石田徹也・ノート

l「痛み」としての地図

江尻潔(足利市立美術館・学芸員)

「痛みとは何でしょうか。耐え難い痛みは、ときとして意識を麻痺させますが、痛みは生きている証であり、命を保つべく体が引き起こす反応です。痛みがあるからその部所糊らかとなり意識に昇ってくるのです。精神的な痛みも同様です。日常生活のなかでふだん意識されていない心の傷がふいに蘇ってくることがあります。痛みによって心の傷が明るみに出ます。傷により日常に亀裂が入り、何かに躓(つまず)く場合がありますが、それは一種の危険信号であり、傷に向き合う必要があります。そもそも私たち生まれ出たこと自体、傷を負うべく宿命づけられています。母胎から下界に出た恐怖を記憶していたとすれば、耐え難い痛みとなるでしょう。それを回避すべく痛みは私たちの記憶から消されています。しかし、傷が全くなくなったわけではありません。それは潜在意識となって心の奥底に澱(おり)のように沈殿しています。潜在意識はときたま夢のなかで意識の上澄みに昇ってきます。夢によって痛みが解放され、傷が存在を主張します。トラウマ(精神的外傷)とトラウム(夢)は、語源は異なるそうですが、響きが似ており、関連づけたくなる衝動に駆られます。心の傷を自覚させるために夢は機能します。さまざまな抑圧により生じた傷を痛みによって意識させます。この機能は芸術作品にもあります。芸術には病みを引き起こし、日常のまどろみから生を掬(すく)いあげるたらきがあるのです。つまり、痛みよって生きていることを実感させるわけです。

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 石田徹也の作品はまさに痛みを自覚させる夢のはたらきをもっています。実際彼は二十歳のころから夢日記をつけており、作品の中には夢で見た情景を主題にしたものもあります。もっとも、石田の場合、夢よりも自由なイメージの放出のほうが重要でした。石田の言葉を引用します。

 目をつむった時に、流れてくる、意味のない映像が最近面白く感じる。深い睡眠中の夢よりも面白いとさえ思う。全く出所がわからないものを見せてくれるし、もっと自由な気がする。

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 これを見ると石田は意識的に操作することなく自由に「映像」を瞼の真に流すことのできる特殊な能力をもっていたことがわかります。おそらくこれも夢とは無関係ではなく、長いこと夢を意識し、記録する修練により身につけたものだと思われます。彼は、「自由な気がする」と述べていますが、これはコントロール可能であるという意味ではないことは明らかです。自分の描きたい方向にそって湧き出るもの、よって夢以上に豊かなインスピレーションをもたらすものといった意味でしょう。そうした意味でイメージは彼にとって自由な「夢」だったのです。現在残っている石田の19冊ものアイデア帖、28冊のスケッチブック、作品ファイルやスクラップブック等4冊は、作品の元となったイメージや夢の記述、ヒントにした写真などがあふれています。また、制作に対する考えもその都度記されており、文字通り第一級の資料です。では、石田の自由な夢、イメージとはどのようなものだったのでしょうか。1998年頃のノートには次の言葉が記されています。

■不気味なもの・・・抑圧を経て、回帰してきた、慣れ親しんだ対象

 この言葉は明らかにフロイトの『不気味なもの』からの引用です。石田はこの言葉のあとに「参考にしている言葉です。身の回りの対象を発想に成長させる。できてきたものは、ギャグや皮肉、ユーモア、自嘲と様々です」とつづけ、フロイトの言葉を重視し、自身の方法論として援用していることがわかります。フロイトはハイムリッヒなもの(慣れ親しんだもの)がウンハイムリッヒなもの(不気味なもの)に移行する理由として、なじみのものが抑圧されて疎遠になっていったためとしています。また、フロイトは「自我が外界やその他の自我と明確に区別されていなかった時代に退行すること」によって引き起こされる「自我障害のモチーフが、不気味なものという印象を生みだす」と述べています。去勢コンプレックス母胎還帰の願望といった成長段階における精神的外傷(トラウマ)をもたらすものが不気味なものとして回帰するのです。

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 石田の場合、成長段階における外傷もさることながら社会に出ることにより生じたさまざまな傷が作品のモチーフとなっています。一言でいうならば自己疎外による傷です。石田は別のノートで再びフロイトの言葉を引用し、そのあとに「不気味なものを考えることは、身近な事物に対する抑圧を考えることになる。どんな抑圧があるのか考える」と記しています。石田は自分を不安にする事物を確認していきます携帯電話は絶えず自分に命令するものとして、遊具は陳腐な与えられた夢による束縛を想起させるものとして現れます。

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 学校生活に関するものも多くみられます。校舎は彼をがんじがらめにとらえており、顕微鏡は生徒の内面を教師に露呈させます。このようなさまざまな事物は、すべて見慣れたものです。それが抑圧を経て回帰しています。これらは一見してユーモラスであり、「不気味なもの」というよりむしろ「痛みを生じさせるもの」といったほうが良いかもしれません。

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 では、なぜユーモラスなのでしょうか。それは石田の分身である「自画像」が描かれているからです。抑圧され疎遠なものとなっている最も身近で慣れ親しんだものとは他ならぬ自分自身なのです。石田の場合、疎外する側も疎外される側も自画像で描かれているものがあります。つまりどちらも抑圧されているわけであり、これらは多かれ少なかれ私たち自身なのです。皆いつの間にか本来の自分を見失って、疎外したりされたりしています。自己啓発を提唱したところでそもそも自分を見失っているのですから無理があります。石田の一連の作品は自分自身を含めて風刺するという諸藩性に富み、そこにユーモアが生まれているのです。

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 器物と一体化している人体は「外界と明確に区別されていない」状態とみなすことができますが、石田の場合単なる退行ではなく、器物とひとつになることにより、痛みの所在を明らかにし、さらには新たな痛みを自身に書き込んでいるようにもみえます。石田はこれらの「自画像」作品により制作の方向性を見出しました。

1999年のノートに次の言葉があります。

 自分自身という砕から消費者、都市生活者、労働者へと拡がってきた自分の感心は社会問題も意識するようになった。強く感じることのできる○(ママ)は、人の痛み、苦しみ、不安感、孤独感などで、そういったものを自分の中で消化し、独自の方法で見せていきたい。石田は「自画像」作品が、「観賞者が現代や社会、価値について見回す機能をもつと信じる」と自負しました。それは、いわば「自画像」を窓にして、あるいは「自画像」の立場に立って現代社会を見るよう鑑賞者にうながす機能です。当然、これらの作品は単なる自画像ではなく社会性を帯びたものとして石田自身にも立ち現れてきます。それ故、他者の痛みや苦しみ、不安感をも消化しなくてはなりません。消化することにより石田は「痛み」を共有し他者とつながろうとしています。しかし、これは困難を伴うことでした。別のノートには次のようにつづられています。

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 何を描こうか、考えるとき、目をつぶり、僕自身の、生まれてから、死ぬまでをイメージする。しかし、結果表れてくるものは、人や、社会の痛み、苦しみ、不安感、孤独感などで、僕自身をこえたものだ。それを自画像の中で描いていく。昨年出品したものと比べると、ギャグ、ユーモア、風刺とうけとめられるというものをなくす方向にきています。

 自分自身の砕から出た場合、どうしても痛みや苦しみは自身を超え出たものにならざるをえません。石田はこの難問に比較的早い時期からぶつかっていました。自分の経験外の痛みをどう引き受け、いかに描けばよいのか。石田は「聖者のような芸術家に強くひかれ」ました。

 「一筆一筆置くたびに、世界が救われていく」と本気で信じたり、「羊の顔の中に全人類の痛みを聞く」ような人達のことだ。自分は俗物だと思い知らされます。

 この思いのもと、石田は身を切るような鋭い痛みを自身に課していったのではないでしょうか。1999年頃から、親元からの仕送りを断ち、質素な安アパートを借り、工事現場などの日雇い就労で生活費を稼ぎ、ひたすら制作に没頭しました。労働者派遣法により派遣や日雇いなどの労働形態が波及し、労働者にとってますます過酷な状況が到来した時期です。石田は自身に試練を与えるべく、厳しい環境に身を置きました。

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 この頃より作品に変化が現れます。石田の分身としての「自画像」の表情は虚ろとなり、以前のスーツ姿から普段着や裸体となります。また死や破滅とならんで幼児のイメージが頻繋に現れます。死は、病人や病院としてイメージされます病人はボンコツの車両として描かれています。それは、まるで車を修理するように治療する現代の医療に対する批判としてとらえることができます。《彼方≫(1999年)では、もう治る見込みのない老人が不法投棄された廃車として荒涼とした風景の中に描かれています。

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 《子孫≫(1999年頃)ほ病院を舞台とした作品中、最も複雑です。この作品をくわしく見てみましょう。≪子孫≫は、1997年1月28日に見た夢を元にしています。制作より2年も前の夢であり、よはど印象深かったことがわかります。少々長くなりますが夢の記述を引用いたします。

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 1/28日僕はまどの下に川のある部屋から外をみていると、向こう川の土手で女の人(グレーのシルク地の服、1900年頃の服をきている。第一次世界大戦のような人)が、股を広げている。羊水というのか出産の時に出る水のような物といっしょに、わにが出てきた。しっぽから出てきたのであっ逆子だ!と思っているともうそのわには死んでいて、くさっているのだ。ぶにょぶにょにふやけたわに。ぶにょぶにょにふやけたワニはくさっている。僕のうしろに誰かがいて中を見てごらんという。僕へ性教育してくれるつもりらしい。ぼくほ、見たくないのだけど、わにの腹をあけると、ティラノザウルスの子供のようなのがいる。まだ生きている。ワニは、たんなる子宮のようなものだったのだ。ティラノザウルスはかんてんのように出来ていて、全てがぶにょぶにょしていて、のうみそが、すけている。そして、僕に性教育してくれる人に言われるとおり、ティラノザウルスの皮をめくると、人間の赤ん坊がいる。生きている、そして、そっともとにもどすとティラノザウルスは、長い舌を出しながら、よだれを流しながら、ぴょんぴょんはねて、向こう側にいってしまう。(中略)そこは、未熟児のベッドが並んでいるのだがそこへティラノザウルスはつれていかれる。とりあえずは、今日、ベッドにねかせて、明日そのまま、焼却炉へ連れていくらしい。とても、悲さんだ。(後略)

 《子孫≫は、このなんとも気味悪い夢を再現しています。ただ女は例によって壊れた車両で表現されています。赤ん坊は石田自身と思しき男性の手を握っています。ここでは母なるものと幼児が抑圧を経て再び回帰した不気味なものとして描かれています。母なるものの表象は車両ではなく死んだワニです。生命の根源であるとともに死をつかさどる原母(女性器)として恐ろしくイメージされています。赤ん坊は新たな命ですが、この得体のしれぬところから生まれています。よって赤ん坊は恐竜の皮膜でつつまれているのです。しかも、未熟児でこれから無事に育つか危ぶまれます。赤ん坊は、石田の手をつかみ、育てるよう目で強く訴えています。石田は当惑した面持ちで赤ん坊と目を合わせていません。この夢は石田自身の痛みの所在を明らかにしています。それは生と死に印された痛みです

 この作品の中で生と死が激しくぶつかり合っています。エロス(生・性)とタナトス(死)は普遍的な欲動であり個を超えて他者の痛みと通じています。生と死を描くことは、自身に限らず、すべての人々の痛みを引き受けることになります。石田はここに先述の難問に対するひとつの打開策を見出しています。以後の石田の作品には原母をはじめとする死と、幼児に象徴される生のモチーフが頻繁に出てきます。幼児は可能性であり未来です。石田は、幼児がうまく育つか育たないかに自身を賭しています。しかし、これは文字通り命がけの作業です。その後の石田はいわば生と死のあいだでゆらぎつつ制作しているのです。

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 消防士が登場する作品が2点あります。ふたつとも2000年頃に描かれ、≪無題≫というタイトルですが、対照的です。どちらも死の側から生の側への救済が主題となっています。一方は成人の消防士と二人の子供が心配そうに手を差し伸べて救い出そうとしています。もう一方は無表情な二人の消防士がそれぞれ裸の赤ん坊を抱いていますが、しゃがんだ消防士は、今にも赤ん坊を手放しそうです。ここではせっかく救出した赤ん坊をみすみす失おうとしています。赤ん坊を未来の可能性の表現とするならば《子孫≫と同様、将来や生に対する作者の戸惑いを読み取ることができます。しかし、2003年に描かれた《リハビリ≫を見ても分かるように、やがて幼児は石田の導き手としての役割を果たすものとして明確に位置付けられます。ここに幼児に対する石田の意識の変化が現れています。

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 石田は何かに気づいたようです。次にこのことについて考えてみます。 まず、2001年の《前線≫を見てみましょう。ベンチに所在なく座る石田をまるでかばうように幼児が両手を広げています。ここで注意したいことは幼児の顔が大人びていることです。子供なのになぜこのような顔立ちをしているのでしょうか。この謎を解く鍵は《文字≫(2003年頃)にあります。病院のベッドと思しき上に石田が全裸で横たわっています。入れ子式に体が幾重にも描かれ一番芯となっている白い人体が半身を起こしています。左から伸びる枝とあいまって人間にも年輪があることを示唆します。だとすると芯になっている白い人物は幼年時代から変わらぬ石田の魂を表していることになります。この人物は紙を持ち何かを読んでいます。一方、一番外側の人物はペソとノートを手に眠っています。夢の中で魂の読み上げる声を聴き、目覚めてから記そうとしているのか、あるいは、成人した石田の書き記したものを夢の中で魂が読み取っているのか、いずれにせよ潜在意識との交流を表現しています。ふたたび注意したいのは、この魂というべき人物の顔が成人の石田と同じかむしろ老いて見えることです。ここには老賢人のイメージがあります。老賢人はときとして永遠の少年のイメージでも現れる集合的無意識の原型のひとつです。精神の危機や人生の岐路にあたり当人を護り知恵を授けるはたらきがあります。《前線≫の幼児も、護るはたらきをなすものとして大人びた表情をしていたわけです。《子孫≫の赤ん坊は、石田に受け入れられ、明らかに成長を遂げています。

 しかし、成長は一筋縄ではいきませんでした。石田は無表情な顔面がいくつも耽(ふく)れていくイメージを作品化し、日常の抑圧に対時します。《ジーンズ原画≫との関連の強い所在不明の≪無題≫を見ると日々を生きるためにかぶっていた「仮面」としての顔がタオルに転写され流されています。顔はすべて同じであり、昨日も今日も変わりばえせぬ日常が想起されます。これは日常における小さな死です。

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 この顔面は2004年頃の《無題≫(にも描かれています。ベッドの上に洪水の光景が重ねられ、泥水の中に多くの顔が水死体のように流れています。ベッドには石田の顔をした男と恋人と思しき女性が背を向けて横たわっています。女性とのあいだの荒廃した関係を表すかのような不気味なイメージが悪夢のように繰り広げられます。これもまた抑圧された日常と疎外された石田自身が「不気味なもの」として回帰しています。

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 この不気味な光景は《転移≫(2004年頃)と《無題≫(2004年頃)でさらなる展開をとげ、抑圧克服の兆しが現れています。どちらの作品も人気タレントのグラビア写真のポーズをもとにして描かれています。ここで注目すべきことは、≪転移≫において男の左手が他者の左手を握っていることです。この人物はだれか不明ですが、位置から考えて先の《無題≫で男の左側に寝ていた女性である可能性があります。しかし、左手を握っており頭の位置は石田の足元ということになります。石田の体には女性と思しき人物の顔が浮かび上がっています。他者が石田の中に「転移」しています。一方≪無題≫では男の左手は他者の右手とつながっています。《転移≫と異なり男性の腕のように見えます。男の体に浮かんだ顔は石田自身のようです。だとすれば男は、自分自身と手をつないでいるとも考えられます。それは過去とも未来とも判然としませんが、もうひとりの石田がいることをほのめかしています。さらに注目すべきことはたくさんの人面をもつこの人物が両性具有であることです。女性器から男性器が生え出ています。これは何を意味するのでしょうか。ひとつ言えることは、≪子孫≫ において、抑圧されてワニとして描かれた女性器が克服されていることです。石田は自身に女性器を描きこむことにより、恐怖の対象だった女性器にまつわる負のイメージを払拭し、自己の機能として取り込んでいます。機能とは言うまでもなく生み出す力です。《転移》との関連で考えるならば、手をつないだ相手の女性が《無題≫では完全に取り込まれ石田と思しき男性と一体化し性器も転移してひとつとなったということになります。

 では石田は何を生み出そうとしたのでしょうか。おそらくそれは自分自身に他ならないでしょう。新たな可能性を秘めた未来の自分です。今まで何度も幼児としてイメージされていた石田を護り導くはたらきをもった存在を、今度は成人の姿として生み出そうとしていたと思われます。その証に石田の体にはいくつもの成人男性の顔が浮かんでいます。ただしそれらは未だ生気がなくデスマスクのようです。石田は一度流した顔を再び回収し自身の体を媒体にして生の文脈に取り戻そうとしています。そのため両性具有になる必要があったのです。惜しむらくは新たな展開の途上で、突然、死が訪れたことです。《無題≫の、石田の手がしっかりと担っているもうひとりの石田こそ、将来描かれるべき新たな対象だったのではないでしょうか。《子孫≫で石田の手をつかんだ赤ん坊はここに再来しています。赤ん坊は成長し成人となり、石田はその手をしっかりと握り返しています。石田はここで新たな自我に生まれ変わろうとしているのです。いずれにせよ、死は生の方向に大きく舵を切ります。≪転移≫や《無題≫には神話的な迫力があります。石田は、生も死もひとつに呑み込む神話的な世界に戻って自身を立て直そうとしたと思われます。

d4bed9b8dfd211c11b464c 2004年頃の作品に《迷子≫があります。石田の「自画像」である男性が服をたくし上げ自分の体に印された地図を示しています。男はそれを読み取ることができず、迷子となっています。自分の体は文字通り距離零の地点です。隔たりがなければものは見えません。よって男は地図を読むことができないのです。地図にほ男の行くべき場所、あるいは帰るべき場所が記されています。この地図が読めれば男は、どこから来てどこに行くのか、ひいては自分が何者なのか知ることができます。これは私たちすべてに共通する謎です。私たちは自分が何者であるのか知らされていません。しかし、謎に対する答えはすでに自分自身に書き記されているのです。果たして読むすべはあるのでしょうか。距離零の、いわば対象となしえぬものをいかに読み解くか。地図はそもそも体に印されているのですから、こちらが読もうとせずとも何らかのサインを送ってくるはずです。送ってこなければ送るように促すこともできるはずです。そのサインとは「痛み」に他なりません。石田はそのことに気づいていました。地図はまるで刺青のように体に印されています。これは一種の傷です。「痛み」によって地図は道筋を際立たせます。石田は「痛み」を感知することにより己の地図を読み解きます。石田にとってその具体的な方法は絵を描くことに他なりませんでした。読み解くことにより、石田は生と死についての秘密を知ろうとしました。その一部は作品となって明るみに出され、私たちに提示されています。

 私たちは、石田の作品を道しるべとして、自身に印された「痛み」としての地図を読み解くことができると思われます。世の中が生きづらくなればなるはど地図は重要です。石田がいかにして自分自身の地図を読み解いたかは本書掲載の各学芸員のエッセイに譲ります。申し遅れましたが、本書は「石田徹也展」の図録を兼ねています。展覧会は、本書の内容通り、代表作にアイデア帖やスケッチブックを交え、その制作の過程や思考の跡をたどる構成になつています。なお、各章を担当した学芸員は皆、石田と同世代かより若い世代に属します。きっと石田の作品をしかるべき「方位」に配置してくれることでしょう。    (えじり・きよし/足利市立美術館学芸員)