある秘密が…!
建築家集団が貫いた情熱と企みの道のりをたどります。