文部省美術展覧会(文展)の監査に不満を抱いた一部の洋画家たちが、新旧二科制度を文部省に願い出ますが聞き入れられず、ついに文展を離れ在野の公募展を立ち上げた。そうして結成された「二科会」は、1914年10月1日に上野竹之台陳列館で第1回展を開催。以来、はじまった二科展は、サロン・ドートンヌとの交換展、在外作家制度など、海外の新しい美術動向に積極的な姿勢を打ち出し、文展とは異なる路線を歩み始める。アカデミズムと対極の場で、二科会が果たしたその役割は大きく、アクションや独立美術協会をはじめ、二科会から数多くの運動や分派がうまれた。1935年帝展改組により一部の創立メンバーが帝国美術院会員となった際には退会を促されるなど、二科会の画家たちは在野であることにこだわる。