美術作家情報2016〜2018
美術作家情報2016〜2018
コンテンツへスキップ
ホーム
建築
ローマ帝国と土木コンクリートの歴史
古代ローマライブラリー
茅葺の民家・茨城県
日本現代作家
宮島達夫
山下菊二
石田徹也
石田徹也・ノート
石田徹也とその時代
日本近代作家
川瀬 巴水
萬鐵五郎・2017展
1885-1911出発
1912-1913 挑戦
1914-1918 沈潜
1919-1927 解散
美術評論
二科展の歴史
有朋自遠方来
筑波大学関連作家
西洋美術展
ジャコメッティ
ボッティチェリ展
ルーヴル美術館展
二科展の歴史
文部省美術展覧会(文展)の監査に不満を抱いた一部の洋画家たちが、新旧二科制度を文部省に願い出ますが聞き入れられず、ついに文展を離れ在野の公募展を立ち上げた。
そうして結成された
「二科会」は、1914年10月1日に上野竹之台陳列館で第1回展を開催
。以来、はじまった二科展は、
サロン・ドートンヌとの交換展
、
在外作家制度
など、海外の新しい美術動向に積極的な姿勢を打ち出し、文展とは異なる路線を歩み始める。
アカデミズムと対極の場で、二科会が果たしたその役割は大きく、アクションや独立美術協会をはじめ、二科会から数多くの運動や分派がうまれた
。1935年帝展改組により一部の創立メンバーが帝国美術院会員となった際には退会を促されるなど、二科会の画家たちは在野であることにこだわる。
その後、戦争へとむかう時代の流れのなかで、二科会はついに
1944(昭和19)年解散を余儀なくされた
ものの、再結成後はパリ、メキシコ、ロシアなど海外での展覧会開催や、社団法人化(現在は公益社団法人)、絵画、彫刻以外のデザイン、写真の分野への拡大を図るなど、更なる発展を目指して今日に至る。
1
00年もの長い期間、美術家たちの切磋琢磨する研鑽の場として続いた二科展
について語られる作品やエピソードは尽きません。在野公募展の雄として、二科展は今もなお、その一貫した歩みを続けている。
今回の二科100年展では、常に時代を先取りしてきた二科展の100年の歩みを草創期、揺籃期、発展そして解散、再興期の4期に分け、あらためて明らかに。それはまた、日本近現代美術史における二科展の意義を浮き彫りにする。
【1】草創期
1914(大正3)年10月、石井柏亭、山下新太郎、有島生馬、坂本繁二郎、梅原龍三郎、津田青楓、斎藤豊作ら
11名を鑑査委員とし、上野竹之台陳列館で第1回展が開催される。彫刻部は第6回展から新設された。
【2】揺籃期
1920~30年には
神原泰や中川紀元
が中心となったアクションをはじめ、
里見勝蔵、小島善太郎
らの結成した1930年協会、
児島善三郎
らひきいる
独立美術協会
など、二科会で活躍する画家たちによる運動や分派がうまれる。
【3】発展そして解散
1934年に
藤田嗣治を迎え入れた二科会
は、さらなる発展を遂げ、
藤田、東郷青児を顧問に据えた九室会
なども結成される。1935年には石井、有島、山下ら一部の創立メンバーが二科会を去り、
1944年ついに
二科会は解散へ
。
【4】再興期
戦後、いちはやく動いた
東郷や、高岡徳太郎
らが中心となって二科会は
再結成
される。海外進出、社団法人化など、再興するためのさまざまな工夫がなされて今日に至る。
Top