ボッティチェリ展

■線の芸術

東京都美術館

 イタリア・ルネサンスを代表する画家、サンドロ・ボッティチェリの日本初の大規模回顧展が16日から東京都美術館で開催される。ボッティチェリはビーナスや聖母を描いた画家として知られるが、聖人らを描いた宗教画、神話や寓意(ぐうい)に主題をとった物語画高貴な人物の肖像画など、幅広い主題を手掛けた。晩年にはログイン前の続き人物の配し方やプロポーションが変化するものの、ボッティチェリ作品の特徴である装飾的表現と、線による繊細な描き方の作風は生涯かわらなかった。四つのジャンルにわけて主な出品作品を紹介する。

■物語画

アペレスの誹謗

パリスの審判

 ギリシャ・ローマ神話や古代文献から主題をとった作品も数多く制作した。15世紀後半、教会などの注文による宗教画と比べて、神話や物語を描いた作品は主流ではなく、主に貴族の館や私室に飾られた。教養があり神話や古典を理解して楽しむ洗練された趣味をもっていたメディチ家などが主な注文主であり、彼らと親交があったボッティチェリには、そのような世界を理解して描くことができるだけの教養があった。

 「アペレスの誹謗(ひぼう)」は、古代ギリシャの画家が描いた現存しない作品についての記述をもとに、その作品の復元を試みた、晩年の傑作。「温和なミネルウァ」は女神パラスを描いた、ボッティチェリとその工房の下絵に基づき制作されたタペストリー。ボッティチェリは工芸品や装飾美術のための下絵も提供していた。

■聖母子像

聖母子

 聖母子はビーナスと並んで生涯繰り返し描いた重要な主題。14世紀ごろまでの聖母子像では硬い表情で描かれていた聖母マリアを、魅力的な一人の女性として描き、そこに理想の美を追求した。

バラ園の聖母

 ボッティチェリの描く聖母は金髪の長い髪で面長。光輪や衣服、周囲に描かれた花や果物などに装飾性ときわめて緻密(ちみつ)な描写がみてとれる。特に円熟期の傑作「書物の聖母」では、金箔(きんぱく)やラピスラズリなど高価な素材が多用されている。「バラ園の聖母」は自分の工房を構える前に制作された初期の名品。遠近法的に描かれた大理石の床面などに師フィリッポ・リッピの影響がみられる。

■宗教画

ラーマ家の東方三博士の礼拝 Sandro_Botticelli_083

 聖母子や聖人を主題とする宗教画は当時のキリスト教社会では最も重要なジャンルであり、小型の聖母子像から大規模な祭壇画まで多くの注文があった。宗教画のなかでも、ボッティチェリは、東方の3人の賢者が生まれたばかりのイエスの礼拝に訪れるという場面をたびたび描いている。

 「ラーマ家の東方三博士の礼拝」は、メディチ家の人々や、右端にボッティチェリの肖像画が描きこまれているといわれ、この主題を描いた作品の中でも最も名高い。「書斎の聖アウグスティヌス」は、後にボッティチェリが埋葬されることになるオニサンティ聖堂内に描かれた聖人画で、この作品の成功により信用と名声が高まったと言われている。

■肖像画

胸に手をあてた若い男の肖像美しきシモネッタ

 メディチ家の庇護(ひご)を受け、画家として成功していたボッティチェリには多くの肖像画の注文があった。

 伝統的に横顔で描かれていた肖像画は、15世紀後半には、正面か斜めから描かれることが主流となる。ボッティチェリの描いた男性の肖像画はほぼ正面で描かれているのに対し、女性の肖像画は横顔が多い。伝統的な横顔の形式を採用することで、女性の顔立ちの美しさを描き出すとともに、高貴な身分であることを示す演出の意味もあったのであろう。「美しきシモネッタの肖像」は、フィレンツェ一の美女とたたえられた女性を描いたと言われており、豊かな金髪、衣服のひだやレースなど、繊細な描写が際立っている。

■師弟・ライバル、人気競う

幼児キリスト リッピの聖母子

●フィリッポ・リッピ

 ボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピは、聖母マリアとキリストを優美で可愛らしく、感情あふれる生き生きとした姿で描いた画家として知られる。慈愛に満ちた表情でキリストを抱く半身の「聖母子」の構図や、少女漫画的ともいえる作風は、ボッティチェリの作品にも受け継がれている。カルメル会修道士であったが、人気画家として多くの弟子を抱える工房を構え、数多くの祭壇画や壁画を制作した。

●フィリッピーノ・リッピ

 フィリッポ・リッピが司祭職を務めていた女子修道院で修道女ルクレツィア・ブーティを見初め、2人の間に生まれたのがフィリッピーノ。一時期、ボッティチェリの工房にいて、初期には区別がつかないほどボッティチェリに似た作品を制作した。「幼児キリストを礼拝する聖母」はフィリッピーノが独立したばかりのころに描いており、草原に描かれた草花が「春」を思わせるなど、ボッティチェリの影響が顕著な作品。やがて独自の表現を見いだし、ボッティチェリに並ぶ人気の画家となった。

■フィレンツェのうつろいたどる 

●日本側監修者の小佐野重利・東大教授

リッピ親子とボッティチェリ

 ボッティチェリの作品は、その人気からそもそも美術館の貸し出しのハードルが高く、今回は同時期にヨーロッパ2カ所で展覧会が企画され、ライバルも多かった。日伊修好通商条約150周年の記念として、イタリア外務省や大使館の支援も頂き、今後何十年と日本では見られない規模の展覧会が実現しました。

 展示は4部構成です。第1章は、ボッティチェリを庇護(ひご)したメディチ家が世界中から集めた芸術品コレクションなどを紹介します。冒頭には、ルネサンスを花開かせた「豪華王」ロレンツォ・イル・マニーフィコらメディチ家の人々が描かれた、ボッティチェリの絵画「ラーマ家の東方三博士の礼拝」(1475~76年ごろ)を配置しました。

 メディチ家は、ロレンツォの弟が暗殺された事件「パッツィ家の陰謀」(1478年)の頃、経営する銀行が破綻(はたん)し経済的に傾き始めます。また、ロレンツォは修道士サボナローラをフィレンツェに招きますが、彼は後にメディチ家の豪華な生活を批判し、同家がフィレンツェから追放(1494年)された後は神権政治を展開し、ボッティチェリも彼に傾倒します。展覧会では、「パッツィ家の陰謀」やサボナローラの姿を彫ったメダルも展示し、芸術品からメディチ家の栄華と没落をたどれます。

 第2章は、ボッティチェリが弟子入りしたフィリッポ・リッピの初期作品を紹介。彼は聖母子を自然主義的に描いた画家ですが、ボッティチェリが自分の工房を構える直前に描いた「バラ園の聖母」(1468~69年ごろ)と見比べ、影響が探れるようにしました。

 ボッティチェリ自身の作品を紹介する第3章。人物の表情に硬さがある「マッツォッキオをかぶった若い男の肖像」(1470年ごろ)などから、独特の優美さがある70~80年代、サボナローラに傾倒した後の宗教的な感情を表現する晩年へと20点を超す作品で、画風の移り変わりが分かります。

 第4章はフィリッポ・リッピの息子で、ボッティチェリに弟子入りしたフィリッピーノ・リッピの作品です。彼もサボナローラに影響を受けた作品を残しており、サボナローラの影響力の強さを感じられます。

 3人の絵をたどると、フィレンツェの時代のうつろいを知ることができるのです。

■濃密な感情伝える「聖母子」 

■「聖母子(書物の聖母)」所蔵、ポルディ・ペッツォーリ美術館のアンナリーザ・ザンニ館長

 この聖母子は、中世の絵画のように、金地を背に厳かに立ってはいません。我々の手が届かない聖人の姿としてではなく、ある家庭の日常の一コマのように、人間らしく描かれています。母子の視線は交わっていないけれども、感情は呼応している。悲しみをたたえた視線を、息子が持つ「受難」を象徴する釘とイバラの冠に向けるマリアは、子の運命を悟って苦しんでいます。キリストはほほえみながら、そんな母に対し、自らの使命の意義を語り、慰めているのでしょう。

 絵には、ボッティチェリが積み重ねた技術上の経験が詰まっています。

 調和の取れたピラミッド形の構図の頂点にマリアの顔があり、見る者の視点を誘いつつ、絵が伝える濃密な感情の高まりを集約しています。音楽的な滑らかさがある線、窓から流れ込む光の描写、金の使い方も素晴らしく、「自分はいくらでも表現できる」という自信が伝わってくるよう。イタリア・ルネサンス絵画の傑作といえるでしょう。(構成・丸山ひかり)