■ 行動力も理解力もない政府
豊永郁子
新型コロナウイルスによって世界中が同じ危機と対峙(たいじ)したことで分かったのが、日本政府の能力の低さだ。
なにしろ政府が行動しない。2月以来問題になっていたPCR検査の実施件数が、諸外国と比較して驚くほど低い水準にとどまり続けていることが、これを端的に物語っている。政府には何とかしようという気は起こらないらしい。それはロックダウンへの態度からも窺(うかが)われた。
日本に感染爆発の徴候が見えた4月1日、安倍首相は「フランスのような(罰則を伴った強制力による)ロックダウンはできない」と言明した。すでに世界の過半数に及ぶ100以上の国が市民の外出禁止や移動の制限、店舗等の閉鎖命令などからなるロックダウンを行う中、一種異様な言明であった。
というのも、ロックダウンは感染爆発の抑え込みと防止の極めて重要な手段であり、必要時に「できない」では済まない。そして現行法がどうあれ、立法によれば可能だ。引き合いに出されたフランスの例でも、政府がまず公衆衛生法の条文を根拠に政令を出し、直ちに議会が「公衆衛生の非常事態」法を制定して政府の権限を明確化し、罰則も強化、休業補償も定めた。首相がほのめかす憲法改正の必要など無論ない。問われるのはひとえに政府の、そして議会の行動力なのだ。
さらに政府は、外出等の自粛の要請によりロックダウン下に近い状態を実現し得る緊急事態宣言を、4月7日(全国には16日)まで出し渋り、知事が行う休業要請の範囲も狭めようとした。自治体の間では、行動しない政府を見切り、緊急事態宣言の法的枠組みによらず独自に外出や移動、経済活動を抑制する動きが起こったが、無理もない。
無能でやる気のない政府のせいで死にたくないと思ったのは私だけではないだろう。政府の行動力の不足によって、PCR検査やロックダウンといった世界が標準的に用いる手段が封じられていた事実は重い。防げた死もあっただろう。
政府の理解もあやしかった。首を傾(かし)げたのが、2月27日の全国休校措置に関する説明だ。この措置には学校が媒介する感染拡大を防止する意味があったが、新型コロナウイルスによる子供の発症例が極端に少ないことが知られる中、首相は「何よりも子供たちの健康、安全を第一に考え」たと説明した。
首相レベルでのこうした理解の危うさは、首相のみならず首相に助言する官僚と専門家の能力を疑わせた。大臣・省庁のレベルでは医療や自治体の現場の状況、個人や事業者の経済的困難を理解するのに時間がかかり過ぎ、政府の諮問を受ける専門家たちには科学者らしからぬ曖昧(あいまい)さと一貫性の欠如が目立った。
ところで4月15日、専門家の一人が、全く対策がない場合、新型コロナウイルスによる国内の重篤患者は85万人に上り、半数が死亡するという試算を発表した。重篤患者とは人工呼吸器が必要な患者だが、国内には利用可能な人工呼吸器が1万3千台しかないと述べ、予想される死者数はさらに大きいことを示唆した。
この種の試算は危険の大きさと対策の意義への理解を助けてくれる。そして世界の動きに明るい政府ならば、3月20日に学校再開とイベント解禁を決め自粛ムードを緩める前に考慮し得ていたはずのものだ。4月7日の緊急事態宣言も、同日決定された緊急経済対策も、もっと早く出て、中身も違っていただろう。
というのも、同種の試算が既に3月16日に英国の研究者たちにより発表され、世界を震撼(しんかん)させていた。試算は、全く対策がなければ数カ月の間に英国で51万人、米国で220万人が死亡し(医療のパンクによる死は含まない)、当時多くの国でとられていた感染拡大のスピードを抑える対策ではこの死者数を半減させ得るに過ぎず、医療崩壊も防げないとした。ロックダウン等による強力な封じ込めが必要だが、ワクチンが用意されるまでの最短でも18カ月間は対策を緩めるとまた感染拡大が始まるという状態になるとする。それまで感染拡大を容認していた英国のジョンソン首相と米国のトランプ大統領は即日、ロックダウン路線に転じ、多くの国が続いた。
英国で51万と言えば第2次世界大戦での死者数を上回り、米国の220万は米国史上最多の死者を出した南北戦争の2回分を超える。単純に人口比で考えれば、世界全体の死亡者数は5千万以上となり、第2次大戦に迫る。ちなみに日本の第2次大戦での戦死者は230万人、民間人の犠牲者は80万人だ。なるほど、世界大戦規模の災厄を避けるためであれば、各国の政府はロックダウンでも何でもするであろう。日本の政府がこの間、緊急事態宣言や緊急経済対策で見せた経済活動継続へのこだわりや支援金の出し惜しみなど、問題になるべくもなかった。
さて、ロックダウンのモデルでは経済活動は最大限停止、社会は助け合いモードに切り替わる。その先に新しい社会の可能性を見た人もいる。経済活動を最大限継続し、各自、自助努力で自粛経済を生き延びよとした日本は異質だ。長期化する感染対策と世界同時不況、経済社会の大変容に、これでは皆は耐え切れまい。
とよなが・いくこ 専門は政治学。早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」
■ 忖度を生むリーダー
▶︎ 辞めぬ限り混乱は続く
豊永郁子