






2004年頃の作品に《迷子≫があります。石田の「自画像」である男性が服をたくし上げ自分の体に印された地図を示しています。男はそれを読み取ることができず、迷子となっています。自分の体は文字通り距離零の地点です。隔たりがなければものは見えません。よって男は地図を読むことができないのです。地図にほ男の行くべき場所、あるいは帰るべき場所が記されています。この地図が読めれば男は、どこから来てどこに行くのか、ひいては自分が何者なのか知ることができます。これは私たちすべてに共通する謎です。私たちは自分が何者であるのか知らされていません。しかし、謎に対する答えはすでに自分自身に書き記されているのです。果たして読むすべはあるのでしょうか。距離零の、いわば対象となしえぬものをいかに読み解くか。地図はそもそも体に印されているのですから、こちらが読もうとせずとも何らかのサインを送ってくるはずです。送ってこなければ送るように促すこともできるはずです。そのサインとは「痛み」に他なりません。石田はそのことに気づいていました。地図はまるで刺青のように体に印されています。これは一種の傷です。「痛み」によって地図は道筋を際立たせます。石田は「痛み」を感知することにより己の地図を読み解きます。石田にとってその具体的な方法は絵を描くことに他なりませんでした。読み解くことにより、石田は生と死についての秘密を知ろうとしました。その一部は作品となって明るみに出され、私たちに提示されています。